第42話 それぞれの道

『今まで楽しかった。ありがとう』


 この言葉を見て、美月みづきは堪えていた感情が爆発する。


 私も楽しかったよ。


 一緒に紡いだ思い出を消したくない。


 そんな感情が表に溢れ出てきてしまい、美月みづきは悲しみに心を覆われる。


 だが、切ない気持ちをグッと堪えた美月みづきは、講堂を飛び出していた。


 もう一度二人に会いたい。話し合いをすれば、もしかしたら……


 淡い希望を抱きながら彼女は走る。


 校庭に出て、今もこの学校にいるはずの双子の姉妹を探していく。そんな時……美月みづきは突然衝撃に襲われ、気づいた時には尻餅をついていた。


「大丈夫ですか?」


 差し伸べられた手をありがたく取らせてもらい、立ち上がる。


 制服についた汚れなどを手で払いのけ、手助けしてくれた人の方を見る。


香織かおり……ちゃん……」


 眼前には生徒会長──狭山香織さやまかおりの姿があった。


 優しくて、なぜか軽音楽部を陰ながら助けてくれた人。


 見慣れた顔だったが、ひとつだけ違ったところがある。いつもはポニーテールだが、今日は髪の毛を三つ編みにしていた。


 そんな彼女を見て、美月みづきは顔を逸らした。


「軽音楽部のことは残念でしたね。わたくしとしては結構応援していたので……ショックでたまりません」


 他人から見ても取り繕った顔だとわかった。自分のことのように辛そうな表情を浮かべる。


わたしが至らなかった。それが原因だよ。結局私は、自分のことしか考えられていなかった。だから、陽奈ひなの真意にも気づかず、二人の気持ちも汲んであげることができなかった」


「それでも、美月みづきは立派にやっていましたよ」


「そんなことない!」


 香織かおりの言葉を否定するかのように強い口調で当たる。


「そんなことないよ……」


 自分の無力さを悔いながら、小さく言葉にする。


 そんな彼女に香織かおりは言葉をかける。


「アナタはわたくしの希望でした。昔の私は神門じんもん家のように自己中でした。そんなわたくしをアナタは変えてくれた。敗北を教えてくれて、私は変われたのです」


「そんなこと……」


「ない。そう言いたいのですか?」


 彼女の言葉に無言になる美月みづき


「でも、わたくしは鮮明に覚えていますよ。アナタが『音楽は人の心を笑顔にするためにあるものだ』と、言っていたあの日のことを」


 香織かおりに言われるが、美月みづきとしては身に覚えがない。だが、もし本当にそう言った過去があるのだとしたら、自分がピアノのことを忘れてしまった時に全て記憶から消し去ってしまっただけだ。


