3回目 前編

 カシマさんと暮らし始めて……一年くらいですかね。


 ──ええ、とっても、幸せでしたよ。今までが嘘みたいに。お金も余裕がありましたしねえ……。皆で穏やかに暮らしていました。カシマさんは日中お仕事に──いえ、そういえば何のお仕事をされていたのか……聞いたことはありませんでしたね──私と娘はお家に残って、家事をしたり、遊んだりね、して。

 娘は学校に行っていませんでしたし、私も読み書きが出来なかったので、カシマさんが色々と、お勉強をね、私達二人に教えてくれました。ほんと、優しい人で……。


 ああ、そうカシマさんにはね、息子さんが一人いらっしゃいまして。──いえ、娘なんかよりはずっと大きくて……当時は大学に通ってらっしゃいました。同居はしておらず、大学近くに下宿されているそうでした。たまにこちらのお家へいらしては……娘と一緒に遊んで下さって……。「俺が面倒見てるから、二人は出かけてきなよ」なんてね、優しいことを言って下さって……。


 ──異変は突然起きました。

 ある日、娘と二人で買い物に出かけると、何だか町の様子がおかしいのです。何と言って具体的なところはわからないのですが……娘と「何かおかしいね」なんて話をして……。


 ……ええと、それで家に帰ると、玄関の鍵が開いていました。ええ、もちろん閉めて出かけました。恐る恐る扉を開けると、カシマさんと息子さんの二人がいました。それは、珍しいことでした。カシマさんがお仕事から帰って来るのはいつも夜か朝方でしたし、息子さんが平日にいらしたのは初めてでした。

 私は「どうしたの?」なんて声をかけたと思います。その時、気が付いたのです。この二人は、いつもの二人じゃない。『化け物』が、二人に化けているんだ、って。


 馬鹿馬鹿しいとお思いでしょう?

 でも私、二度と神隠しを経験して、そういった神通力というか……。何かそういったものを、見抜く能力というものが身についたのだと思います。

 確信がありました。二人が人間じゃないものに入れ替わっている、と。


 それで私、駆け出したんです。娘の手を引いて。

 すると、町の景色が変わってしまっていて……そうなんです! 先程は「何かおかしいな」くらいだったのですが、もう……その……明らかに違っていて! ──いえ、具体的にはわからないのですが、とにかく……それも神通力の為せる技なのかも知れませんが……とにかく何もかもがおかしくなっていたのです。建物も、人も、何もかもが!


 私は、とにかく、娘の手を引いて……走りました。すると、電車の、駅が見えてまいりましたので、私は、娘にお財布を握らせると「電車に乗って逃げなさい!」と言いました。

 ──え? 私ですか? 私は……逃げるわけにはいかないと思ったものですから……。

 ──何で? 何でと言われましても……ねえ。だって……それは……娘を守る為です。そう、ここで私も、逃げ出してしまっては、化け物たちが追いかけてくるかも知れませんでしょう? だから、とにかく、私が残らないといけないと、そう思ったのです。


 娘の背中を見送り、家の方へと歩き始めると、カシマさんと息子さんが私を追いかけてきました。

 息子さんは「娘は何処だ」と怒鳴りました。私は答えませんでした。すると息子さんは私の頰を叩きました。私は道に倒れ込みました。カシマさんが、そんな私の手をぐいと引き起こすと……「帰るぞ」と低い声で一言いいました。初めて聞くような、恐ろしい声でした。


 町の人達は、そんな私達が見えていないのか、普通にしていました。町の人達も……明らかに人間以外のモノに入れ替わっているのがわかりました。言葉も日本語ではなく、化け物の言葉で話していました。はい。


 家に帰ると、二人は私のことを滅多打ちにしました。私は、理由がわからず、ただ、されるがままにしておりました……。娘を逃がして、本当に良かったと、思いながら……。


 ふ、と気が付くと夜になっていました。気を失っていたようです。狭い部屋の中を見渡すと、隅のちゃぶ台で二人がお酒を飲んでいるのが見えました。二人はもう人間に化けてはおらず、はっきりと、化け物の姿をしておりました。──獣のような姿です。お猪口を持った手には鋭い爪、ぐびりとお酒を飲む口元には鋭い牙が見えました。私は恐ろしくて……また気を失ってしまいました。


 身体の痛みで目が覚めると、朝になっておりました。部屋の中に息子さんの姿はなく、カシマさんが一人、床に転がってイビキをかいていました。

 私は痛みを我慢しながら起き上がり……朝食の支度を始めました。──何故でしょうね。現実逃避かも知れません。


 朝食が出来たのは、もう十時を過ぎた頃だったと思います。カシマさんを起こそうと、そっと体を揺すると……殴られました。一緒にいた一年間、殴られたことなんて一度もありませんでした。やっぱりこれはもう……カシマさんじゃないんだなと思うと、涙が出ました。

 ──ええ、そうですね。娘と一緒に逃げれば良かったと、思いました。でも、もう、あとの祭りですよね。


 夕方になって、カシマさん──いえ、カシマさんだったものが──起き上がりました。そして、水を持って来いと怒鳴りました。日本語でした。

 水をグイッと飲み干してから、カシマさんは「何も聞くな」と一言、言いました。私は……ただただ恐ろしかったので、わかりました、と……応えました。


 カシマさんはすっかり冷めた朝食を、黙って二人分……私が食べずにいた分も平らげると、何も言わずに、家を出ていきました。


 ──ええ、そうですね。確かに、その時、私も逃げ出せば良かったのだと思います。ですが、もう町もすっかりおかしくなっておりましたし……逃げ出しても無駄だと、思ったのですね。


 ……ええっと。──ああ、はい、大丈夫です。


 それで、私は……どうしたのか……ごめんなさい、ちょっと、このあたりの記憶は曖昧でして……。おかしいですよね、ここまでは、きちんと、覚えているのに……。


 ……ああ、そう。私、夜まで、ただその、部屋の中で、ぼんやりとしていたんです。と、いうか、気がついたら、いつの間にか夜だったと言いますか。


 玄関の扉が開きました。鍵はかけておりませんでした。

 カシマさんとは違う化け物──ええ、そうです、息子さんですね──が帰って来たのです。


 ──え? 息子さんの名前ですか?

 ええと……何だったかしら……ごめんなさい。


 それで、その、息子さんは、無言で部屋に入ってくると、突然……私を押し倒して……。はい……。突然、はい……。


 あんなに、優しかった……ええ、そう、二人ともねえ……。

 でも、仕方ありませんね。あれは……そう、あれは、カシマさんと息子さんに化けた、化け物なんですから。


 ……ああ、そう。見た目はね、ずっと化け物のままじゃないんですよ。外出したり、誰か──まあそれもひとに化けた化け物なんですけど──が来たときなんかは、普通の人間の……カシマさんと息子さんの姿にね、なるんですよ。その姿を見るとねえ……我ながら馬鹿ですけど、優しかった、本物のお二人を思い出しちゃって……このまま、あの生活に戻れるんじゃないかって……ねえ……。


 …………ごめんなさい、大丈夫です。

 本当、ごめんなさいね。話が散らかってしまって……。


 それで、はい。そう、そんな風に、私と化け物ふ……二匹との生活が始まったのです。

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