第9話 ヒーローへの決意
ベッドの上で黙ったまま、背中を向けあい30分が経過した。
その間、僕は色々と考えた。
いままで生きてきて、一番考えたかもしれない。
考えたくないこと、考えないきゃいけないこと、色々と――。
背中を向ける猫に、この想いを伝えるために声をかける。
「聞いてくれ、猫」
「嫌ニャ。聞いてほしかったら認めるニャ。自分の本当の心を……」
「ああ……認めるよ。おまえの言うとおり逃げかもしれない。保険金のために自殺する……という気持ちもある。だがそれは『半分』で……もう半分は、この いつ死ぬかわからない【死の恐怖】から逃げたかった……それもある……」
とうとう本音を告げてしまった。
心が締め付けられるように痛かった――けど反面、清々しい気持ちになった。
胸の奥にある暗闇が晴れたように――。
背中を向けていた猫が、僕のほうに振り返る。
「それでいいニャ。さあ、ご主人様の本当の気持ちを猫に語り聞かせるニャ」
「ああ……」
呼吸を整え、心を落ちつかせ、本当の気持ちを猫に伝える。
「僕は死にたい……でも死にたくない……でも、自殺しないといけないと思うんだ……どうすればいい、猫?」
わからなかった。
自分のとるべき正しき行動が――。
だから、それを教えてもらいたかった。
導いてほしかった――。
猫に――。
あのとき、海の中で、僕に手を伸ばしてくれたように――
「ご主人様は……なんであの時、猫の手を握ったニャ?」
「わからない……。何度も考えたが 結論はでていないんだ……」
嘘だ。とっくにでている。
「それは……『生きたい』からニャ。シンプルで単純ニャ」
「そうだよな……それしかないのにな……」
わかっていた。
心ではわかっていても頭では否定していた。
――生きたい。
それを認めてしまえば、すべてが壊れてしまう気がしたから。
猫は自分のおでこを、僕のおでこに当てて囁く。
「ご主人様は生きたいと、泣いていいニャ。死にたくないと、喚いていいニャ。怖いと、震えていいニャ。それを猫がすべて受け入れて、ご主人様を救ってあげるニャ」
「救う……僕を?」
「ニャ♪」
猫が正面から、僕を抱きしめた。
その瞬間、涙がどっとあふれ出る。
あの時、病気でいつ死ぬかわからないとを知った時から、僕はずっと生きたいという気持ちから逃げてきた。
でも思い知らされた、猫に――。
僕は本当は『生きたい』のだと――。
(なんなんだ……この猫は? なんなんだ……この涙は? なんなんだよぉ……僕はぁ……?)
わけがわからず、猫に抱かれたまま涙した。
「猫。僕は生きていいのか?」
「いいニャ」
「もう長くない命を、母さん達のために使うべきじゃないのか?」
「違うニャ。ご主人様は本当は分かっているはずニャ。それを、家族の誰も望んでいニャいことを。本当に望んでいることは、一分一秒でも長く生きることだと。それが一番の恩返しだと、ご主人様はとっくにわかっているはずだニャ。それがわかっているのに、家族のせいにして死のうだニャんて、ご主人様はズルイニャ」
「ああ、ズルい、僕は卑怯者だ……。最低で 生きている価値のない人間だ……でも……生きたいんだ……僕は……。本当は……死にたくないだ……僕は……」
猫に抱きしめられたまま涙を流し続けた。
「価値がないから 生きていちゃいけニャいなんて話し、猫は聞いたことがないニャ。少なくとも、猫とご主人様の家族は、ご主人様に少しでも長く生きてもらいたいニャ」
「……おまえは一体、何者なんだ? なんで僕の気持ちを わかってくれようとしてくれるんだ?」
猫は諭すように告げる。
「猫は、主人様の苦しみも、悲しみも、その存在のあり方も、幸福も、不幸も、すべてわかってあげたいニャ。だから、ご主人様の想いを すべて猫に吐き出すニャ」
抱きしめられている僕は、今度は猫を抱きしめ泣き叫ぶ。
「 僕はぁ死にたくないよぉぉぉ―――っ! いやだよぉぉぉ――ッ! 生きたいよぉぉ――――ッ! 自殺なんて したくないよぉぉぉぉ―――ッ! いやだぁッ、生きたいよぉぉぉぉぉ―――! 」
猫に抱きつき泣いた。子供のように、赤ん坊のように、情けなく泣いた。
そんな僕を、猫は抱きしめ頭を撫でる。
「いいニャ……。それでいいニャ……。死ぬことが怖くない人間ニャんて、この世にはいないニャ。だから生きたいと思う気持ちだけで、人はこの世界に生きていいニャ」
猫の言葉に心が癒される。
「僕は……どうすればいいんだ、猫? おまえに聞くのはみっともねぇーけど……でも、おまえにしか聞けねーんだ……猫」
ぐずりながら、涙をぬぐいながら聞いた。
「そうニャねぇ……。ご主人様が もう死んでいると言うのニャら、あした生き返ってみないかなニャ」
「? 生き返る? 僕が?」
「そうニャ。ご主人様はこのままじゃ、心がずっと死んだままニャ。ずっと、死ぬまで心を閉ざすつもりかニャ?」
「…………」
「猫が思うに、ご主人様には生きる目的がないのニャ」
「それは……夢ってことか?」
「そうニャ。夢じゃなくても、生きているうちにやりたいコトとかニャ。ちなみに猫の夢は、死ぬまでに『世界征服』をしたいニャ」
「ああ、そうかい……」
こんな時に冗談を――猫らしいが。
「明日、ある人物が【自殺】するニャ」
「なッ! い、いきなり何いってんだ……ね、猫……?」
突然の猫の告白に困惑する。
真面目な声で猫は告げる。
「冗談じゃないニャ。これはもう確定事項ニャ。運命みたいなものニャ」
「運命……【死】のか?」
「そうニャ。でも運命は変えられるニャ。ご主人様ならきっと、その自殺志願者の死の運命を変えるはずニャ」
「たとえ……それが本当だとしても、ソイツを救ったとして意味があるのか? 自殺しようとした者の命を救っても、心を救わないかぎり、また自殺しようとするんじゃないのか? しないとしても、生きていて辛いだけじゃないのか?」
この僕のように――。
「そうかもしれないニャ。でも、同じ自殺志願者のご主人様なら、その自殺志願者の気持ちをわかって、受け入れて、変えられるはずニャ」
「この……僕がか……?」
もう半分死んでいて、生きる価値のない僕にできるのだろうか?
