第8話 宝は僕?


 ベッドに寝転がり、猫に背中を向けた。


「電気消すニャ」


「ああ……」


 猫がベッドの上のヒモを引っ張り、部屋が一瞬で暗闇につつまれる。


 背中を向けているが、振動で 猫がベッドに横たわるのを感じた。


「……………」


 20分が経過し―――


(ね、眠れない……)


 心臓がドキドキしっぱなしで、興奮して目がギンギンにさえわたっていた。


(クソっ! クソっ! クソっ! なんでこんなに ドキドキしているんだ? 相手は猫だぞ? 変態だぞ? まさか僕は、こいつに惹かれているのか? ありえねぇ……。襲われるのが怖くて寝付けないだけだ。こんなたかが、僕の自殺を邪魔をして、僕を救ってくれたの猫のことを……僕が……)


 だが あのとき僕は、猫が差し出した手を握ってしまっている。その時から猫に対して、僕はなんらかの感情を抱いてしまったのではないだろうか? 嫌悪以外の何かを抱いてまったのではないだろうか? 


 わからない、わかりたくもない。

 シーツを ぎゅっと握りしめる。


(クソッ! なんであの時、僕は猫の手を握ってしまったんだ? もう死ぬしかないのに……。一番幸福の形で【死】を迎えたかったはずなのに……それなのに……僕は……)


 苦悩する僕の背中に、猫が大きな胸を『むにゅうぅっ』と押しつけた。


(ぐおおっ!)


 全身が熱くほたっていく。

 背中に抱きつきながら猫が囁く。


「怖いのかニャ?」


「はぁ? な、何がだよ? おまえのことか? そ、それとも……」


「猫は怖いニャ」


「だから、何がだよ?」


「死ぬのがニャ」


「そんなもの……誰でも怖いだろ? 死ぬのは……僕は違うが……」


 さらに大きな胸を むにゅぅっと押しつけた。


「あっ、あまり抱きつくな……ねっ、猫ッ! 僕も男だ、何するかわかんねェーぞ!」 (いいからとっとと離れやがれェ――ッ!)


「それはありえないニャ。ご主人様に限って……」


「な、なんで、そう思うんだ?」


 まさか、ヘタレって意味か? 言われたらムカつく。あってるから。


「それは、ご主人様が『優しい』からニャ」


 単純な言葉なはずだが、心が救われた思いに駆られた。


「僕はやさしくない……ドSだよ」


「ドM?」


「ちげェーよ! 何回目だよ、そのネタ!」


「これが始めてニャ?」


「い、いや……なんでもない……」


 ルカと猫をダブらせてしまった。


(なんとなく2人は似ているだよな。僕をおちょくるが、どこか憎めないところが)

 

 むにゅうぅぅっと、さらに押しつけた。


(ぐおうッ! この猫娘っ、死ぬ前にホントに一発やっちまうぞっ!)


 だが、それが不可能な事は、ヘタレの僕が一番理解している。


 押しつけたまま猫が喋りかけてくる。


「ご主人様。せっかく一緒に寝てるんニャし、修学旅行気分で何か楽しい話しでもしないかニャ?」


「な、なんだよ? 怪談とか、好きな子の告白でもするのかよ?」


「もっと、楽しくて軽い話しニャ」


「楽しくて軽い? どんなだ?」


「なんで、ご主人様は【自殺した】ニャ?」


「なっ!」 (重すぎだろっ!)


 コイツにとっては楽しいのかもしれないが、僕には嫌すぎる。


「…………言いたくない……」


「そうかニャ……。言わなかったら……」


「なんだよォ! 自殺したことを家族にバラすか? また脅しか?」


「こうして……ご主人様に、死ぬまで抱きついているニャ」


 背中に押しつけたままの大きな胸をズリズリと擦りつけた。


「ぐおうっ!」 (超効果的だ……!) 「ぐっ……。じ、自殺したことを聞いて……な、何がしたいんだよ……ね、猫?」


 たどたどしく赤面して問うと、優しく透き通る声で。


「また、ご主人様を救ってあげるニャ」 


「ハッ! 今度は救わせねェーよ!」


 吐き捨てるように言うと、今度は押しつける感じではなく、包みこむように僕の背中を抱いた。


「もし……ご主人様を救えなかったら……猫も一緒に死んであげるニャ」


「なァッ!」


 反射的に振り返り、怒鳴りつける。


「ふざけんなッ、テメェー! 冗談でも、言って良い事と悪い事があるだろ!」


 怒りに震える僕の顔を、猫はじーっと見つめて首をかしげる。


「自殺するのは良い事なのかニャ? 悪い事じゃないのかニャ?」


「ち、違う!」


 逃げるようにまた背中を向けた。


(こ、こいつの、きぐるみの目の部分を見ていると、何故だかすべてを見透かされているような気分になってくるぜ。きぐるみの目のクセになまいきな……)


