第33話

ささささっと、音を立てずに摺り足で歩く。


目の前には男女二人。図書室の隅の机に二人が座ったのを確認し、本棚の陰に隠れて様子を窺う。


私は今、この二人の関係性を調べるべくこっそり跡をつけているのである。


二人のうち一人は、シリル・アークライト様。

彼は言わずと知れた名門、アークライト公爵家の生まれで次期宰相。そしてとっても美形。


学業も優秀なためご令嬢方から注目の的だ。しがない子爵令嬢の私も、実はこっそり憧れていたりする。


そして女性の方は、エリカ・ノートンさん。彼女は私と同じ子爵家だけど、元平民の養女。女性の中でも小柄な方で、その可憐な仕草は男を魅了し、女を嫉妬させる。


最近この二人は放課後にこそこそと会っているので、巷では噂になっている。

私にはいつも茶会をする仲の良い三人がいるのだが、このあいだの茶会でその話が出て、私が調査役を任命されたのだ。



数分後。私は疑問を抱いていた。


二人は教科書を開いているのだが、これは勉強しているというよりいちゃいちゃしているのでは…?


特にノートンさんの方からくっついていっているように感じられる。

大丈夫かな、シリル様、婚約者がいらっしゃるんじゃ…?


対するシリル様は、あまり気にされていないご様子。さりげなく体を遠ざけたりはしているが、そこまで嫌ではないみたい。


「ねえ、シリル様、目を閉じてみてください」

ノートンさんが言うと、シリル様は不思議そうな顔をした。


「ん?何故だ?」

良いから良いから、と楽しそうに笑う。プレゼントでも渡すのだろうか。


シリル様は納得できないような表情をしながらも目を閉じた。


…綺麗な顔。


普段のアルカイックスマイルも良いが、真顔で目を閉じていると整った顔立ちがよく分かる。


この方の寝顔を一番近くで見られるローゼンバーク辺境伯令嬢はさぞ幸せだろうな、と思った。


と、彼の婚約者に想いを馳せていると、ノートンさんがおもむろに顔を近づけて…


キスをした。


思考が一気に現実に引き戻される。


目の前で行われる色っぽい光景に、思わず息を呑んで口を押さえる。


恋愛小説で読んだことがあるけれど、実際に見るとこんなに羞恥心を誘うものなのか。顔が熱くなっているのが分かる。


シリル様もこれは予想外だったようで、閉じていた目を見開いて息を止めている。


しばらくして、ハッと我に返ったシリル様がノートンさんを引き離した。


「ぷはっ!い、今、」

「えへへ、唇、奪っちゃいました」


いや、えへへ、じゃねえよ。

盛大なハニートラップをかましておいて未だに純粋無垢を演じようとするノートンさんに、思わずツッコミを入れてしまった。顔からストンと表情が抜け落ちる。


これは他のご令嬢方が嫉妬するわけだ。嫉妬というより嫌悪に近い。


私は彼女とクラスが違うので噂程度にしか聞いたことがなかったが、まさかここまで狡猾な女だったとは。


…ん?何か様子がおかしい気がする。


ふと、シリル様の反応を見ていると、みるみるうちに血の気が引いて真っ青になってしまった。


どうしてだろう?こういう時は顔を赤らめて相手を意識するのが恋愛小説の常なのだけど。


「ああ、そんな、どうしよう、俺、レベッカ嬢ともまだしたことないのに…」

視線を彷徨わせ、どうしようどうしようと狼狽えた顔で繰り返している。


それを聞いて思う。まさか、あのシリル様が、ファーストキスがまだだったなんて。これは耳寄りな情報だ。

しかしそれはノートンさんによって奪われてしまった。


と、そこまで考えて納得する。

なるほど、シリル様はおそらく、初めては婚約者と、と決めていらしたのだろう。それであんなに狼狽えているのだ。


ノートンさんはその反応が意外だったらしく、怪訝そうな表情をした後、悔しそうな顔を見せた。


ああやっぱり、わざとだったんだ。

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