 それだけ、ピアノのことは思い出したくなかった。そのために始めたバンドだったのに……


「でもね、わたしは私情抜きにしても五人のことを応援していたよ。だって、美月みづきのファン第一号は私なんだから」


香織かおりちゃん……」


 いつもと違う砕けた口調で笑顔を向けられ、なぜだか不思議な感じがした。だが、同時に懐かしい気分にも包まれた。


 これが忘れていた記憶の一部なのかもしれない。そう思うと、美月みづきは冷め切っていた心が少しだけ温まった気がした。


「あの二人を探しているのですよね」


「うん、陽奈ひなはいなくなっちゃったけど……あの二人はまだ話せば……」


「それはやめた方がいいと思いますよ。それに、今日は学校に来ていませんから、どのみちお話は無理です」


「そう……」


 暗い表情へとまた戻る美月みづきだったが、


「まだスタープロジェクトは諦めていないんですよね?」


 話を脱線させ、彼女へと問いかける。香織かおりの言葉に美月みづきは無言で頷いた。


 彼女の返答に香織かおりは心の底からの笑みを見せる。


「ならいいです。わたくし美月みづきを応援しています。お二人の決断も報われることでしょう」


「どういう……」


 そう言って、美月みづきへと近づいていく。そして、彼女の肩に手を置き、耳元で囁くように呟く。


美月みづき、スタープロジェクトで待ってる」


「それって……」


 最後まで詳細は語らず、香織かおりは背を向けて歩いていく。そのひとみには決意が宿っていた。


*****


 渋谷の夜。


 休日も合間って喧騒で賑わい、活気あふれる場所へと変貌していた。


明里あかりよう。なんだよ。急に呼び出して。それに、咲良さくらまで一緒なんて……」


「大事な話があるからだよ」


 咲良さくら陽奈ひなの目を見据え、力強く宣言する。


「大事な話?」


「うん、アタシたちね……軽音楽部を退部してきた」


 明里あかりの言葉に陽奈は目を見開いた。


「どうして! お前らまで私の責任は負わなくていいのに……」


 席を立ち上がり、大声を出す。


 陽奈ひなの声量に他のお客が注目する。


「あまり大きな声出さないで」


「悪い……」


 ファストフード店(ハンバーガーチェーン)で話し合いをしている四人。


 落ち着きを取り戻した陽奈ひなは席へと腰を下ろし、言葉の続きを発した。


「ウチがやめた理由は知ってるだろ?」


「うん、あの男の子供を妊娠したからでしょ?」


「あぁ、迷惑かけられない。だから、学校を退学した。ウチがアイツらとつるんでいる以上、お前らにも危険が及ぶかもしれないからな。ウチ以外の人間が苦しむ姿は見たくないんだ」


