倉敷で友梨佳さんと出会ったのは必然の運命だった

春風秋雄

社長である親父と喧嘩した俺は岡山支店に飛ばされた

親父はどうしてこんなところに支店を作ったのだろう。

俺は新幹線に揺られながらタブレットで地図を見ていた。俺が社長である親父の命令で支店長として赴任する先は、岡山県の倉敷だった。倉敷は新倉敷という新幹線の駅はあるが、“のぞみ号”は止まらない。だから東京から行くには、“のぞみ号”で岡山まで行き、そこから“こだま号”に乗り換えるか、在来線で行くしかない。岡山県の拠点を作るなら、県庁所在地である岡山市に作れば良いものを、わざわざ倉敷に作ったのには何か理由があるのだろうか。東京に本社を置き、全国に10か所展開している会社だが、他の支店はすべて県庁所在地に支店を設けているのに、岡山県だけが異なっていた。その理由を親父に聞いたことはない。俺は関東圏を中心に活動していたので、岡山支店の存在は知っていたが、それほど意識はしていなかった。だから岡山支店が倉敷にあると認識したのは今回の異動の辞令を受けてからだが、その時俺は親父とは険悪なムードになっており、今回の異動もその腹いせに親父が独断で決めたのだと思っている。だから岡山支店が倉敷にある理由を親父には聞けなかった。

新幹線のぞみ号は岡山駅に着いた。俺は“こだま号”に乗り換えるため下車した。


俺の名前は関本敦史。33歳の独身だ。親父が経営している栗本エンジニアリング株式会社で働いている。親父の苗字は栗本なのに、俺の苗字が関本なのは、俺が中学生の時に両親が離婚し、俺は母親について行き、母親の旧姓である関本を名乗ることになったからだ。離婚の理由は知らない。俺の憶測では親父の女性問題が原因なのではないかと思っている。俺がこの会社に入ってから聞こえてくる社長に対する噂話の中にも女性問題はいくつかある。親父は母と離婚した後、再婚はしなかった。だから跡取りがいない。そこで大学を卒業してから銀行で働いていた俺を跡取りにするために、5年前に栗本エンジニアリングに引き抜いたというわけだ。俺は両親が離婚してからもちょくちょく親父とは会っていた。成人してからは飲みにも連れて行ってくれた。決して俺は親父のことは嫌いではない。母とは離婚したが、俺の父親だということに変わりない。母も再婚しなかったので、新しい父親ができなかったのも親父と頻繁に会えていた理由の一つだ。新しい父親ができれば遠慮して親父には会えなかったはずだ。俺が社長の息子であることは、上層部の一部の人間しか知らない。苗字も違うので、知らされていない社員は想像もしないだろう。俺は現在、部長という役職をもらっているが、これは俺の実力でなったものだと自負している。それなりの成果は上げてきた。親父は徹底した成果主義を採っており、社歴が浅い若い連中でも成果を上げればそれなりのポジションを与えている。それがこの会社が飛躍的に伸びてきた要因にもなっている。

俺が先日親父と険悪なムードになったのは、俺の結婚問題だ。この年でまだ結婚していないのを親父は心配している。俺が結婚しなければ跡取りも出来ないということもある。そこで親父が良い人を紹介すると言ってきた。俺は自分の嫁さんくらい自分で見つけると突っぱねた。そこから親父と言い合いになったというわけだ。つまらない親子喧嘩だ。その挙句に俺は本社から倉敷に飛ばされたというわけだ。


倉敷に着き、俺はタクシーで岡山支店に向かった。支店に入ると前任者の支店長が迎えてくれた。社員はすでに仕事に入っている時間だが、内勤の社員だけ手を止めさせ、前任者が俺を紹介してくれた。簡単な挨拶だけして支店長室で前任者との引継ぎの打ち合わせをしていると、途中で前任者が内線で一人の社員を呼び出した。しばらくすると、ドアをノックして一人の女性が入って来た。

「関本部長、紹介します。支店長秘書の堀越です」

紹介された女性が丁寧にお辞儀をした。

「堀越です。よろしくお願いします」

俺は驚いた。支店長に秘書が付くのか?