 背中を向けたまま怒鳴りつける。


「僕が死ぬのは、僕の権利だ! 僕の自由だ! 僕の勝手にさせろ!」


 心の奥底から叫んだ。

 そして同じように猫も叫ぶ。


「違うニャ! 権利も、自由も、勝手も、猫が許さないニャ!」


 ――ムカっ。


「なんでだよ! なんでおまえなんかに、そんなこと決められなくちゃならない!」


 悲しげな声で猫は――


「だって……ご主人様が死んだら……猫は悲しいニャ。それでは、理由にはならないのかニャ?」


「……な、ならねぇーよ……たぶんな……」


 小声でつぶやくの精一杯だった。

 どこか猫に対して罪悪感を覚えた。


「死ぬなら……自殺するなら……ご主人様は、猫にその『理由』を話すべきニャ」


「そんな義務はない……」


「義務と責任とか関係にないニャ。猫はご主人様を救いたいニャ。そして、一度救ったニャ。ご主人様には、恨まれているかもしれニャいけど……」


(恨んでねぇーよ……)


「猫は本気ニャ。今度もまた ご主人様を救ってみせるニャ。そんな猫に話すくらいの人情は、ご主人様なら持っているはずニャ」


「ないさ。僕は生きている価値なんてないゴミだよ」


 マジでそう思う。


「あるニャ。猫にとっては、ご主人様の家族にとっては、ご主人様は【宝】ニャ」


「はぁ? た、宝だと?」 (この僕がか? なんの価値もない僕がか? ありえない……)

「アホらしい、馬鹿らしい……。もうお前と話すのも疲れた。だから話してやるよ、自殺する理由を」


「ホントかニャ?」


「ああ……話して、おまえが納得できたのなら、もう話しかけないでほしい。もう黙って死なせてほしい。もう僕の自由にさせてくれ、頼む」


 切実な想いで懇願した。


「わかったニャ。猫はきまぐれニャ、でも安心するニャ。今回の約束は守るニャ」


「……わかった……信じる……」


「じゃあ、話してニャ。ご主人様……」


「ああ、いいさ。こんなくだらない理由、隠す意味もない、わかってもらう意味もない……ただのどうでもいい理由なんだからな」


 深呼吸して、背中を向けたまま【僕の秘密】を告白する。


「……僕は、病気なんだ」


「どんなニャ?」


「【心臓委縮病】って、知ってるか?」


「……知らないニャ。どんな病気ニャ?」


「ただ、人より心臓が弱いだけ、別に日常生活には ほとんど支障のない……そんな病気だよ」


「その病気のせいで自殺を……?」


「いや……それくらいの症状で自殺なんてしないさ。この病気で一番ムカつくのは、体育の授業がずっと見学だったことくらいだ。運動もできず、体力も力も人並以下……チッ、嫌になるぜ」


 思い返して舌打ちする。


「それが原因じゃないニャら、何が原因なのニャ?」


「いまの症状は、この病気の1段階目だ。この僕の病気は2段階目に突入している。この病気が2段階目に移るケースはまれらしいぜ? 1000万人に1人いるかいなかって程度らしい……」


「それが原因かニャ?」


「ああ……それが原因だ。2段階目の病名は【心臓収縮病】。ま、簡単に言うと、心臓がどんどん小さくなる病気だよ。この2段階目の病気には特徴がある。汗の匂いが桃と酷似して、そしてたまに襲われる ひどい喉の渇き……これが僕が調べたこの病気の症状だ。そしてどんなに長く生きても、20までしか生きた事例がない……そんな『不治の病』だよ」


 初めてこの病気について人に話した。

『人』で、いいよな?


