アルデバランの共想曲

 夜空の中、強く輝く一等星。手が届きそうだと思えてもその距離は那由多。

白昼夢の中の走馬灯。何もない広大な空間。まっしろなキャンバス。


「どんな時でも笑顔でいるのが大事だよ。たとえ嫌いだと思ってる相手でも」


言われたはずのない言葉がその口から溢れ落ちるのを聞いた気がした。



 我が出身校の方針で毎年一回、各学年で何らかの芸術鑑賞へ行く決まりがあった。

歌舞伎や美術館、能や舞踊、落語、オペラなんていう年もあったかな。

毎回決まった場所に行くわけではない。

そのタイミングに開催されている、なんらかの芸術性が高い催し物へ参加するという何とも中途半端なイベント。


 大半のティーンエイジャーにとって芸術鑑賞と娯楽はニアリーイコールだ。

TOHOシネマズ、ラウンド・ワン、カラオケ館などを行動範囲にしているリア充たちにとっては退屈に違いない。


 俺は変なところでクソ真面目。

上演される演目の情報を調べたり原作があれば(翻訳されたものだが)手に取って予習していた。

演劇は実際に目にすると演技や演出に追いついていくのが精いっぱい。

大まかな前情報やストーリーラインが頭に入っていれば受け取れる情報量が違う。


 ただし大衆向けの映画は出来るだけ事前知識は入れないし、レビューは読まないで観る。

文庫や新書に巻かれている帯は買った途端に捨てる。

ロードショウや小説はフラットな感覚で向き合いたいというめんどくさいタイプ。



 その年はオペラ、ロミオとジュリエットを観に行くことになった。

シェイクスピアは名句がたくさん並んでいてよく引用元になっているので、触れてみる価値はある。

和訳された文庫で予習して当日に臨んだ。現地集合、現地解散でほとんど遠足気分の課外学習。


 昼は友だちと劇場近くのファミレスで食べて、午後になったら移動。

一般客の迷惑にならないように集まって団体客の俺らは最後にまとまって入る。

座席はある程度決まっててクラスごとにざっくりとまとまって入場する。

仲良しグループや彼氏彼女で組になって座る。ぼっちだとこういうときは地獄以外の何者でもないよな。


 俺はクラスの仲のいいメンツ数人でまとまって席についた。

ほとんど最後部を陣取ったつもりが最後列にはよりにもよってカースト上位女子。

真後ろに立花きらら、あとはその愉快な仲間たちが座った。


 一軍はたいてい男子はバスケかサッカーをやっていて、女子はリア充系かギャルと相場が決まっていて面白みがない。

アウトローを気取っている訳ではないけど、個性派が揃ってる自分たちの方がよっぽどクールだと意固地になる。

俺たちはただいるだけで、不協和な個性が奏でるハードデイズナイトのイントロみたいな存在だと、その頃は半ば本気で信じていた。


 そう思うのは勝手だけど実際の学校生活はスクールカースト上位の意向が反映される。

休み時間になると餌をついばむ雛鳥みたいにさえずっているのに、授業中は寝てるのか起きてるのかわからないくらい大人しい。

先生方も誰がクラスの権力の中枢なのかは、一目では判断がつかないはずだ。

いつの世も変わらず声がデカいやつの主張が通るので結果的に周りはそれに従うことになる。


「はいはい、面倒なのでそれでいいです」がモットーなのかというくらい主義主張を通さない俺は

カースト上位ギャルが鬱陶しくてたまらない。


ため息と共に上演開始を知らせるブザーが鳴った。



 身分の差を越えた恋が引き裂かれていく様子が

舞台装置の照明、ヴェロナの城壁のセットで劇的に描かれて暗転。


 幕間の時間に小休憩。やっぱり活字で読むのと劇を見るのとでは臨場感が違うな。

シェイクスピアの戯曲はめちゃくちゃ読みづらい。野暮だけど最初にストーリーを頭に入れてから読んだ方が楽なのかもしれない。

演劇は大袈裟な身振り手振りと歌踊りが入っているので、これもストーリーが頭に入っていた方が追うのは楽だ。

いわゆる芸術って単に鑑賞するだけでも参入障壁高くって草。


 休み時間は学校の外でも同じらしい。

ハイテンションなさえずりが真後ろから聞こえてきて鬱陶しい。


 俺はとっくの昔に慣れてしまったけれど、友人の高崎は目鼻立ちがはっきりしている痩身のイケメンだ。

なぜ俺と仲がいいのか謎なのだが相当な陽キャ。そいつが俺の隣でパンフレットを熟読している。

後ろの女の誰かがキャッキャ言いながら彼にちょっかいをかけるのを無視する。

高崎も笑顔が引き攣りながら女のタッチの無視を決め込む。


「ロミオとジュリエットの演劇、初めて観たけど演者さんかっこよくて綺麗で引き込まれるから観ててあっという間だな」


後に彼は舞台俳優になる。

すでにスポットライトを浴びる側の人間としての華があった。

当時の俺は気づかなかったけどこの頃から将来の自分を憧れに重ねて見ていたのかもしれないね。


 視界が前髪で見えなくなる。

なぜか知らないけど俺の髪の毛がくしゃくしゃにされる。

座席の真後ろが犯人。マドンナだかカーストトップだが知らねぇけどな、

振り返ろうとしたら開始を知らせるブザーが鳴って暗転。幕間の時間は終わりです。



 毒杯をあおって息絶えたロミオ。その亡骸から抜き取った短剣で胸を貫くジュリエット。

迫真のクライマックスで舞台の幕が降りていく。拍手喝采の中、泣いたらいいのか感嘆したらいいのか複雑な心境にさせられる。


 終演したら現地解散という適当な課外学習。

今見た劇の感想を言い合う訳でもないが、またファミレスでも寄って帰ろうぜ。

高崎とは反対の隣に座っていた中川にも声をかける。彼は俺は先に帰るよ、と告げて席を立つ。

カースト圏外の俺が言えたことではないが、中川はクラスとそれほど馴染んでいるようには見えない。

習い事や部活にも参加していない。その上、しょっちゅう学校を休んでいた。


 今にして思えば、無理にでも呼び止めてもう少し話をしておけばよかった。

半年後、中川は自主退学した。

一番仲がよかった(と先生方には見えていた)俺に

「普段の中川くん、何か変わったところはなかった?」と聞かれたけど何も答えられなかった。


 あとから振り返れば、分岐点がいくつもある。

その時もっと違う行動をしておけばよかった、もっと踏み込めばよかった、あるいは引き下がればよかった、違う言葉をかければよかった。

そんなことばかりだ。


 些細なすれ違いが異なる世界線へとスライドさせていく。毒杯や短剣はさすがに大袈裟だけどさ、そういうことってある。

あとからいくら考えたって仕方ないことだけど。


 バスケの陽キャ男子がカラオケに行こうとか、カースト上位ギャルに声をかけてるのを尻目に駅に向かう。

劇場から出る時にすれ違った立花と一瞬目が合った。


 すぐに目を逸らして、それぞれが自分のいる場所へと向かう。

暗転した舞台袖ではスタッフが忙しそうに動き回り、ヴェロナ城壁のセットを次の公演に向けて再び組み上げていた。

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追憶ジュヴナイル as @suisei_as

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