第10話 裸のつき合い


 朝。8時30分 。


 ちゅん ちゅん ちゅん――。


「んっ!」


 スズメの鳴き声で意識を覚醒させた。


「ううぅっ……」


 僕は目をこすり、窓から 差し込む朝日を浴びながら部屋中を見回した。


「……猫の奴……」


 どこにもいなかった。


(言いたいこと言って、自分は最後まで見届けずバックレかよ。まあ、気分屋の猫らしいけどな……)

 

 なんとなくだが僕は、もうあの猫とは会えない気がしていた。

 ただの勘にすぎないのに、確信めいたものさえあった。


(あの猫はきっと、僕にとって夢のような存在……。僕に何か伝えてたくて現れた、妖精……いや、化け猫で十分か。本当にあいつは、フィクションの世界にいるような、ヒーローみたいなヤツだったな)


 そして僕はこの現実世界で、フィクションのようなヒーローになろうとしている。


 自殺する、【死の運命】が決められている者を救うヒーローに。


 昔 あこがれた――だが、すぐ無理だと諦めた そんな存在に。

 けど、はっきりいって恥ずかしい。

 ヒーローだなんて どこの小学生だよって感じである。


 笑える――だが、笑えねェ。

 もう、人一人の命が掛かっているかもしれないんだ、笑っている場合じゃねェ。


 僕はそいつを救う。この命をかけて。


 いつ死ぬかわからない【命】だけど、あいつに助けられた【命】、母さんに拾われた【命】。


 そんな大切な命を、保険金なんてチャチィことに使っちゃダメだ。

 使うならこの命、大きく使ってやるぜ!

 

 僕にはもう、この死の運命が決められた短い命しかなくても、もう逃げない! 生きてやる! 全力全開で 死ぬまであがいてやるぜ!


 だがまあ、だからといってヒーローはどうかと思うけどな、ガラじゃないし。

 それに、あの猫に言われてやるのはなんか癪だ。

 だから これからの行動は、僕の考えで、僕の想いでする。

 母さんの為にやるんじゃない。

 猫に言われたからやるんじゃない。

 僕が救いたいから救う。

 それがかっこいいと思う、ヒーローみたいで。


(まったく……ノリノリだなぁ、僕は)


 昨日まで死のうとした人間とは思えない。

 自分自身で『カッコいいー』とか思っちゃってる、恥ずかしすぎるぜ。だが燃えてきた。絶対に救ってやるぜ。

 あの猫の予知能力については全面的に信じた訳じゃないけど、今だけは信じてみようと思う。

 信じさせる何かが、あの猫にはある気がするから。


 だってあの猫は、僕にとって 命の恩猫で、ずうずうしくてムカつく猫で、僕に変われるかもしれないきっかけをくれた『ヒーロー猫』なのだから。


 準備することにした。

 誰かを救い、僕が変わるきっかけを得るための準備を。


(まずは、風呂だな……)


 これから自殺する人間を救うのだ、並大抵のことじゃない。

 僕も 死という恐怖から逃げるために、自殺したからわかる。


 自殺しようとしている者にとって、【死】は救いなのだ。

 その【死】を邪魔する【僕】は、その者にとって【悪】なのだ。


 そんな悪者が何を言っても通じるわけがない。

 たとえ正論であっても同じである。


 むしろ正論であるほど、現実から逃避したい者にとっては耳が痛い言葉なのだ。

 これから僕には、覚悟が必要だろう。


【悪】になるという。


 僕は思う。


 本当に死にたい人間など、この世にはないと。

 本当は死にたくないけど、死ぬしかない人間しかいないと。


 だから僕は、すべての者を救えると信じたい。

 きっと、元自殺志願者の僕だからこそ救える事があるはずなんだ。

 どんな方法で救えるかは、まだ断片的にしかわからないけど、その者と対峙した時にそれはわかるはず。


 単純な僕には、会って、話して、救って、友達になる――それくらいしかわからないけど、それでいいと思う。それが正解だと思う。


 その者と一緒に、死の苦しみを笑って話し合える――そんな関係の構築こそが、いまだ完全に自殺志願者から脱しきれていない、僕が望んでいるものだから。


(まずは、自分自身を清潔な状態にしないとな……)


 体を洗うため風呂場に向かうことにした。

 体を洗うということは、心も洗われるということだ。

 心が荒れているより、洗われているほうが救える気がする。

 効果は薄いかもしれないが、まったくの無駄にはならないだろう。


 洗面所で服を脱ぎ、風呂場に入ると、中には お湯の入った《浴槽》があった。


 浴槽の中には、【猫】が入っていた。


 いや、違う。


 猫ではなく、【猫のきぐるみを着た、《変な女》】が入っていた。


「 猫オオォォォォォ―――――ッ! おまえナニしてるゥゥゥゥゥッ! 」


「あっ! ご主人様! お風呂入ってるニャー。気持ちいいニャー」


「違うゥ! 湯加減を聞いているんじゃあない! なんでウチの風呂に勝手に入っているかって聞いてんだァ!」


 全身をわななかせ、猫のきぐるみを着た 変な女をじっと凝視した。


(こ、こいつ、もう会えないかと思わせて、その想いを瞬殺しやがってェ……。しかも お風呂場で……。滑りがいいじゃねーか、僕の想いの滑り具合がよォー)


 僕の視線に気づき、照れた声色で、両手で体を覆い隠す。


「恥ずかしいニャぁ……ご主人様ぁ……。そんなに猫の裸をジロジロと見てぇ……」


「つま先から頭までフル装備だろっ!」


 きぐるみ着やがって。

 今度は猫がじ――っと見つめてきた。


「ご主人様の方は、ゲームで装備をはぎ取られた、いらない仲間みたいになってるニャ」


「――ッ!」


 その指摘により、現状 何も装備してないことに気づいた。


「せめて、腰布(タオル)くらい装備するべきニャ」


 赤面して風呂場から飛び出た。


 きぐるみが浴槽に入っているという衝撃的な場面に出くわしたため、自身の装備状況を完全に失念していたのだ。


 出たあと服をダッシュで着て、その場を後にしようとした。


「ご主人様ぁー! 一緒にお風呂に入ろうニャー!」


「断る!」


「怖いのかニャ?」


(バカがっ! そんな安い挑発に、僕が乗るわけ――)


「ヒーロー失格ニャね」


 ブチンッ。


 余裕の僕の耳に、僕をブチ切れさせる言葉が響いた。

 勢いよく風呂場のドアを開けて怒鳴りつける。


「テメェー、猫ォ! あれだけ僕にヒーローになれとか言っておきながら、たかが一緒に風呂に入らないくらいでヒーロー失格だとォ! ふざけんなァ! いいぜ、入ってやるよォ! 僕はヒーローになるんだからなァー! おまえと一緒に風呂くらい入ってやるよォ!」


 売り言葉に買い言葉。

 挑発だとわかっていても、その挑発に乗ってしまった。

 人間、間違いだとわかっていても、感情にまかせて間違った行動をとってしまうものなのだ。


 猫の思惑どうりとわかりつつも、一緒の浴槽に入った。


『服を着たままで』

 

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