「関本です。こちらこそよろしくお願いします」

女性が部屋を去ってから俺は前任者に聞いた。

「支店長に秘書が付くのですか?」

「いや、今まではなかったのですが、今回関本部長が来られるにあたって、本社から秘書をつけるように指示がありましてね。地元出身であることを条件にこちらから候補を5名提出しろというので、勤務評価をつけて提出したら、堀越を秘書に採用すると本社から連絡があったのです。私も驚きました。おそらく全国でも支店長秘書は初めてだと思います」

どういうことだ?俺が岡山の事は何もわからないので、地元出身で岡山の情報を伝えられる秘書をつけたということか?確かに今までの各支店長は立ち上げこそ本社から支店長を送り込んだが、その後は支店の社員の中から支店長に昇格させている。本社から支店長候補として異動でその支店に行った社員でも最低2年はその支店で働いてから支店長になっている。それが今回の俺はいきなり本社から支店長として来ることになったので、支店の事情や地元の事情が全く分からない状態であることから、秘書をつけるということになったのかもしれない。


岡山支店に赴任してから1ヶ月が経った。住居は会社が用意してくれたマンションに入った。

岡山支店の業績はあまり芳しくない。関東圏の支店に比べると社員の活気もないように思える。これは何とかしないといけない。

秘書の堀越さんは、俺に付きっ切りになるわけではなく、自分の業務をこなしながら秘書業務を兼任するといった感じだった。堀越さんの履歴書を見ると、名前は友梨佳さんと言い、年齢は27歳の独身だった。お父さんはいないようで、家族構成は母親だけで、地元の高校を卒業後、岡山の短大で情報ビジネスを学んだようだ。入社して7年目の女性としてはベテランの部類に入る社員だった。最初は支店長に秘書など必要ないと思っていたが、堀越さんがいることで俺は岡山という土地柄を早く知ることができた。どこの地域でもそうだが、岡山にも岡山独特の風土がある。岡山の人は勉強熱心で、計画的に物事を進める特性があると聞いたが、確かに地元出身の社員を見ているとそう感じる。ただし、計画性が裏目に出て、合理的になりすぎて、細かい作業を省略したり、利益を伴わない人付き合いなどをおろそかにしてしまうケースが多々あった。しかし、これらはリーダー次第で何とかなるものだ。各社員のポテンシャルは高いので、決して悲観するものではなかった。あとは支店長の俺次第ということだ。


岡山支店の業績は徐々にではあるが上がって来た。それに伴って取引先との繋がりを深めていく必要性が出てきた。

取引先との懇親会や接待には堀越さんが秘書としてついてきた。先方とのスケジュール調整から店選び、そして重要な取引先にはお土産を持たせるなど、秘書としてそつなく働いてくれる。俺は会食の席にも堀越さんを同席させた。会話能力もかなりあり、相手を飽きさせることがないので、俺としては助かっている。ある時、堀越さんが席を外している間に、相手先の担当者から「綺麗な人が秘書で羨ましいです」とお世辞抜きで心底羨ましそうに言ってくれた。それまで社員としてしか見ていなかったが、確かに彼女は整った顔をしているなと改めて思った。

お客さんとの会食が終ると、俺は堀越さんをタクシーで家まで送ってからマンションに帰るようにしていた。堀越さんの家は持ち家なのか借家なのかは分からないが古い一軒家だった。堀越さんは小さい頃にお父さんを亡くしたそうで、それ以来ずっとこの家にお母さんと二人で暮らしているということだ。

お客さんとの会食は月に3回~4回ある。一度飲みすぎて、それほどお酒に強くない俺はお客さんを見送った後に、酔いつぶれてしまったことがあった。堀越さんは先に俺のマンションにタクシーを行かせ、俺に肩を貸して部屋まで連れてきてくれた。

堀越さんは部屋の鍵を開け、部屋に入って俺の上着を脱がせ、ベッドに寝かせてから部屋を出て鍵はドアポストから落として帰っていった。それ以来、俺が酔いつぶれると、部屋まで送ってくれることが何回かあった。俺の中で堀越さんは身近な存在になりつつあった。お客さんとの会食がない時でも、俺は堀越さんを誘って食事に行くようになった。休みの日には岡山の観光にも連れて行ってもらった。倉敷は国産ジーンズの発祥の地で児島ジーンズストリートは爽快だった。俺は堀越さんを秘書としても信頼し、そして一人の女性としても意識するようになった。

その日も堀越さんは酔いつぶれた俺をいつものように部屋まで送り届けてくれた。

「いつもすまないね」

俺が呂律の回らない口で礼を言うと、

「あまりお酒は強くないのに、付き合いで飲まなければいけない仕事ですから大変ですよね」

と堀越さんは俺を労ってくれた。

堀越さんがベッドに俺を座らせ、上着を脱がせて、ネクタイを外してくれる。酔ったうつろな目ですぐそばにある堀越さんの顔を見ていた俺は、衝動的に堀越さんを抱きしめた。堀越さんの体がビクッと固まる。

