A5304T

 ある夏の土曜日の夜。自転車で塾から帰る夜道。授業の後の雑談が長引いて少し遅くなった。


「社会のテスト、ダルかったな。ドラマ見逃しちまった。お前は見てるか?」


「学園ドラマは特に退屈だから1話も見ていない」


僕は流行りの音楽や番組には疎かった。うちにはTVは一台、リビングに置いてあるものがある。それは家族共有の資産だったので、母が録画したドラマを見たり、父がサッカーを見ながら寝落ちしたりするのに主に使われていた。だからテレビゲームもろくにプレイしていない。

主に自分の部屋にあるノートパソコンで適当にテキスト・サイトを巡回するのが趣味らしい趣味だった。


「なんか夏らしいことしてぇよな」


「暑い。蝉の声がうるさい。これだけで十分に夏だよ」


僕はイベントやレジャーは好きではなかった。カラオケもボーリングも花火大会も、自分とは関係のない別の世界の出来事のように思えた。

携帯も持っていないので、学校から帰れば数名のクラスメートとチャットでコンタクトをとる以外は連絡をとることもなかった。


 隣をチャリを押しながら歩いているサリエリ。斎藤悠斗が本名だが「さそり座、A型、陸上部」をテンポよく自己紹介したのをクラスメートにいじられて、略してサリエリになった。

やつは親に買ってもらったばかりの東芝の折りたたみ式携帯電話を操作していた。高速通信でインターネットブラウジングや着うたをダウンロードして楽しめるらしい。

自慢げな口ぶりで語るサリエリが、湘南乃風とかいうグループの曲を再生する。

そんな小さな画面でネットサーフィンをしたり、ひどい音質の音源を小さなスピーカから流すことの意味がわからなかった。

あとせめて、モーツァルトを流してくれよ。


「それじゃ、またな」


ローソンがある曲がり角の先から道が分かれていてサリエリは左、僕は右の方へと進んだ。

じゃあなと手を振るやつの視線はケータイに釘付け。自転車のライトが頼りなげに揺らいでいた。



 公園のブランコで一息つく。どうしてこんなに疲れているんだろう。その時は理由を見定めることはできなかった。思春期の健全な成長を前に、インターネットでは過多な情報をあまりに容易に手にすることができた。情報の発信源には天文学的な可能性の果てに、触れられるかどうかだというのに。


 ふとブランコから生垣の方を見ると、キラリと光る二つの目がこちらを見ていた。一瞬身を屈めて警戒するが、なんのことはない黒い野良猫だった。

こちらの方にやってきて擦り寄ってきたので、恐る恐る背中を撫でてやる。


「ごめんな、何もあげられるものは持ってないよ」


猫は不満げに喉を鳴らしてこちらを見上げると、悠々と公園の奥の方へと立ち去っていった。



「サリエリな。俺もあいつは好かねぇ。ウチの親も向こうの親と反りが合わない」


週明けの月曜、部活をすっぽかして僕はSの部屋へと入り浸っていた。Sはとっくに部活はやめていて、自作のPCを組み上げたり違法アップロード映画や洋楽のブート音源を漁るのに熱心だった。

Sとは好きな本や映画や音楽が被ることはそれほど多くなかった。それよりも嫌いなものが一致することの方が多く、それで意気投合した。

僕は筋金入りの陰キャだった。Sはどちらかと言えばムードメーカーで運動部顔負けの運動神経で、英語が得意だけど実は理系。問題児だと思われがちだが実は繊細な芸術肌タイプだった。そして中学2年生の1学期にしてすでに彼女がいた。圧倒的に天と地ほどスペックが違うのに、一緒にいて楽しく心地いいのが不思議だった。


「そんなことより今度マトリックスの新作見に行こうぜ!チャリで」


そんな僕の思いを知ってか知らずか、気さくに次の予定を決める。Sの何よりの持ち味は、思い立ったが吉日の行動力だ。

次の予定を決めたら確実に実行に移す。とんでもないことでも、完全に合法で健全な計画でも。僕は二つ返事でOKした。


 その週末の金曜日。例によって部活はサボって帰宅して、チャリに跨ってSと合流した。

Sの自転車は確か崖から落ちて破壊されたはずだったが、どこからかママチャリを”拝借”してきて、それに跨っていた。


「18時からの回だから、早めに着いたらマックでも食ってから映画見ようぜ」


そう言って颯爽と走り出していく。待ち合わせ場所から横浜駅の映画館までだいたい15km。脚力の差が大きすぎてついていくのがやっと。

息を弾ませながら坂を下って、また登る。横浜市のほとんどは坂道で構成されている。

額から走る君の汗が、夏へ急ぎ出す。



 まだ明るい夜の入り口に立って、影を伸ばす。目の前に二つ伸びていく等身大。

追いかけるようにペダルを漕ぐ。進んだ分だけ影は僕らから遠ざかる。

無言の追いかけっこは平沼橋を渡ったところで終わりを告げた。


「17時ちょっとすぎだな。マック寄ろうぜ」


橋の下にチャリを勝手に停めて、西口五番街のマクドナルドまで向かう。

コーラとポテトS、チーズバーガーをふたつ注文する。Sはマックシェイクとハンバーガーを3つを買い込んだ。

プラスティックの椅子に座って、バーガーを口に放り込む。10キロ走ったあとはなんでもうまいけど、これは格別。


「そういえばサリエリが買った新しいケータイはなんだったって?」シェイクを啜りながらSが尋ねる。


「さぁ。東芝のなんだったかな。A5304Tとかいったとおもう。グリーンのやつ」


くだらない機種だね、とすかさずSは一蹴する。東芝製なら携帯なんて持たない方がいいとでも言うかのように。


「Sは何を持っているんだっけ?」


「SONYの着せ替えができるモデル。俺はSONY製品しか使う気はない」


それはそれで偏ってるだろ、と思うけれどVAIOやウォークマンを愛用していることからその言葉は嘘ではないと知っている。

ソニータイマーなんて言葉があったけれど、それについてはどうなんだろう。


「いいか、形あるものは全ていつかはなくなる。全てだ。このポテトがそうであるのと同じだ」


そう言って僕のポテトを勝手につまんで口へ放り込む。

確かに一理あるな。いずれ無くなるものを憂いて避けてもしょうがない。今ある最高を謳歌するのが一番いいのかもしれない。


「そろそろ早めに映画館に入っておこうぜ」


Sが残ったポテトぜんぶ口に入れながら告げる。僕もコーラを飲み干して席を立つ。

五番街を抜けて橋を渡り、チケットの販売窓口までの道を並んで歩いて向かった。


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