第12話 扉の向こうには――
明るく、木漏れ日の射す陽気な空の下、自転車をこぎ自殺志願者が現れるという 廃ビルに向かった。
いまの時間は朝10時。たぶん12時くらいには着くだろう。
そこで5時間くらい待つことになるが、待ってればいい。
僕にはあまり時間はないが、いまの僕は時間のことを気にする気にはなれなかった。
それに待つことはそれほど嫌いじゃないしな。
◆◆
予想どうりの時間に、廃ビルに着いた。
近くの駐輪場に自転車を止めて、廃ビルの中へと入る。
猫の予知では、その者が自殺するのは午後5時だという。
それまで僕は、この廃ビルの屋上の入り口前で待つことした。
ビルの入り口では、何か所かある裏口から入られたら説得もできずアウトだ。だからそこで待つのがベストだろう。
うす暗く、気味が悪い廃ビルの階段を一歩一歩上がっていく。
普段の僕なら こんな幽霊スポットに入るのは死んでもごめんだが、いまの僕は死ぬ気であるため、その恐怖心を覚悟が塗りつぶしていた。
いまの僕なら深夜の学校にだって忍びこめそうだ。
6階の階段を上がり、屋上への扉の前に着くと、扉を背に腰を降ろした。
「ふぅー……」
しばらくドアの前に座り――
「 ハッ、くしょん――っ! 」
鼻水を垂らして、くしゃみをした。
家から厚着を着ていてもここは寒く、体をちぢめてブルブルと震えた。
僕の病気、『心臓収縮病』の特長として、患った患者は通常の者よりずっと風邪にかかりやすくなる。肺炎で死んだりするケースも多いらしい。けれど、風邪にかかると一時的にだが心臓発作による死は起きない。それは、風邪への免疫力が体内で活発に働くからだ。ようは、いま鼻水たらして、たぶん風邪をひいている僕は『心臓収縮病』によって死ぬことはないのだ。一時的にだが僕は、病気という【死】から解放され、普通の人間になったのだ。
(僕は無敵! 僕は最強! 僕は不死身! 僕はヒーローだ……!)
熱でボーっとする頭の中で延々と繰り返し考えていた。
もちろんそんな訳はないが、いまの燃え上がる僕の心には、そういう想いが湯水のようにあふれていた。
ふと、時計を見ると、いつのまにか時間は5時前になっていた。
猫の言葉どうりなら、もうすぐここに僕と同じ自殺志願者が来るはず。
どうやって救えばいい?
自殺を考えている者を救うということは、肉体を救うだけじゃダメなのだ。心まで救わないとダメなのだ。そうじゃないと意味がないのだ。
『 僕が、猫に救われたように 』
だが、いまの僕には、自殺志願者を救う言葉がハッキリと思いつかない。
でも、それでいいと思う。それで当ってると思う。
事前に考えた言葉など、自殺する者に効果があるとは思えない。
自殺する者を救う言葉は、その者だけに向けた、心からの想いだけなのだから。
それは、自殺した僕だからこそよくわかる。
「くぅっ……」
風邪のせいで一瞬 視界が歪み、意識を失いそうになるが立て直す。
「気合い、気合い、気合い、気合い、気合い、気合い、気合、気合、気合……」
ぶつぶつとつぶやき朦朧とする意識を保った。
(気合いでなんとしてみせるか……。なんともヒーローみたいじゃあないか。だが、いま正義感ってヤツに燃えてる僕にとってはうってつけの言葉だ。救うまで絶対に意識を手放したりはしない……死んでも!)
ガタガタと震えて、屋上のドアの前で自殺志願者を待った。
(こんな状態で、僕は本当に自殺志願者を救うことができるのだろうか? ――否。止めてみせる! いや、止めてもらいたい。きっとそれは僕のためにもなるのだから……)
『救い』 『救われる』
いまだ僕は『自殺志願者』なのだ。
あいつのおかげで、なんとかあと一歩で変われるところまできている。
(最後の一手は……自らの手で決めよう……!)
その自殺志願者を真剣に理解し、命がけで救うことが、最後の一手になると確信していた。
僕は自分が救われたいがために、ヒーローになろうとしている。けれど、それでいいと思う。
ヒーローだって人を救って、その人の笑顔が見たいがために善行をしていると猫も言っていたしな。
ヒーローは人のため、そして自分のために正義を執行しているなら、僕もそうだ。
自分のために『人』を救う。
この命を賭けて――。
――ガタンッ。
「―――ッ!」
背にもたれかかる扉の向こうから音がした。
(なッ! バカなっ! 僕はずっとこの扉の前にいたんだぞ……? このドアを越えて屋上に行けるわけが……! ――いや、もしかしたら僕は勘違いしていたのか? あの猫はたしかに、この廃ビルの屋上で午後5時に誰かが自殺すると言ったが、午後5時にこの屋上のドアを開け、飛び降りるとは言っていない。最初から5時に自殺するために、屋上のどこかに隠れていたとしたら?)
「クソッ! まぬけがっ!」
座りこんだ状態から風邪でフラフラの体を起こし、いままでずっと背にもたれかかっていた朽ちた扉を開けた。
開けたそこには一面【美しい夕焼け空】が広がっていた。
言いたくないが、自殺して最後に目に焼き付ける光景としては最高の場所に思えた。
【ヒーローを目指す】そう決めた僕にでさえ 一瞬、ここで死ねるなら本望だと思わせるくらいに、その夕焼け空は美しすぎた。
夕焼け空に、一つの影がポカンと浮かんでいた。
その影は屋上の端に立ち、下を見つめている。
(男? いや……女か?)
その者は、長ズボンを履き、顔はフードですっぽり隠しており性別は分からなかったが、いつでも自殺できる状態にあった。
「クソっ! ヒーローにあるまじき失態!」
この僕の『台詞』は冗談で言ってるのではない。真面目に言っているのだ。
本気で僕は、自分をヒーローだと思いこんでいるのだ。
それは熱のせいか、それとも、この異様な状況のせいか、頭が変になったせいかはわからないけど、そのおかげでなんとかフラフラの体を動かせていた。
思い込みや気合いは、風邪に対して有効的な手段である。
風邪をひいておる――そう思いこむだけで人は、たとえ ひいていなくても気分がすぐれなくなったする。
逆に『自分は風邪をひいていない』そう思いこむことで、風邪をひいていても不思議と体調もよくなるものなのだ。
だがそれは錯覚にすぎず、無理をすれば よけいこじれてしまう。
けれど、いまの僕にとってはそれでいいのだ。錯覚でもなんでも、いまこの時だけ体が動いてくれればいいのだ。
そして、いま目の前にいる、僕と同じ自殺志願者を救えれば、命すらいらないと思っている。それは別に死にたいわけじゃない。
ただ、それくらいの気持ちで、目の前にいる自殺志願者を救いたかった。
僕と同じ苦しみを持つ、その者を――。
信じたい。
自殺とは、したくてする人間などいないと――。
自殺とは、したくないけどするものだと――。
自殺とは、苦しみから逃れたいだけだと――。
だったら、誰かが手を差し出して救えばいい。簡単なことだ。
あの猫が、僕にしてくれたように――
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