真夏の長三和音
単に一人でいることと孤独感は別のものだ。
いわゆる”ぼっち”は単純に一人でいることででも成立する。
大勢の人に輪の中で囲まれていながら、自分は周りと違うという感覚。
人と一緒にいるほど自覚せざるを得ない種類のもの。
孤独感はひとり暗い部屋にいるときよりも、明るい昼間の雑踏で脅威となる。
*
7月の正午過ぎの空は快晴。太陽は頭の真上。
移動教室の授業の間の10分休みはあってないようなものだ。
英語のクラスが終わったら大急ぎでHRの教室に戻って、テキストをカバンに放り込む。
その流れで壁に立てかけてあるギターを手に取って、音楽室まで走っていく。
割と自由な授業スタイルで有名な教諭が担当しているクラス。僕が楽しみにしている数少ない授業。
学校の授業はたいていは退屈でおもしろみはなく、それは美術や体育、音楽であったとしても同じだった。
芸術やスポーツは人間が享受できる娯楽の中でも最も人気があって高尚で奥が深いもののはずが、
ひとたび校舎の中に入るとこんなにもつまらなくなることがむしろ驚きだった。
できれば『天使にラブソングを』みたいに自由で音そのものを楽しめるクラスがいいなと思う。
ゴスペルをR&B、ポップス、ラップでアレンジする前衛スタイル。
さすがにそこまでは期待できないけど、僕のとっているクラスの教諭は前知識もなく退屈なクラシック視聴をさせたりはせず、
それなりにポップでみんなを音で楽しませようとしているのが伝わってきた。
今日はそれぞれが思い思いのスタイルで音楽を表現する日。
ガチのピアノ演奏を披露する人もいれば、CDを流してカラオケをしたっていい。
僕は何人かでインスト曲をカバーした。アレンジという名のごまかしも交えて。
席に戻ると前の座席の尹さんが小さく拍手をしてくれた。
「ありがとう、尹さんたちのグループの歌もきれいで感動的だった」と伝える。
日本中で流行った曲をアカペラアレンジでカバーしていて、素直に聞き惚れてしまった。
僕と彼女は同じクラスになったことは一度もないはずだけど、いくつか共通の授業で一緒になった。
移動する途中も移動した先も、いつも友達に囲まれていた。
スクールカースト上位層メンバーに感じる、少し排他的な優越感を彼女からは感じなかった。
気の置けない明るいしゃべり方、動くたびに揺れる巻き髪がまぶしくて好感が持てた。
すぐに優くんのグループのハンドベル演奏の番になったので前を向く。
彼は陽気な学級委員で人望も厚く、分け隔てなく人と接するめっちゃ良いやつ。
優くんを通じて尹さんとも話すようになったのかもしれない。
凛とした音色の和音に耳を傾ける。
彼は数年後にはこの世からいなくなってしまっていることを、この時の僕は知らない。
誰も知らないし、知ることなどできない。
もし前もってわかっていたとしても多分できることは大して変わらない。
変わらず同じように演奏が終わったら拍手を送る。
それがいつになるのかなんて知ることなんてできねぇけどさ。
最後の時は大勢じゃなくていいから、自分のことをよく知る誰かに拍手で見送られたいよな。
*
「今週の土曜日って模擬試験だよね」
「そうそう。ようやく期末が終わったのにね」
「ヤバ。まったくなんにも勉強してない」
「今できることをそのままアウトプットするしかないよな」
授業が終わったのでダラダラ教室へと戻る途中。
優くんと尹さんとしゃべりながら歩く廊下。
真夏の日差しがガラス越しに照りつける。僕たちの足元に等身大の影をつくる。
*
土曜日の午後。制服を着て予備校の大教室に集まった。あたりを見渡すと見たことない制服ばかり。
賢そうなインテリメガネとか余裕こいてる陽キャ集団とか尻目に自分の席を探す。
学校とは無関係に申し込み順に番号が並んでいる。知ってる人はほとんど近くにいないんだろうな。
