4回目 前編
娘の施設で働き始めた始めのうちはね、カシマさん……いえ、あの化け物やら怪物やらが、私を追いかけて来るんじゃないか。連れ戻しに来るんじゃないか。と、怯えていたのですが、半年、一年と経つ頃にはそんな恐怖も忘れてしまいました。むしろ来るなら来いくらいの感じで。うふふ。
用務員の仕事も、こう、ひとに頼りにされる、私でも誰かの役に立てているという実感がですね、とても幸せで。毎日楽しくしておりました。
娘ともね、ようやく、親子らしい時間が過ごせるようになって。これまでの人生をね……娘ももう子供じゃありませんし、色々とね……振り返りながら話したりして……。幸せでした。
二年も経つ頃には、施設で暮らす方達ともすっかり仲良くなりまして。娘はそこの人々に「施設長様」と呼ばれ、とても慕われておりました。……こういうのも『七光り』と言うのでしょうかね、私は皆さんから「お母様」と呼んでいただいておりました。ちっちゃな子供達も「おかあさま、おかあさま」なんて無邪気に呼んでくれて……私は娘が小さい頃に、母親としての役割をきちんと果たすことが出来ませんでしたから……嬉しくて……。
そんなときのことです。
娘が、病に倒れたのは。
病名は……私は教えていただけなかったのですが……とにかく治る見込みは、病気が見つかった時点で全く無いという話でした。
施設の中にはお医者様もおりましたし、検査機器などもちょっとした病院と変わらないようなもの──と、娘から聞きました──が揃っておりました。娘はそこで、可能な限りの治療を受けました。
──え? それは……娘は……いえ、施設に住む方達は、私も含めて、外の世界と関わることに、多かれ少なかれ、恐怖心を抱いておりましたので……。なので、施設の外に出ることは、選択肢としてありませんでした。ご理解、いただけますか?
娘の身体は日に日に弱っていきました。私はそんな娘の姿を見守ることしか出来ませんでした。娘は「お母さんが側にいてくれるだけで幸せ」なんて言ってくれましたが……。私は……情けなくて……情けなくて……。
施設の方達は、お見舞いに来ることは控えて下さっていました。お医者様から「身体に障るから」と言いつけられておりましたから。なので、娘への心配は、自然と私に向いたのです。
お母様、施設長のご様子は?
お母様、施設長の何か欲しいものは? なんてね。
皆さん、不安だったのでしょう。娘は、花子はその施設の象徴のようなものでしたから。純粋に娘を心配する気持ちが半分と、娘が、その……死んだあと、いったどうなってしまうんだろうという不安が半分と。皆さんの言葉や表情からは、そういった感情が見て取れました。
闘病生活が始まって、一年程が経ち、お医者様はいよいよだめだろう、というようなことを、おっしゃいました。素人目に見ても、確かに娘は……もう……ああ……だめなんだろうなあ、と……ごめんなさい……ちょっと…………。
……そんなとき、娘が、娘の部屋に、私を呼んだのです。部屋には娘と私、そして施設の幹部、というんですかね、各部門の長が集められておりました。
娘はか細い、ですがはっきりとした声で言いました。
「今夜、継承の儀を執り行います」と。
私は意味がわかりませんでしたが、幹部の皆さんは娘の言いたいことがわかったようでした。静かに頷くと、ゆっくりと、一斉に私の方へ顔を向けました。
「お母様」と、青山さんという──経理部長の方が、ゆっくり口を開きました。四十代くらいのね、ちょっと男ぶりの良い方で……。
「お母様、今お聞きになられた通り、今夜『継承の儀』を執り行いたいと思います」
「すみません、継承の儀とは、何でしょうか」私は聞きました。
「お母様が次の施設長となる為の儀式です」
「私が……? そんな、私に施設長なんて……」
「いいえ、お母様。あなたにしか出来ないのです」
こんなやり取りをもうしばらくしましたが、私は、なぜ私が……娘の母親であるからといって、施設長にならなくてはならないのか、全く理解できませんでした。私は頭も良くありませんし、世間知らずで、不器用で……施設長に相応しい人は他に──それこそ青山さんなんかが、ねえ、やるべきだと思いました。
ですが、皆さんは「どうしてもあなたでなくては」と……。
娘も「ひとと違う経験を沢山してきたお母さんにしか、このことは頼めないんだ」と、肺腑から絞り出すような声で、ねえ、必死に訴えるもので……。
結局その夜、私は流されるままに、講堂の舞台に立たされていました。娘がよく施設の方達へ講演──私は、ねえ、ほら。どうせ聞いたところで難しい話はわからないので、聞いたことがなかったのですが──を行っていた場所です。客席は満席で、通路に立っている方もいらっしゃいました。
薄暗い舞台の上には、何と申しますか……ちょっと、こう……蝋燭であったり、不思議な紋様が描かれた垂れ幕であったりが飾られていて……神聖な、というよりは少し不気味な雰囲気がありました。床にも紋様が描かれていて、その真ん中に、娘が座っておりました。
「お母さん」と、娘は言いました。「これから継承の儀を執り行います」
「花子……その、お母さんより、施設長に相応しい方はいらっしゃるんじゃないかしら」
「いいえ、お母さん。お母さんじゃなくちゃだめなの。それにね、お母さんは施設長になるんじゃないのよ」
「そうなの?」
「お母さんはね、私になるのよ」
私は……娘が何を言っているのかわからず、娘の前に、馬鹿みたいに突っ立っておりました。
気が付くと、いつの間にか講堂内の照明は落とされ、辺りは蝋燭の心許ない光にちらちらと照らされておりました。
そうして、儀式が始まったのです。
いつの間にか紋様を囲むように、幹部の皆さんが立って、何だか……呪文、とでも言うのでしょうか。耳慣れない言葉を、祈るように呟いておりました。娘も、弱った身体の何処から出てくるのか不思議なくらい、力強い声で祈っていました。
私はなんだか、よくわかりませんが、娘のその姿に……その、感動してしまって。泣きながら、娘の手を……細く、本当に細くなってしまった手を、ぎゅっと握りました。
「後のことは、お母さんに任せない」と、自然と口をついて出ました。
娘は私のことを真っ直ぐに見つめて「ありがとう」と……。
その時です。突然、私の視界が真っ暗になりました。気を失ったようです。
──気が付くと……私は……先程、娘が座っていた紋様の中心に、座っておりました。娘の姿が見当たらず、キョロキョロとしていると、近くにいた人影が、私にそっと手鏡を渡してきました。薄明かりの中、不思議に思いながら覗き込むと、そこには……そこには私ではなく、娘の顔が映っておりました。
わけがわからず、ぼうっと手鏡を見つめていると、急に講堂のライトが点きました。……しばらくして明るさに目が慣れてくると……そこには、その、何と例えれば良いか……西洋風のお化けと言いますか……あの、まるで大きな白い布を頭から被ったようなね、妖怪達が、講堂いっぱいにおりました。
娘の顔をした私、白い妖怪達。普通であれば信じ難い状況ですが、私はすぐに理解しました。
儀式の結果、私はまた彼の世へと連れてこられたのだと。
……いいえ、もしかしたら、元からこの施設は妖怪達の家だったのかも知れません。私が娘の姿になることで、ようやく真の姿が見えたと言いますか……。実際のところは、私にもわからないのですけれど。
こうして、私は娘の手で、四度目の神隠しにあったのです。
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