2回目 前編

 一度目の、その、神隠しの後ですけれど。まずは警察の方が私の家族を探してくれたのですけれど、先程も申した通り、家族は皆……その……地震で……すみません。ですので、栃木の方へ嫁いでいた叔母に連絡を取って下さったんですね。


 叔母は、私が生きていたことに驚いて……地震のこともそうですけれど、ほら、戦争が、ねえ、ありましたでしょう。私は、その、鬼のところにいたもので、戦争のことなんて全然……知りませんでしたけれど。とにかく叔母は私が生きていたことを喜んでくれて、うちにおいでと言って下さったんです。でも、私が妊娠していると知って……。


 まずは「誰の子なんだ」と聞かれました。だけど、私もそんなことは知りません。いつ、そんな……ねえ、子供が出来るようなことをしたのか……そんなことすらわからないのですから。もしかしたら鬼の子かも知れない、とも思いましたが、そんな、ねえ、言えるわけもないですし。


 そうしたら叔母は「そんな何処の誰ともわからない男との子供を妊娠するような娘は預かれない」と、そう言いまして……。当時はなんて冷たい人だろうと思いましたが……まあ、戦後数年のことですし、叔母もご主人を戦争で亡くされたようで、余裕が無かったんでしょうね……。仕方のないことです。


 結局、預かり先がはっきりしないまま、私は町に放り出されました。私がその当時──見た目は子供のようでしたが──十八歳で、しかも妊婦だったこともあるのでしょう。警察の方もそこまで積極的に預かり先を探そうとはしていなかったように思いますし、もしかしたら少し頭のおかしな子だと……思われていたのかも知れませんね。


 その頃は、戦争が終わって数年経っておりましたが、それでもまだ町には戦争孤児というんですかね、浮浪児達がけっこうおりました。暗い路地裏なんかに、こう、猫みたいにね、集まって……。行く当てのない私は、彼らの中に入っていきました。優しかったですよ、みんな。娘の出産もね、そんな彼らに助けてもらって……。


 ──ああ、そうだ、ごめんなさいね。神隠しの話ですよね。本当に、恥ずかしい……歳を取ると昔話ばっかりしちゃって……。


 娘が産まれて、一年と経たない時のことです。ある夜のことでした。いつもみたいに、娘に添い寝していたんです。そうしたら……いえ、本当にね、娘と寝ていたはずなのに……気が付いたら、暗い洞窟の中で一人で寝そべっていたのです。ええ、そう、洞窟です。ゴツゴツとした岩肌は湿っていて……広さは四畳も無いくらいでした。


 私は慌てて飛び起きました。私は洞窟の奥──袋小路になっている方へ頭を向けて寝ていたのですけれど、足元の方は通路になっているようでした。ですが、私のいる空間と通路の間には、こう、木の格子がありまして。何ていうんですかね……座敷牢のような……。とにかく私はその格子を掴んで、助けてとか何とか叫びました。


 娘がいないことに気が付きました。それで、私は、娘の名前を叫びました。ですが、誰も、何の返事もありませんでした。


 悪い夢を見ているのだと、そう考えました。だって、ねえ、あり得ないじゃないですか。そんな、うとうとしていて、気が付いたら洞窟の中にいた、だなんて……。


 でも、夢じゃないってことは、目や、耳や、鼻や、皮膚が、教えてくれていました。ちらちらと揺れる、ろうそくの火。遠くから聞こえる獣のような声。すえた、嫌な匂い。岩肌の冷たい感触。それら全てが、これが現実なのだと語っていました。


 私は呆然として座り込みました。人攫いに、あったのだと思いました。──ええ、もちろん、その時は神隠しだなんて思いませんでしたよ。私ももう子供ではありませんでしたし、路地裏では人攫いに合うことはそれほど珍しいことでもありませんでしたから。


 どれくらい、ぼうっとしていたのでしょうか。窓も何も無い空間ですから、時間の感覚なんて全くありませんでした。ふ、と、目の前が暗くなったことに気が付いて、私は顔を上げました。


 そこには、怪物が立っていました。


 そうです、怪物です。また『鬼』と形容しては芸がありませんが……。背の高い、異形の、何かでした。私は、あまりに恐ろしくて、声も出せずに座り込んでいました。そうしたら、その怪物が、こう、ね、ひょいっと猫を……。ええ、猫、子猫です。それを、格子の隙間から、私にひょいっと渡してきたのです。私はわけもわからずそれを受け取りました。子猫は小さく「にゃあ」と鳴いて、私の膝の上で丸くなりました。怪物は、私にも子猫にも……何だか興味がない様子で、さっさと歩いていなくなってしまいました。私はわけがわからず、ただただ膝の上の子猫を撫でながら、怪物が去った通路の方を眺めておりました。


 どれくらい経ったでしょうか。子猫が私の、その……お乳に噛みついて。それで、ハッと、我に返ったのです。子猫は私のお乳を飲んでいました。私は……娘はどうしているのだろうかと、不安で不安で……自身の置かれた状況以上に心配で、少し泣きました。


 ああ、また彼の世へ連れてこられたのだ、と思いました。


 しばらくすると、またあの怪物がやってきました。見かけは恐ろしかったですけれど、何と言うのでしょうか、直感的に……いえ、本能的に、この怪物は私に危害を与えないだろうというように感じました。怪物は私の膝の上で丸くなった猫を、格子の隙間から手を伸ばし、ひょいと摘み上げました。そしてまた通路の向こうに消えたのです。


 遠くの方から声が聞こえました。日本語のようでしたが、不思議と意味はわかりませんでした。怪物達の言葉なのでしょう。


 耳をそばだてていると、今度は足音が聞こえてきました。その音は、こちらへ近づいて来るようでした。またあの怪物がやって来たのかと思って、私は着物の──そうです、私は、和装でした。そこに来る前は洋装だったはずなんですけど……いつの間に着替えたのか──乱れた裾なんかを、あの、正しました。


 ぬっ、と現れたのは違う怪物でした。

 私は驚いて、小さく叫んで洞窟の奥へ後ずさりました。


 その、新たな怪物は先程の怪物よりも背は低かったですが、まるで風船のようなお腹をしていました。皮膚は赤紫で、とても気味が悪かった……。

 ──服は身に着けていなかったかも知れません。あまり、よく覚えておりませんが……。


 怪物は格子の扉にかけられた鍵──大きな南京錠のようなものです──をガチャガチャと不器用そうに外しました。入口を窮屈そうに潜って、怪物は私のいる空間へと入ってきました。逃げようと、少し腰を浮かせたのですが、なにぶん狭い空間ですから。それに怪物は狭い入口を塞ぐように立っていたので……。


 食べられる、と思いました。私はここで死ぬのだと。

 ──そりゃあね、私だって死ぬのは嫌ですし、娘のことも心配でしたが……。腹を括るとか、諦めるとか、そういう感情とは少し違うのですけれど……受け入れざるを得ない状況であることだけは理解していた。そういう感じでしょうか。


 私は布団の上に──そう、私は布団の上にいました──仰向けに倒れ込むと、目を閉じてお経を唱えました。うろ覚えでしたし、信心深いわけでもなかったんですが、ああいう時って、不思議とそういう言葉が口から出てくるものなんですね。


 生暖かくい、巨大な塊が、私の上に覆い被さりました。

 そして、ゆっくりと、私の服を脱がし始めました。


 …………怪物は私を食べませんでした。


 怪物は……私を、犯しました。

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