 プルプルと唇が震えていた。

 それは話した恐怖なのか、後悔なのか、それとも――わからない。


「それで、病院には確かめに行ったのかなニャ?」


「いや……それじゃあ自殺だとバレちまうだろ。病気の苦で自殺したとな。僕はあくまで事故死じゃないといけないんだ」


「なんでニャ? なんでそこまでして自殺を事故に見せたいのかニャ?」


「『保険金』だよ」


「にゃーるほど。自殺では 保険金はおりないニャ」


「ああ。それに、病死より事故死のほうが高いしな……」


「なんでご主人様は、まだ生きるかもしれない命を、お金に変えようとしているニャ?」


 答えるかどうか少し迷ったが答えることにした。

 心のどこかで、『聞いてもらいたい』そんな気持ちがあったのかしれない。


「……僕は、母さんの本当の子供じゃないんだ。僕が幼いとき 本当の母さんが死んで、オヤジが再婚して、その義理の母親になるはずだった女に、僕と妹は施設に預けられそうになったんだ」


「最低な女ニャね」


「いや、当然だろ。実の子供じゃないんだ。僕でもそうしたかもしれない」


「それはないニャ。ご主人様ニャら絶対に」


「そうかい……ありがとな、猫」


 ぶっきら棒に言ったが、本当はとても嬉しかった。

 あいつらとは違う――そう言ってもらえたことに。


「そしていまの母さんは、オヤジの再婚相手の 義理の母の妹なんだ。信じられるか? そんな人が僕たちを引き取るって言ってくれたんだぜ。まだ22歳で、7歳と5歳だった僕と妹を……あの時のことは死んでも忘れない……」


 過去のことを思い返す。


 ――――――――――。


 僕は、僕たちのお母さんになってくれるって言ってくれた人に聞いた。


『なんで、僕たちのことを 引き取ってくれるの?』


『なんとなくよ』


『な、なんとなくって…….。そんないい加減に決めていいことじゃ……』


 困惑する僕の頭を、お母さんになるって言ってくれた人が優しく撫でた。


『いいじゃない、いい加減で。君だって友達を作るときはなんとなく作るでしょ? 理由なんて特になくね。それと一緒よ。なんとなく友達になれるなら、なんとなく家族になったっていいんじゃない、違う?』


 お母さんになるって言ってくれた人は にっこりと笑い、僕と妹を両手で抱き締めた。


『大切にしてあげるからね、あなたたち……覚悟しなさい』


 強く抱きしめられてほんちょっと痛かった。でも、その万倍嬉しかった。

 涙がポロポロとこぼれ落ちるほどに。


『ねぇー? おばさん』


『ムッ。おばさんって呼ぶくらいなら、お姉さんって呼びなさい』


『お母さんって……呼んじゃダメ?』


『うん、いいよ。これであたしたちは完璧に家族ね。死ぬまでよろしくねっ、あなたたち』


 さらにお母さんは、僕たちを強く抱きしめた。

 そして僕もさらにお母さんに強くしがみついた。


  ―――――――――。


「―――あの時は、死ぬほど嬉しかった。いつか恩返ししたい……そう思っていた」


「それが【保険金】かニャ?」


「ああ、それしかないんだ、いまの僕にできることは。僕はもうすぐ死ぬ……いや、もうすでに死んでいると言っていい。いつ死ぬかわからない命なら、価値がある死に方をしたい」


「それは、『逃げ』じゃないのかニャ?」


「 なんだとッ!」


 猫の発言にカチンときた。

 自分の中の何かを冒涜された気分になった。


 怒りのまま振り返ると、猫とピタリと目が合った。

 作り物のはずなのに静かに暗く、さっきほどより強く僕の心を見透かしているように感じられた。


「死んで保険金……それは、いつ死ぬかわからない 【死の恐怖】から逃げたい……そう思ってのことじゃないのかニャ?」


「ちっ、違うッ!」


「自殺の正当性を求めるために、ご主人様は家族にせいにしているニャ」


(コイツ……言いたい放題……!)


 怒りがふつふつと湧いて無言で睨み続けるも、気にせず言葉を続ける。


「保険金。それなら家族のためという名目ができて、死の恐怖から逃げるいい訳になるニャ」


「違うッ! 違うッ! 違うッ!」 (痛い! 痛い! 痛い!)


 猫の言葉が心に突き刺さる。

 それは、図星を突かれているせいなのか、それとも――わからない――わかってしまったら――僕は――。


「違うかどうかは、ご主人様の心が 本当はわかっているはずニャ。その心を、否定しニャいかぎり……」


「否定していないッ! 誰のせいにもしてないッ! 恐怖から逃げるためじゃないっ! 僕は終わった命を、家族のために捧げるんだ! それの何が悪い?」


 あふれる怒りのまま正面の猫に怒鳴った。

 まるで、真実を無理やりに覆い隠すかのように――。


 猫は、ぷいっと背中を向け――


「もういいニャ。もう ご主人様と話すことは何もないニャ」


 不貞腐れて沈黙してしまった。


 僕は望んでいたはずなのに――。


 何も喋らない猫を――。

 よけいなことをしない猫を――。

 なのに――いまは――


(僕は……どうすればいいんだ……猫?)


 逆のことを望んでいた。

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