「支店長、離してください」

堀越さんが弱々しく言う。

「ごめん、こんなオジサンは嫌だったかな」

「支店長はオジサンではないです。でも、今の支店長は酔っているので嫌です」

そう言われて俺は堀越さんを離した。

「ごめん。すまなかった」

堀越さんは「おやすみなさい」と言って部屋を出て行った。

ひとりになり、ベッドに横たわった俺は酔った頭で先ほどの堀越さんの言葉を思い出した。堀越さんは「今の支店長は酔っているので嫌です」と言った。だったら、酔ってない時なら良かったのだろうか。


取引先から、ゴルフ旅行に誘われた。山陰に拠点を持っている会社で、メンバーコースが鳥取県の大山にあるので、そこでゴルフをしようということだった。秋の大山は紅葉が綺麗で、海の幸も美味しいと言われ、俺も興味を持った。堀越さんも下手ながらゴルフは出来ると言うことだったので、二人で行くことにした。スケジュールとしては、初日は夕方にゴルフ場近くのホテルに入って、そこで宴会。翌日の朝からゴルフを楽しみ、またホテルで宴会。先方はそのまま帰るが、俺たちはそのホテルにもう1泊してから帰るという流れだった。

俺と堀越さんは俺の車で大山まで行くことにした。

「堀越さんは、ゴルフはどれくらいやっているのですか?」

「短大時代に母からゴルフを覚えなさいと言われて、スクールに通いました。それからコースに出るのは年に数回ですけど、週に1回は練習場に行っています」

「お母さんから?お母さんが女の子にゴルフを勧めるのはめずらしいですね」

「将来必ず役に立つからだということでした」

「今回本当に役に立ちましたね」

「支店長はゴルフ歴長いのですか?」

「私は親父に無理やりやらされました。学生時代にいきなりゴルフ道具一式を送って来て、ゴルフをやるぞと言われて。スクールに通って1ヶ月もしないのに親父に無理やりコースに連れていかれて。でも、とても気持ちよくて、すっかりゴルフにはまりました」

「良いお父さんですね」

「うちは両親が離婚していて、親父とはずっと離れて暮らしていましたから、親父は大人になった息子と一緒にゴルフをするのが夢だったんだと言っていました」

「じゃあ、支店長も母子家庭だったのですか?」

「私の場合は、両親が離婚したのは中学生の時でしたから、父親がいなくても何ともなかったですけどね。生活費や私の学費はすべて親父が出していたようですし。でも堀越さんの場合は、小さい頃にお父さんを亡くされて、寂しかったのではないですか?」

「物心ついた時には父はいませんでしたから、父親の存在というのがどういうものかわからないので、寂しいということはなかったです」

「でもお母さんはお一人で堀越さんを養ってこられたのですから、大変だったのでしょうね」

「そうだとは思いますが、貧しいと思ったことはないのです。母の収入がどれくらいなのかは知りませんでしたが、人並みの生活は送れていたと思います。ひょっとしたら、経済的に援助してくれる男の人が母にはいたのかもしれないです」


初日の宴会は翌日のゴルフのことを考えて、ほどほどでお開きにした。翌日は晴天に恵まれ、絶好のゴルフ日和だった。大山のゴルフ場は鮮やかな紅葉に囲まれ、自然の中でゴルフをしているという思いに浸れ、最高だった。堀越さんは想像以上にゴルフが上手かった。相手先のメンバーも良いスコアで上がり、上機嫌でホテルでの宴会が始まった。

堀越さんは、俺が酔わないよう気を使って、俺の代わりにお酒を受けていた。ようやく宴会が終った時には、堀越さんは結構酔っていた。いつもは俺が肩を借りて部屋に連れていってもらうのだが、今日は俺が堀越さんを支えながら部屋に連れて行った。

「大丈夫ですか?」

俺がベッドに寝かせながら尋ねると、堀越さんが辛そうに答えた。

「すみません。お水をもらえますか」

俺は水を取り出すために冷蔵庫を開けた。ところが、冷蔵庫の中には備え付けの水のペットボトルが入ってなかった。

「水が入っていませんね」

「あ、今朝ゴルフに持って行ったのでないかもしれません」

ドアの外には清掃不要の札を下げていたので、水の補充もしていなかったようだ。

「じゃあ、私の部屋のを持ってきます」

俺はそう言って自分の部屋に行って、ペットボトルの水を持って堀越さんの部屋に戻った。オートロックなので呼び鈴を鳴らしドアを開けてもらう。堀越さんは何とかドアまで歩いてきてドアを開けてくれた。再び堀越さんを支えながらベッドに寝かせる。ペットボトルの蓋を外し、水を飲ませてあげた。