「そうすることで、ご主人様も変われるはずニャ」
「変われる? どんな風に……?」
「それは、ご主人様が『望む自分』ニャ」
僕が『望む自分』――それは?
「猫……。そいつは明日、本当に自殺するんだな?」
「嘘じゃないニャ。猫には、ご主人様を救った実績があるニャ」
「あ、あれは、たまたまじゃないのか?」
「違うニャ。猫には、人が自殺することがわかる【予知能力】があるニャ」
「はぁッ! 予知能力ゥッ!」 (ふざけているのか、コイツ?)
「そうニャ。だから猫には、ご主人様が自殺することがわかったニャ。そして、ご主人様を尾行して、自殺したところを助けられたニャ」
(た、たしかに……予知能力があると過程すれば、こいつに対する疑問もかなり片付く。こいつには予知能力があり……それで僕を救った……。だが、そんな漫画のヒーローのような力……この現実世界にあるのか? 信じられない……)
茫然とする僕に、猫が進むべき道を示す。
「ご主人様は、【ヒーロー】になるニャ」
「ひ、ヒーローだと? この自殺志願者の僕なんかがか?」
「そうニャ。そうなれば死のうとなんて思わないはずニャ。だってヒーローは自殺なんてしないニャ。最後まであきらめず悪(病気)と闘う……それがヒーローニャ」
「………ヒーロー……か………」
昔、考えたこと事がある。
ヒーローなりたいと――。
けれど、それは子供の夢だ。すぐになれないとわかった空しい夢だ。
「猫に予知能力があるのかどうかは、行けばわかることニャ。それに、たとえ騙されたとしても、ご主人様に損はないはずニャ。だってご主人様は、【自殺志願者】ニャのだから。これ以上傷つきようがニャいのだから」
「……かもな……」
いまさら騙されたところで、僕は怒りも傷つきもしないだろう。
僕は一度 死にかけた人間なのだから。
猫に救われた人間なのだから。
それに、騙されることくらいの痛み、あの時、僕が生きている価値がない存在だとわかった時の傷みに比べればカスリ傷にもならない。
「わかった。その力……信じるよ、猫」
「ありがとニャ、ご主人様」
あることが気になり聞いてみた。
「もし仮に、本当に自殺をしようとした者がいたとして……。その者を救えなかったら、僕はどうしたらいい?」
明るく笑って猫は答える。
「その時は、【一緒に死ね】ばいいニャ」
「なッ!」
「そのくらいの覚悟でいくんニャろ? 猫に聞かなくても、そのくらいの覚悟を持って行く気だったんニャろ、ご主人様は?」
「ああ……そうだな……」 (おまえに聞いたのはたぶん……おまえに、僕の覚悟を理解していてほしかったからなんだろうな……)
抱かれたまま猫をじっと見つめる。
「なんニャ? ご主人様?」
「いや……なんでもない」
おまえは、僕にとってヒーローだ。
僕の命を救い、僕の心を救ってくれた。
そしてさらに、僕に新たなる道を示そうとしてくれている。
だから僕はそいつを救う――全力で。
おまえのようなヒーローになりたいから。
――決意した。
【死の運命】を捻じ曲げるコトを――。
たとえ無理でも、死ぬまで抗うことを決意した。
「猫。そいつが自殺する場所はわかるのか? できれば時間も」
「場所は郊外の廃ビルニャ。地元では結構有名な心霊スポットになっている場所ニャ」
「そうか……そこだったのか……」
僕が今日、自殺しようと思っていた場所だ。
お化けは怖いが、我慢して自殺しようと思っていた場所だ。
「そこで、今日夕方5時に、その者は【飛び降り自殺】をするニャ」
(皮肉だな……。今日、自殺しようと思っていた場所で、自殺をする者を救う事になるかもしれないなんて……皮肉……いや、ここはカッコつけて、運命って言っておくか、ヒーローっぽく)
「ご主人様が その者を救えれば、ご主人様はヒーローになれるはずニャ」
「別にヒーローには興味はねーけど、なれるならなってやるよ、面倒だけどな」
まぶたを閉じ、猫に抱かれる温もりを感じた。そのせいだろうか急激に眠気が襲ってきた。
「ふわ~~~~」
先に猫があくびをした。
「それじゃあ寝ようニャ、ご主人様ぁ」
「ああ……」
猫に抱かれたまま、安心したまま、幸せってやつに包まれたまま、僕は眠りについた。
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