4回目 後編

 ……今回も、十五年ばかり、神隠しにあっておりました。

 笑ってしまいますよね、ほんと。

 自分で話していても、出来の悪い作り話みたいで……。

 でもね、本当なんです。これは、本当に、本当の話……。


 娘の姿になった私は、妖怪達に手を引かれ、まずは娘の部屋へと連れて行かれました。


 ──言葉ですか? 妖怪達の?

 ああ……そうですね、人間の言葉とは違うんですが、何となく、わかりました。やはり、神通力のようなものが備わっていたのかも知れません。娘と体が入れ替わったくらいですから、これくらい、ねえ、不思議でも何でもありませんよね。


 ええと、それで、部屋に連れて行かれて。ベッドに寝かされました。私も彼の世へ渡った影響か、目眩や吐き気を感じておりましたので、素直に従いました。


 妖怪達は横になった私を心配そうに見つめておりましたが、しばらくすると部屋を出て行きました。


 ──恐怖心は、不思議とありませんでしたね。彼らに悪意がないことは、何となくわかりましたから。目を閉じると、私はすぐに眠ってしまいました。


 突然の痛みで目が覚めました。胸のあたりで、激しい痛みがありました。慌てて着ていた服をはだけると、胸の真ん中を縦に走る大きな傷跡がありました。見覚えのない傷です。それはすでに塞がっているようでしたが、痛みは生々しく、まるで今斬りつけられでもしたかのようでした。


 私の叫び声が聞こえたのでしょう。妖怪達がバタバタと部屋の中に入って来ました。妖怪のひとりが、薬のようなものを手渡してきたので、私は少し迷いましたが、あまりに痛みが辛かったので、それを飲み込みました。


 しばらくすると、痛みが引いてきました。やはり痛みを消す薬だったようです。大人しくなった私を見て、妖怪達も安心したようです。この痛みには……今では良くなりましたが……その後も長く苦しめられることになります。


 それから、私と妖怪達との生活が始まりました。それはとても規則的で、代わり映えのしない、単調なものでした。


 朝起きると、誰かが朝食を持って来てくれます。人間のものと変わりない食事です。それを食べ、用意された服に着替え、身支度を整えます。妖怪のお医者様がやってきて、私の体を簡単に調べます。次に数人──それとも数匹、ですかね──の妖怪がやってきて、私の手を引いて講堂へ連れて行かれます。舞台の真ん中に置かれた椅子の上に座らされると、客席を埋め尽くした妖怪達は祈るように手を合わせ、何かぶつぶつと唱え始めます。それが数時間続くので、私はたいてい座ったままうとうとしていました。ようやくお祈りが終わるとまた部屋に連れて行かれて、昼食の時間です。午後は特にすることがないので、窓の外を見たりしながらぼんやりして過ごします。私、けっこうそうしてぼんやりしているのが好きなので、あまり苦には感じませんでした。夕食が終わると、またお医者様がいらっしゃいます。その後はもうお風呂に入って、着替えて、身支度をして、寝るだけです。


 単調で退屈な生活ではありましたが、生まれてから初めて味わう、平和で穏やかな日々でもありました。思えば今まで、鬼の住処に攫われ、怪物に慰み者にされ、化け物に嬲られ。穏やかとはかけ離れた人生でしたから。ここが何処だとか、周りにいるのが人間じゃないとか、正直そんなことは些末なことでした。


 数年が経つと、胸の痛みもかなり治まり、薬の量もずいぶんと減りました。お医者様が来るのも一日一回になり、私は健康というものを実感するようになりました。


 そうなると、人間というのは贅沢なもので、単調な日々を少しだけ退屈に感じ始めました。なので私は、妖怪達と会話をすることにしたのです。言葉は、初めはお互いにあまり伝わらなかったのですが、ひと月もすると問題なく話せるようになりました。これもきっと、神通力のおかげですね。


 私が妖怪達と話せるようになったことが広まったのか、定期的に私の部屋へ誰かがおしゃべりをしに来てくれるようになりました。おしゃべりの内容は他愛のないもので、大半がちょっとした相談でした。好きな人がいるんだけれどどうしたら良いかとか、死にたいんだけれどどうしたら良いかとか。本当に、他愛のないお話です。


 ……振り返ってみれば、あっという間の十五年でした。以前の神隠し……特に二度目と三度目の時は……とても長く感じたものです。苦痛に満ちた日々は長く感じて、穏やかで幸せな日々はあっという間に過ぎていくなんて、神様はいじわるですね。本当に。


 ある日のことです。建物の外から、誰かの大きな声が聞こえてきました。そんなこと、この世界に来て十五年で初めてのことでしたから、私は驚いて窓の外を覗きました。


 建物の入口付近に、黒い服を着た大勢の影が見えました。数人の妖怪と、何か大声で話しているようです。この世界で妖怪達以外の存在を見たのも初めてだったので、私は再び驚きました。


 しばらく見ていると、黒い集団は妖怪達を押しのけて、建物の中へと入って来たのです。部屋は三階にあったので、しばらくはむしろさっきよりも静かだったのですが、だんだんと口論するような声や乱暴な足音が近づいて来るのがわかりました。私は恐ろしくて……ベッドに潜り込んで震えておりました。


 いよいよ足音が部屋のすぐ近くまでやって来ました。数瞬の間があってから、部屋の扉が小さくコンコンと叩かれました。また少し間があってから、コンコン、コンコンと……。


「芝原さん、そこにいらっしゃいますか?」


 扉の向こうから、男の人の声が聞こえました。はっきりとした日本語です。私は震える声で「はい」と応えました。


「危害を加えるつもりはありませんので、こちらを開けていただけますか?」


 ……すぐには返事を出来ませんでした。だって、ねえ、恐ろしくて……。ですが、扉を壊して無理矢理入ってでも来られたらと思うと……。私は意を決して、扉を、開きました。


「芝原花子さんですね?」


 扉の目の前に立っていたのは、流暢な日本語を話す、黒い妖怪でした。


「いいえ、私は芝原葉子です。花子は私の娘です」


 そう答えると黒い妖怪達は少し困惑した様子でした。ですがすぐに冷静になって「わかりました。それでは芝原葉子さん、こちらへ」と言って私のことを取り囲むと、部屋から出るように促しました。そうしてそのまま建物の入口──この場合は出口かしら?──へ連れて行ったのです。


 隣に立った、背の高い妖怪が、私に、外へ出るよう手で示しました。私は……建物の外に出るなんて、十五年間、一度もなかったので……でも、もう後戻りは出来ないんだと、腹を括りました。重い、ガラス扉を押し開き、外へ出ると、爽やかな風が頰を撫ぜました。


「こちらへ」


 いつの間にか隣に立っていた、背の高い男性が言いました。

 ──いえいえ、人間の男性です。


 何気なく後ろを振り返ると、懐かしい、施設の皆さんが、心配そうに私を見つめていました。


 ああ、帰って来たんだ。と、理解しました。


 寂しいような、でも少しほっとしたような気分でした。


「施設長」


 誰からともなく声が上がりました。

 私は振り向いて「大丈夫よ」と、一言だけ……。


 私は車に乗せられました。

 車が発進して、私は一度だけ後ろを振り返りました。


 私の、愛する娘が作った施設が。

 彼の世と此の世の狭間に位置する、あの不思議な場所が。

 笑ってしまうくらいあっという間に、遠ざかって行きました。


 こうして、私の四度目の神隠しは終わったのです。

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