陽奈ひな……」


 三人は彼女の置かれている境遇に心を痛めた。


「心配すんなよ。大丈夫だって。大丈夫……」


『そんなことない』と言いたかったが、彼女は必死にえ、頑張ってくれている。無責任にそんなことを言えるわけがなかった。


「でもな、ウチが軽音楽部をやめた理由はもうひとつあるんだ」


「うん、わかってる。アタシとようもそれが理由でやめたから」


「そうか……」


 陽奈ひなと双子の会話を聞いて、咲良さくらは全てを察した。そして、自分が思ったことを口にしていく。


美月みづきがスタープロジェクトに挑戦できるようにでしょ?」


「うん。アタシとようも一緒に挑戦しても良かった。でも……美月みづきの足を引っ張るかもしれない」


「だから、ボクたちは美月みづきを応援することにしたんだ。やっぱり、怖い気持ちもあるから」


 夏祭りでの失敗は彼女たちの心の奥底にトラウマを植え付けてしまっていた。


 あれがなければ、明里あかりようは退部していなかったかもしれない。軽音楽部は廃部になっていなかったかもしれない。


 だが、夏祭りの悲劇は起こってしまった。まるで、運命のイタズラかのように。


「これから陽奈ひなはどうするの?」


「アイツとの縁を切る方法を探してみる。それまで、お前らの前には現れない。この子も……」


「産むつもり?」


 無言で頷く。


 つよしにはおろせと言われているが、できてしまった子供に罪はない。陽奈ひなは育てようと考えていた。


「だから、これでお別れだ。お前らとの半年間、本当に楽しかったよ。アイツに凌辱りょうじょくされていることを忘れられた。青春しているって感じられた。だから……」


 唇をつぐみながら、涙を浮かべて言葉にした。


「ありがとう」


 その日をきっかけに陽奈ひなは四人の前から姿を消した。美月みづきだけが真実を知らないままに。


*****


「よし!」


 美月みづきは自分のパソコンの前に座る。


 なれない動作を懸命に覚えながら、編集した動画をアップしていく。


 内容はピアノの弾き語り。


 香織かおりの言葉で、美月みづきはまた一からスタートさせることを決意していた。


 初めての投稿で、評価がつくか心配していたが、美月みづきの卓越した技術をたりにした視聴者は、彼女の動画に釘付けになっていた。


 たったの一週間でフォロワーが千人を超えた。


「これならいけるかも!」


 バンドメンバー募集の掲示板も作った。だが、一緒にバンドをやってくれる人はいなかった。


 それどころか『可愛い女の子なら一緒にやってあげてもいいけど。まぁ、アニメに感化されたオタクだと思うけど』など、誹謗中傷のメッセージが書かれた。


 初めてのネットの冷たい言葉。美月みづきの胸は貫かれるほどの衝撃を受けるが……


「これくらいで根を上げていられないよね」


 気合を入れて諦めないで行動していく。何日も。何日も。そんな時、『いつも楽しませていただいています! バンド設立応援しています!』というメッセージが来た。


 インドア・ホワイトというアカウントだった。


 誹謗中傷の中に紛れていた温かい言葉。それに美月みづきは心が軽くなった気がした。


「じゃあ、一緒にやろうよ!」


『そんな、畏れ多いですよ……』


「そう? 気が向いたら連絡してね!」


『はい……』


 二人は何気ない会話などもして交流したりしていた。そう、一年後リアルで出会うとはまだこの時は想像もせず……


*****


「これがわたしたちの全て」


 全てを話し終わった咲良さくらが話をめる。


 それを聞いていた翔兎しょうと柚葉ゆずはは何から言葉にすればいいか戸惑っていた。だが、


「私、その話知らない」


 一番驚いていたのは美月みづきだった。


陽奈ひなには黙っていてほしいって言われて……陽奈ひなが援交してたってのも嘘。アンタをカモにしようとしてたってのも……黙っててごめん」


 自分だけ蚊帳かやそとにされた美月みづきは、少しだけ複雑な気分になっていた。


「でも、陽奈ひな美月みづきのことを一番に思っていたよん。アタシたちも……」


「そんなことはわかってる……」


 違和感は感じていた。


 咲良さくらの話を聞いた時、実際に接していた陽奈ひなのイメージとは結びつかなかったから。


 だが、人には誰もが裏の顔がある。


 一概に嘘だとは言い切れなかった。ましてや、陽奈ひな境遇きょうぐう遭遇そうぐうしていない美月みづきに至っては、想像で物事を判断するしかなかったのだ。


陽奈ひな……ごめん」


 信じてあげられなくて。


 辛かったのに、最後まで気を遣わせてしまった。


 それが美月みづきにとっては何より苦痛だった。


「でも、あてぃし思うんです。陽奈ひなさんは今でも皆さんのことが大好きだと思いますよ。だから、スタープロジェクトで優勝して、彼女の選択が正しかったのだと証明しましょうよ! ねっ!」


 翔兎しょうとの方に視線を向け、同意を求める柚葉ゆずはだったが、翔兎しょうとは固まっていた。


「どうかしましたか?」


「いや……何でもない。なんでも……」


 少し遅れて反応した彼に、全員が首を傾げる。そして、


つよしって男からアナタの名前が出たんだけど……何か知ってるの?」


「いや、なんでも……って言いたいが、隠し通せねぇよな。言うよ」


 咲良さくらの言葉に翔兎しょうとは覚悟を決める。


「一年前まであの男たちとつるんでた。でも、俺が関わったのは一回だけだ。ヤバい遊びをしてたから、縁を切らなきゃって思ってたんだけど……信じてくれるか?」


「信じるよ」


美月みづき!」


「だって、翔兎しょうと君は今、音楽に真剣に打ち込んでる。それだけの誠意を見せてもらえれば、私は信じるに値すると思うな」


「アタシも」


「ボクも!」


「確かに、あの時はいなかったし、あの男も来ないって言ってたから、大丈夫なんでしょうけど……」


 だが、縁が切れていないのであれば、陽奈ひなの懸命な行動も全て無駄になる。


 それが咲良さくらは怖かった。


「まぁ、いない奴のことを考えても意味ないし、今は文化祭のことに集中しないか?」


「そうですね。まずは目の前の文化祭です」


「去年のリベンジするよん!」


「するじゃん!」


 双子も立てなかったステージへのリベンジに燃える。


「じゃあさ、去年やるはずだった曲、一緒にやらない? 編曲したりしてアレンジはするから」


「いいねん。それ」


「いいじゃん!」


「じゃあ、決まりで!」


 三人は一年前の続きのように盛り上がる。その姿を見て、柚葉ゆずははある提案をしてきた。


「なら、この部室を使いますか? 特別に貸出しますよ」


「本当に!」


「は、はい……」


 美月みづきに手を握られた柚葉ゆずはは赤面していく。その横で三人は子供のように喜んでいた。


 一年越しの軽音楽部の復活。それはひとりの部員を欠き、文化祭までの期間限定のものであるが、それでも美月みづきたちにとっては嬉しかった。


「絶対成功させないとな」


「そうですね」


「よろしくな、インドア・ホワイトさん」


「その名前で呼ばないでください!」


 翔兎しょうと柚葉ゆずは揶揄からかう。だが、二人の心情は同じだった。


 こいとファン。意味は違うが、大好きな美月みづきのために彼女の夢を叶えてあげる。


 去年叶えられなかった文化祭のステージで演奏するという夢を。あの時にやるはずだった歌で。

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