3回目 後編
それからの日々は……本当に、長かったです。本当に、とても……。十五年間です。十五年もの間、私は化け物二匹の世話をさせられたのです。
普段、二匹は家の中──木造で、平屋のね、そう広くない家です──でごろごろして、時々起きてお酒を飲んだり、テレビを──そう、テレビは普通の……人間の番組をやっていましたね。あの、ほら『てなもんや三度笠』とか『シャボン玉ホリデー』とか。ほら、ご存知ありませんか?──そういった番組をぼんやりと見たり。とにかくだらだらとね、だらしなく過ごしておりました。
そう、それでお腹が減ると、バンとちゃぶ台を叩くんです。でもね、それから作るんじゃだめで。叩かれたらすぐに出さないと殴られます。かといって作り置きをしてもだめです。出来たてじゃあないとね、やっぱり殴られるんです。
お酒が空っぽになっても殴られます。だから空になる前に買いに行くのですが……町の人達もね、もともとは優しい人達だったんですけど……みんな化け物になっていました。辛く当たられましたよ。ええ。まるで腫れ物にでも触るような態度で。こっちだってね、化け物相手に愛想笑いなんてしたくありませんから……ねえ。
化け物は、お金をほとんど持っておりませんでした。当然ですよね、お金は本物のカシマさんがお持ちなんですから。
始めは、私が働きに出るって、話だったんです。だけど、ほら、二匹とも私がいないと何も出来ませんから。だから、私が働くのはだめだ、ってことになったみたいで。まあ……もちろん、逃げたら困るって、そういう理由もあったかも知れませんが。
じゃあどうすれば良いか、って話ですよね。
……化け物も、怪物も……まあ同じようなものですから、こう、繋がりがあるんでしょうね。
──ええ、そうです。二度目に神隠しにあったときの、あの怪物が、時々家に来るようになったのです。私を痛めつけるあいつですよ。きっと、ずっと私のことを探していたんでしょうね。
あいつが家に来てすることなんて、ひとつですよ。あの時と同じ……いえ、あの時よりひどくなっていたかも知れません。叩いたり、縛ったり……服で隠れるところばかりね、ええ、いつも傷だらけでしたよ。
帰るとき、あいつはかなりの額のお金を、化け物のカシマさんに渡していました。私にそんな価値があるなんて、ね、ちっともわかりませんけれど。
とにかく、私は二匹にとっての家政婦であり、玩具であり、金蔓だったのです。
──え? ああ、はい……。他の怪物も来ましたよ。ええ。
ええ、本当に…………本当にね……醜い、怪物達でしたよ。
ええっと、それで、その後の生活ですけれど。十五年もあったのにね、話せることはほとんど無いんです。毎日毎日、同じことの繰り返しで。
驚きますでしょう? 十五年ですよ?
私だって歳を取ります。容姿だってね、そりゃあ、若い頃に比べたらね……もともと大したものじゃないですけれど。うふふ。
それなのにねえ、怪物達はずっと……馬鹿みたいにずっと!
家に来ては私に乱暴して!
少なくないお金を置いて帰って。
十五年ですよ!? 十五年!
それで化け物二匹は、これも馬鹿みたいね!
テレビ見て、お避け飲んで、私を叩いて!
十五年間も! 十五年間も!!
…………ごめんなさい、ちょっと……。
──はい、大丈夫です。ごめんなさい……はい。
……それで、そう、そんなね、ある日のことです。
お酒を買うために、家を出ましたら、玄関の前の、こう、ちょっとした生け垣のところに、何やら封筒がひとつ、刺さっていたのです。落とし物だったら大変ですから、私、それを拾い上げたのです。
封筒の表は真っ白──と言っても、よくある茶封筒でしたが──で、何も書かれていませんでした。それで裏返してみると、そこに、娘の名前が……。ああ、そうだ、花子というんです。──え? あ、娘の名前です。そういえば、言ってませんでしたよね? 花子。そう、花子と小さく書かれていて。
私、驚いてしまって。足早に近くの路地へ入ると、こっそりと、封筒を開けました。
そこにはいくらかのお金と、地図が入っておりました。
──ええ、それだけです。
地図には、この家から目的地までの道程が詳しく書いてありました。
……ちっとも迷いませんでした。それがどういう意味を込めた、手紙なのか。母親ですからね。確信がありました。
私はそのままの格好……エプロンにサンダルで、買い物かごを下げたまま、駅まで走りました。道行く化け物達が不審そうに見ていましたけれど、そんなの気にしませんでした。
駅に着くと、指定された駅までの切符を買いました。改札の駅員──それも当然化け物です──も何だか怪しんでいるような視線でしたが、捕まることはありませんでした。同じ町に住んでいる化け物というだけで、家にいる二匹の仲間というわけでは無いんですよ。あはは。
電車が来るまでの時間……十分かそこらだったと思いますが、とても……とても長く感じました。私はベンチに座ってね、娘からの手紙を、お守りのようにぎゅっと握って……。
ようやく電車が来ると、私は慌てて飛び乗りました。車内は空いていて、私しかいなかったので、心底ほっとしました。
走り出してすぐ、空気が変わったのがわかりました。それで……ああ、そう、夏のことでね、窓が開け放たれていて……。電車が走り出すと、いつの間にか汗でぐっしょり濡れていた服が、窓から抜けていく風に吹かれて……それがとっても涼しくって……。
その後は、もうすっかり此の世……人間の世界に戻っておりました。あの十五年も続いた地獄からは、本当に、あっさりと抜け出せてしまいました。それも全て娘のおかげです。本当に、優しい子で……。
何本か電車を乗り継いで、着いたのは見知らぬ町でした。埼玉県のS市というところです。地図で見れば東京からさほど離れてはおりませんけれど、東京……と言っても、ほら、化け物のねえ、彼の世の東京? におりましたから。なので、ずいぶんと遠くまで逃げてきたような気がしました。
地図を頼りに目的地へ辿り着くと、そこは養護施設……と言うのでしょうか、子供から大人まで、身寄りのない方達が共同生活をされている施設でした。周りは木々に囲まれて、ええ、とっても綺麗で、大きな建物でした。
恐る恐る建物の中に入り、受付の方に私の名前を告げると、その方は慌てた様子で「少々お待ち下さい」とおっしゃって、何処かへ小走りに去っていきました。私は近くにあったベンチへ腰を下ろしました。
すると、どっ、と。疲れが溢れてきました。緊張が解けたのでしょうね。そうすると今度は、何だか自分の服装が恥ずかしくなってきちゃって。うふふ。可笑しいですよね。慌ててエプロンを外して、買い物かごに突っ込みました。
しばらくして、先程の受付の方に連れられて、娘が……花子がやってきました。十五年ぶりに再開した娘は、すっかり大人になっておりましたが、私はひと目でわかりました。
娘とは、抱き合って再会を喜びました。娘は何度も「遅くなってごめんね」と言いましたが、そう言いたいのは私の方でした。
その後、私達二人は上階の、広い部屋に移動しました。そこは娘の部屋でした。驚いたことに、娘はこの施設の経営者だと言うのです。本当に、立派になって……ねえ。私なんて何も、この子にしてあげられなかったのに……本当に、立派になって……。
……こうして、私の三度目の神隠しは……こういうのをハッピーエンドと言うんでしょうかね。私が思いつく限り最高の……最高の形で終わったのです。
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