「よっお疲れ」
尹さんがまた僕の前の席だった。妙にシンクロするんだよな、こういうのは。
はっきしいって全然手ごたえのない世界史とそこそこ点を稼げたっぽい英語。それが終わってあとは現代文・古文漢文。
解答用紙は持ち帰ってよくて、後日結果が学校へ郵送されるらしい。
まぁ勉強してないけどそこそこ行けたかな。これがもう二流・三流の考え。
「裏の漢文までけっこうギリギリだったよな」
「えっ裏なんてあったっけ?」
尹さんはけっこう天然を炸裂させることがあったけど、ここでもキメるとは流石だ。
だらだらと駅までいっしょに歩いて帰る。
どういう大学に行きたいかとか、そんなことを話した気がする。
「じゃあ私こっちだから」
また学校で、と手を振ってバイバイ。
それぞれ別の路線の改札に向かう。
僕の記憶はここで途切れている。
高校3年生の夏休み以降、一度も話さなかったことはないと思うけど。
記憶は先入先出法は適用されない。頻繁に思い出したり、その人にとって特別だったりするものは別の場所にしまわれるのかもしれない。
コンクリートの上で溶けそうな真夏の日差しを浴びると
なぜか今でもあの模擬試験の日のことを思い出す。
*
卒業してから数年。SNSのフィードで優くんの訃報を知った。まったく現実味がなかった。
親類で行われた式には参加できず、仲間内での集まりにも参加しなかった。
そこからまた何年も経って、別のSNSで尹さんと繋がった。
Mutual Friend、共通の友達がフォロワーに一人もいないけどまぁいいか。
唐突にフレンド申請を送ると承諾の通知。意外にも向こうも僕のことを覚えていてくれて、素直にうれしい。
尹さんの卒業後はNYに渡ってキャンパスライフだか留学ライフだかを満喫している様子は知っていた。
それ以降は優秀なキャリアを積んでいったらしい。
フォローしてから1,2週間経ったころ。結婚を報告する投稿があったので「いいね」を押した。
SNSの最大の特徴でもあって、嫌いなところでもあるこの機能。
人気の投稿が伸びるアルゴリズムは別にどうでもいい。
何の気なしに目についた、どこかの誰かの投稿に対する「いいね」。
かつての同級生の、紆余曲折を経た幸せの報告に対する「いいね」。
それらの間の距離は果てしない。
誰かにそれを伝えるすべもないから、多分こうして勝手に言葉が走り出す。
誰かに「いいね」の重さを伝えられるなら、優くんに「今彼女キラキラして、最高に幸せそうだぜ」って真っ先にLINEしたい。
*
あの夏の模擬試験を思い出すのは偶然じゃない。
その夏はすべてに対して行き詰った閉塞感を感じていた。
あの頃の僕はネットの情報を漁って彷徨った。
何を思ったのか尹さんのフルネームをGoogle検索にかけると、学童保育所のようなところで行われたインタビュー記事がヒットした。
”「学校よりもここの方が楽しい」とそっと教えてくれた。”
在日外国人が多く集まる地域のコミュニティが発行していたメディアの記事だった。
彼女が小学生くらいの頃に感じていた何かに触れてしまった気がして、ウィンドウを閉じた。
そんなインタビューを受けたことすらきっと忘れていただろう。
それから何年も経った高校生活で人の輪の中で、
明るい笑顔と揺れる髪で夏をさらに眩しくした。
さらにその先の未来には、自分と同じルーツを持つハンサムな男の隣に立つ花嫁姿。
想像でなぞることしかできないストーリーライン。
幸せとか生きてることの意味なんて見つからないかもしれない。
もし叶うのならあなたみたいになれたらと思う。
叶わない世界線は残酷できれいだ。
僕はあくまで冴えないままで退屈な朝と昼と夜を放り出して、欲望に背中を押されていく。
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