「大丈夫ですか?」

「ええ。大丈夫です」

「じゃあ、水はここに置いておきますから、私は部屋に戻ります。明日は帰るだけですから、起きるのはゆっくりでいいですからね」

俺はそう言って部屋を出た。自分の部屋の前に来て、俺は大変なことに気づいた。

“部屋の鍵がない!”

冷蔵庫から水を取り出すときに、鍵を冷蔵庫の上に置いたまま出てきたようだ。俺は堀越さんの部屋に戻って呼び鈴を鳴らす。しばらくしてドアスコープで俺を確認したのだろう、堀越さんがドアを開けてくれた。

「どうしました?」

「部屋の鍵を部屋に置いたまま出てきたようです。フロントに電話したいので、電話を貸してもらえますか?」

堀越さんが部屋に入れてくれた。俺が電話を取ろうとすると、後から堀越さんが言った。

「今日はここで寝て下さい。フロントには明日の朝電話すればいいですから」

俺は驚いて振り向いた。

「でも…」

「支店長さんは、酔っている女性を襲ったりする人ではないでしょ?」

もちろん、俺はそんなことはしない。しかし、この部屋はツインではなく、ベッドはひとつしかない。セミダブルとは言え、同じ布団の中で一緒に寝ることになる。社員の女性とそんなことをして良いのだろうか。しかし、何もしないとはいえ、堀越さんと同じ布団に寝ると言う誘惑に俺は抗うことは出来なかった。


目が覚めると、隣に堀越さんはいなかった。浴室からシャワーの音がしている。どれくらい寝たのだろう。さすがに横に堀越さんが寝ていると思うと、なかなか眠れなかった。寝返りで堀越さんに触ってしまわないだろうかと気が気でなかった。

シャワーの音が止み、しばらくすると浴室のドアが開き堀越さんが出てきた。バスタオルを巻いたままの姿だった。思わずその姿に見入っていると、堀越さんが照れたように笑った。

「支店長、起きていたのですか」

「あ、うん」

堀越さんはその姿のままベッドに入って来た。

「今の支店長は酔っていないから嫌ではないです。そして私も酔いは醒めました」

堀越さんはそう言って俺の目を見た。俺はその目に誘われるように、手を伸ばして、バスタオルを解いた。


ゴルフ旅行から3か月もすると、友梨佳さんは俺の部屋に度々泊るようになった。

「こんなに頻繁に泊って、お母さんは何も言わないの?」

「もうこんな年なんだから、心配するようなことではないでしょ?」

「なあ、一度お母さんに挨拶に行きたいのだけど」

友梨佳さんが俺の顔をジッと見た。

「お付き合いしていることを、ちゃんと報告したいんだ」

「お母さんに会ってくれるの?」

「うん。それで、友梨佳さんをお嫁さんにもらいたいとお願いしたいのだけど、いいかな?」

「それ、プロポーズのつもり?」

「ごめん。ちゃんと言います。友梨佳さん、私と結婚してください」

友梨佳さんは満面の笑みで頷いてくれた。


友梨佳さんの家には何回もタクシーで送って行ったが、家にあがったことはない。前もってお母さんには話してあったようで、お母さんは笑顔で迎えてくれた。とても綺麗な女性だ。友梨佳さんはこのお母さんの血を引き継いだのだろう。

