第二話 王太子とエルフの少女

 辺りは恐ろしく静かになる。時折り聞こえていた呻き声はやがて消えた。


「えっと、ちょっと訊きたいことがあるんだけど」 

「何かしら?」

「さっきあいつらが言ってた……君の罪状についてだけど」

「ふふっ。いいわ。私はね、エルフの国に住む平凡な少女だったの」


 ユウコワ・ベタノクフは静かに語る。

 俺たちが今いる場所、バストリア大陸は北部がエルフ王国、中南部がバストリア王国と言った具合に二分されている。


 エルフ国とバストリア王国の関係は古い時代に交わされた約定『相互絶対不可侵』が象徴するように、ほぼ没交渉。


 バストリア王国の王位継承者が決まった時だけ、その本人がエルフ国へ報告に出向く。


「私はね、話に聞く人間の王国に興味深々な子どもでね、息が詰まりそうな日常には飽き飽きしていたの」

「若い子にはまぁよくある話だな」

「私たちの寿命は五百年から六百年。大人たちは達観しているから、本当に退屈に思えたのよ、当時の私はね。だから目まぐるしく変わっていくと言われる人間の国、文化にすごく好奇心を刺激されたわけ」


 バストリア王太子の訪問、代が変わるたびに服装や装飾、付き従う騎士の鎧や武器が大きく変化していく。それはエルフたちに様々な印象を与える。ある者には憧憬、ある者には恐怖を。


 そしてユウコワがエルフの王の護衛になったばかりの年に、バストリア王太子が訪れる。


 運命の出会い。


 ユウコワは王太子を、そして王太子がユウコワを見た時、互いの心に経験したことのない衝動が湧き上がった。世間ではそれを『一目惚れ』という。そして互いに『初恋』だった。

 過去、エルフが王族に嫁いだ例がないわけではない。その場合厳しい掟のもと、ある秘術がかけられる、厳罰に相応しく。


「それはどんな……」

「エルフは魔法を使う、それには対価がいらないの。でも人間の王国へ行く場合、魔法を使う時に寿命を対価とする術がかけられる」


 人間に魔法は使えない。


「私は王太子に夢中になった。それは父や母、兄妹、親族、友人達、全ての人に反対されたわ」


 また王太子も書簡をエルフ王に送り続けた。ユウコワを王妃に迎えたい、と。


「過去に例はあるといっても異例のこと。両国の法務担当者が協議を重ねた」


 エルフ国として、バストリア王家の要求を突っぱねるのは些かよろしくない。エルフは長命で魔法を使えるものの、いざ人間の国が侵攻を始めたら完全に勝利するのは難しい。


 なぜか?

 人間は数がすぐに増える、そして世代交代を繰り返すことにより、ノウハウが蓄積され何もかもが進化していく。

 エルフは長命であるがゆえに、繁殖能力は低いため数に劣り、魔法がある弊害で進歩とは無縁。


『相互絶対不可侵』の約定が締結される前、二百年に渡る戦争が続いた時代があった。エルフが人間を退けるたびに、彼らはより効果的な戦術を、より強力な武器をもって攻め込んできた。


 人はエルフの魔法を恐れ、エルフは人の進歩の速さを恐れた。

 ユウコワからこう聞いた俺は過去の世界大戦に思いを馳せる。戦争は恐ろしいスピードで軍事技術を発展させ、それは人々の生活に進歩をもたらす。どこの世界もそれは同じか。


「だから魔法の使い勝手を悪くする、いや実質封印するわけか」

「そうよ。人の国へ行く者に魔法を濫用させないための措置ね。私は喜んで受け入れたわ。これであの人の元へ行けるって」


 ユウコワ・ベタノクフは少女のような笑顔になる。彼女はエルフ国の王族でもなく、ただの平民。

 王家の信頼厚いベタノクフ公爵家の養女となる。これはバストリア王家の采配だ。公爵令嬢となったことで王太子妃としての身分が得られた。


「ベタノクフ公爵夫妻はとても優しく私を迎え入れてくれた。私に王妃教育を、ということで何人もの家庭教師をつけてくれた。そのうちまるで実の娘のように可愛がってくれるようになったわね」

「ニュアンスとしちゃ、冷戦時代のソ連共産党員がホワイトハウスへ就職するようなものか……」


 そして二人の結婚が発表されるとバストリア王国は、驚きの声とともに歓喜に満ち溢れた。

 バストリア王国民にとってエルフは御伽話や伝承でのみ語られる存在。王太子がエルフの美姫を娶るということに王国は祝賀ムード一色に湧く。


「あの頃は毎日が輝いていた。見るもの、触れるもの全てが光に包まれているようで、何も怖くなかった。いえ、幸せすぎるのが怖いぐらいだった」


 そう語るユウコワ・ベタノクフに俺は見とれる。彼女の表情は穏やかで慈愛に満ちていたからだ。

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