ルール・ブックなど書き直しましょう




また、幾時が経つ。

古書の整理と埃のはたきを終えて、ロザリィはふうと一息を吐いた。人工物に必要でない呼吸の真似事をするのはしかし、彼女が人形であるためにむしろ必要であるのかもしれない。


そうして、勤勉な主人の元に行って紅茶でも淹れようかと思っていると、芳しい匂いが漂ってくる。それはつまり、彼女が今、出さんとしてたものの香りで。


そうして大きな居間に行けばそこにはポットを片手に、ふふんと胸を張る少年の姿があった。


「淹れておいたぞ!ボクがな!」


そうされたことの、ロザリィの喜び方は尋常ではなく。その青い硝子の眼をきらきらと輝かせ、そのまま両手を上げかねないほどの歓喜だった。それは母が成長を見やったかのように。



「あら、あら!ありがとう、エド!嬉しいわ、とっても!茶葉は何かしら?」


「え?…えっと」


「…既に嫌な予感がするけど、いただくわね」



その質問に固まった主人を見て、その満面の笑顔がほんの少しだけ陰る。だが、ともかくとして机に向かい。ちょこんと、椅子に登るように座ってから飲み始める。


すう、とカップの中身がゆっくりと嚥下されていく。

ロザリィは、食事をしない。生き物でないのから当然でしょう、と嘯く。しかし茶を嗜み、香りを楽しむ。嗜好品として呑むことはする。それはいつ見ても矛盾してるようだったし、またその液体がどこに行くのか?というのは心底不思議なことだった。


そんなことを思っている内に。カップの中身が全て無くなる。余熱の湯気が立つそれを優美に置いて、唇を拭いた。


「まず、私のために貴方が淹れてくれたということが本当に嬉しいわ。それだけで100の加点をしたいくらいにね」


「でもその加点が無ければ0点。蒸す時間を測った?そもそも蒸したかしら。コップへの淹れ方も適当にしたでしょう。茶葉ごとにそれらを変えなければいけないというのに、何なのか認識してすらいないというのも駄目」


「うっ…」


ぴし、ぴし。久しぶりに辛口の採点を貰って、がくりと肩を落とす少年。鞭こそもう無くても、少しは出来るのだと思っていた所へのこれは多少なりともショックではあった。

だけれど、そのショックに逆上するでなく、少年は受け止めて、見つめ直すことができるようになっていた。人形に出会った当初からは考えられない成長。


かたん、と倒れ込むように椅子に座って手の甲を額に当てる。受け止めれるとしても、落ち込みは変わらない。



「はあ、中々うまくいかないもんだな。淹れ方はなんとか知ったし、できると思ったのに。…ちょっとはボクも君を見返してやれるかと思ったんだけどな」


「知識を得るだけで誰でも達人になれるなら、それで商売している人やそれこそメイドの商売は上がったりでしょう?いいのよ、ゆっくりで。やっているうちに上手くなるものなのだから」


「ロザリィも最初は下手だったのか?」


「当然。最初から上手い人なんて居ません」


「最初から、か。……なあ。そう言えば、君ってどれくらい前からその、そうしているんだ?」


「そうして、って?」


「その、喋って動いて…

作られてからどれくらい、というか。

どういう風に作られたのかなってさ」


「秘密」


「なんだよそれ。ボクに隠し事をするのか?」


「エド。レディに年齢を訊くなんて失礼極まりないわ。今の私は貴方のもの。それでいいでしょう?それに、秘密があるくらいの方が、女は魅力があるの」


「……そうなのか?うーん、わからない」


「ふふ、わからなくていいの。

…私がどう作られたかなんて、貴方は一生知らなくていいこと。そうのままでいてほしい」


「わかったよ。正直、はぐらかされたみたいで納得はいかないけど、ロザリィが言わないならそれはたぶん、意味があるんだろ」



そうして、新たな紅茶が淹れられる。

それはつまり彼女が話題を終わらせて、改めて茶を淹れてきたということ。そこで会話を終わりにしたい、という意思表示でもあったし、少年は今やそれを読み取れるほどの情緒の成長をしていた。だからただ、焼かれたパイと茶を啜りながら暫く本を読む音が続いた。


ぺら、ぺら。

ページが捲られる音と、時計の秒針の音。ただ何かをしているわけでもない、隙間の時間。気を置けない者とあるからこそできるそれはきっと、幸福なのだろう。



「なあなあ、ロザリィ。これはどうだと思う?」


ふと、傍にいる人形に本を差し出して。その中身を見せる。エドの手の中にある本は古びていて、そしてまた何度も何度も読み直された形跡があった。

 

「貴方のお父様が書いたものね。

…うん。正直、荒唐無稽だと思う」


それは、彼の父が書いた本。エドの生物好きの一端を担っているものであり、そしてまた彼がこうした館に取り残され没落する理由となったものだった。


「やっぱり、だよなあ。ある程度、ロザリィのおかげで色々知ったからなおのこと、これは糾弾されて仕方ないと思ってしまうよ…」


少し前までは、それを否定されれば激昂していた少年はしかし、今はそれを読んで、そうした感想を抱くようになってしまっていた。常識や教養を得るというのはつまり、それまでの認識の世界や、無限の空想を閉じることでもある。