「ようこそ。友梨佳の母の友恵です」

「初めまして。関本敦史と申します。友梨佳さんが働いている栗本エンジニアリング岡山支店の支店長をやらせて頂いております」

「関本敦史さん?」

お母さんが怪訝な顔をした。

「ひょっとして、あなたのお父さんって、栗本省吾さん?」

「父をご存じなのですか?」

俺がそう言うと、友梨佳さんが驚いたように話しに割って入った。

「ちょっと待って。栗本省吾さんって、うちの会社の社長さんのこと?敦史さんって、社長さんの息子さんだったの?」

「ごめん。今まで黙っていたけど、そうなんだ。父の意向で、会社でも上層部の一部の人間しか知らないんだ」

「そう、あなたが敦史さんなの。不思議な運命ね」

「失礼ですが、父とはどういう関係なのでしょうか?」

「あなたのお父さんと、私の亡くなった主人は大学時代の友達だったの」

それから友梨佳さんのお母さんは父との経緯を話してくれた。


友梨佳さんのお父さんが亡くなったことを知った父は、葬儀に駆け付け、まだ幼い友梨佳さんを連れた友恵さんに経済的援助を申し入れたそうだ。父は栗本エンジニアリングを起こしてから一度だけ経営危機に見舞われたそうだ。今月の手形を落とせないという窮地に、ダメ元で友梨佳さんのお父さんを頼ったら、親から譲り受けたこの家を担保に銀行から1000万円借りて、会社のピンチを救ってくれたということだ。会社を建て直し、借りた1000万円は返済したが、今の会社があるのは堀越君のおかげだと言って、経済的援助をすると言ってくれたということだった。

「いくら主人の友達で、過去にそういう経緯があったとしても、初めてお会いした人から経済的援助を受けるのはどうかとも思ったのだけど、幼い友梨佳のことを考えると背に腹は代えられなくて、栗本さんの申し出を受けることにしたの」

そうだったのか。

「でもね、誓って言うけど、栗本さんと男女の関係になったことは一度もないの。私としてはそういうことも覚悟はしたのだけど、栗本さんはそんなことは考えていない。もしそんな関係になったら堀越に申し訳ないと言ってね」

親父がそんなことを?女性問題は色々あったと聞いていたので、経済的援助をしていたと聞いた時点で、当然そういう関係だと思っていた。

「ところがね、私に送金していることが奥さんにバレて、奥さんはカンカンに怒ったそうなの。奥さんは当然私のことを愛人だと思ったようで、大喧嘩になったそうなの。栗本さんが言うにはそれだけが原因ではないと言っていたけど、結局それがきっかけで栗本さんは離婚してしまった。私は申し訳なくて。特に息子さんがいると聞いていたので、息子さんには本当に申し訳なくて、申し訳なくて・・・」

「いや、父がやったことは決して間違ったことではないですし、両親が離婚したのは私が中学生の時でしたから、父と離れてくらすことについては、それほど気にはしてなかったですから」

「栗本さんからは、敦史さんの結婚相手に友梨佳をと何度も言われたのですが、離婚の原因を作った相手なのだから、敦史さんは恨んでいるだろうからと言って、ずっとお断りしていたのです。それが、どうした運命なのか、二人がくっついてしまうなんて・・・」

「私は恨んでなんかいません。それどころか、昔受けた恩をずっと返していた父を、私は尊敬します」

俺がそう言うと、お母さんは「ありがとう」と言いながら、そっと目じりを拭った。


連休を使って、俺は友梨佳さんを東京へ連れて行った。親父に友梨佳さんを紹介すると、喜んでいた。親父はすべて会社の方針だったと言い張るが、俺を岡山支店に転勤させたのも、友梨佳さんを秘書につけたのも、親父の戦略だったのだろう。

親父と二人きりになったときに、俺は聞いてみた。

「父さんは友梨佳さんが小さいときに会って以来会っていなかったんだろ?外見も性格も、何もわからないのに、どうして俺の結婚相手として選んでいたの?」

「それは堀越の娘だからだよ。あいつの子供であれば変な性格のはずがない。そして友恵さんの娘さんであれば器量は間違いないだろ?まあ、履歴書で写真ぐらいは見たけどな。いつかは一緒にゴルフをしてみたくて、ゴルフを始めるように友恵さんから言ってもらったけど、その夢も近い将来かないそうだな」

そうか、友梨佳さんと一緒にゴルフへ行けたのは親父のおかげだったんだ。

「なあ、岡山支店を倉敷にしたのは、“友梨佳さんのため”だったんじゃないのか?調べたら岡山支店の設立は、友梨佳さんが短大を卒業する1年前だった」

「友恵さんに友梨佳さんの就職先としてうちの会社を受けてみてはどうかとはアドバイスしたけど、倉敷にしたのは別の理由だ」

「どういう理由だよ?」

「堀越が生まれ育った街だからさ。あいつにいつまでもうちの会社を見守ってもらいたいんだ。それに、おれはジーンズが好きだからね」

親父はいくつになっても休みの日はジーンズを履いている。俺には似合っているようには見えないけど。

親父はジーンズに足を通すたびに、倉敷のことを思い、亡くなった友人のことを思っているのだろう。

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