「だがそれでも、父上がホラ吹きと呼ばれることはあまりにもつらいものがあるな」


今やそう、諦観を込めて言い放つ少年。それに向けて、きょとんと呆れたような顔を向けて。

人形は事なげに言った。

彼の人生を、決める言葉を。



「?なら、間違ってるところはあなたが書き直しちゃえばいいじゃない。そうしてから世に出し直してしまえば、ほら吹き呼ばわりも消えるでしょう」


「…は?」



その、あまりにも突飛すぎる発言に一度思考が止まった。そうして改めて今言われたことについてを、考えて。再び悲鳴じみた、声を上げた。



「…はあ!?何言ってんだよ、それは…ッ」


「………いや、でも。

そんなことが許されるのか?」


「大丈夫。神さまは何も禁止なんてしてないわ」


「いや、してるだろう、色々と!」


待て、待て。と頭を抑えて唸り始めてしまうエド。彼はまた、ロザリィをそうした突飛なことを言わない者だと思ってた為に一層困惑をしていた。


そしてまた、その発言に、悪くないと思い始めてしまっている自分自身にも。


「ああ、安心していいわ。何も、正しいものだけを書けなんて言わないわ。貴方が見たことを書けばいい。父の失敗の訂正だけではなくて、それこそ貴方が発見した事をどんどんと、追加していきましょ?」


「そういうことじゃない!ボクがそんなの書けるかっていうのがまず問題で!…いや、というかそんなことするような前例ってあるのか?ボクが無知なだけか?」


「いや、私も知らないわ。

まあ前代未聞でしょうね」


「そら見ろ!なら無理じゃないか!」



そう、少年が言った途端。

きらんとロザリィの目が光った。

エドはそれにうっ、と嫌な予感がした。

彼女のそれは確かに叡智の齎す青光でもあるが、それが齎す影響というものにいつも、振り回されるのだ。まだ数年程度しか共にしかいない仲であるものの、それは確信していることでもあった。



「いいこと?ルールや前例に倣って行動するのは確かにとっても大切。それこそマナーも先人たちに準ずることで生まれるものだしね。だけれど」


「だけど…なんだよ」


「だけれど。本当にやりたい事とか、悔しい事を我慢する理由に前例を使うのはいけないこと!私は、言い訳にする為に、マナーや勉学をエド教えたわけじゃないのよ?」


「言い訳になんて…!」


かっと、噛みつきかけて。それでドールの軽い体躯を触ってからおずおずと引く。そのあまりの軽量に何か罪悪感のようなものを感じたのか、もしくは、確かに言う通りに、前例がないということをやらない理由にしようとしていなかったかと、自認してか。



「大丈夫。だって貴方はもうやっているのよ?」


そんな事を知らずか、もしくは敢えての話を進めをしたのか。かた、と指を指すまずは、彼女の主人に向けて。

何のことか戸惑うエドに、ロザリィは笑う。



「ほら。ご主人様が、たかが侍従に紅茶を淹れるなんて、そんなの、もしくだらないルールブックに則るならありえてはならないし、メイドは自らの至らなさに舌を噛まなきゃいけないようなもの、だもの」


そう言われて、ぎく、と。まだ置いてあった手元のカップを見た。そこには先までは淹れ直したロザリィの紅茶が入っていたが、しかし自分が作った下手な茶が入っていたということも事実だ。



「え!い、いや。

ボクは、そんなつもりはだな!」


「うふふ、そんなつもりがなくっても。貴方は私をいたわるために、少しでも見返そうと思って、くだらないルールブックを破り捨ててそうしてくれた。そういうこと」


「つまり貴方はもう既に、正しいと思うことのためならば、そうした法を破る覚悟ができているということ。自覚的にせよ、そうでないにせよね」


「なっ…拡大解釈だ!絶対、無理矢理な詭弁だ!君はいっつもそうじゃないか!」


「そう?

でも私は、そういう破天荒な男は好きよ?」



どきり。そう言われて、自分を見返すようにして掌を見て。そうしてから、にこにこと微笑むドールの顔をじいと見た。相変わらずに美麗なその、無機質な顔はどことなく人に近づきすぎて不気味で、人を超えた美しさがある。


そうして、がしがしと自らの頭を掻き始めるエド。顔を再び上げた時には、もうさっきまでの迷いは目から消えてしまっていた。そうして、自分が読み込んでいたその本をくわっと開き始めて。そうしてロザリィに羽ペンを要求し、明らかに間違えているページにがり、がりと書き込みをし出した。



「まあ、凄い勢い。

くすくす。頑張って、頑張って?」



「ロザリィぃぃぃ…君は本当に、なんというか!とんでもない呪いの人形だ!そんな事言われたんなら…」


「ボクはどうしても、やらざるを得ないじゃないか!」



そうして、少年は。

後に若き天稟として知られるエドワード・スィアドアは自らの、父の汚名を雪ぐことから、始まったのだ。それはまるで、何かに背中を無理矢理押されるかのような、急なスタートだったという。





……



「いいわね、その調子で行きましょう。

貴方がほら吹きの息子なんてくだらない風聞も、人形は動けないなんてルールも。全部、書き直してしまいましょう?さ、頑張ってね。うふふ」



妖艶な笑みが、そうして少年の横で笑う。

無邪気な笑いは男を惑わして。またそれの所有者をどうにもおかしくさせる呪いがかかっている。

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