第41話 メンバー決裂

「はー、やることねぇー」


 めんどくさそうにため息を吐いた陽奈ひなは、昼間から街をぶらぶらしていた。


 退学届を出した時は、とても緊張したが、いざ辞めてみると感情は軽くなるものだった。


「楽しかったなー、軽音楽部」


 たったの半年間だったが、美月みづきたちと一緒に音楽をやった時間は充実していた。


 入部する時はギャルっぽい見た目のせいで咲良さくらに怪しまれた。でも、美月みづきはそんな自分を受け入れてくれた。


 この時からつよしと関係を持っていたため、周りの人間から蔑まされ、誰にも相手にされなかった。


 そんな彼女にとって、美月みづきは目の前に現れた天使のような存在だった。


 彼氏の冬夜とうや以外で自分を受け入れてくれた存在。久しぶりにできた同性の友達。それだけで嬉しかった。


「もっと、みんなと音楽やってたかったなー。美月みづきよう明里あかり咲良さくら……」


 夏祭りでみんなと一緒に遊んだ。その時に演奏もした。結果は失敗に終わってしまったが、それを次に活かし、児童養護施設では最高の演奏ができた。


 たったの半年だったが、陽奈ひなの人生で一番濃い時間を過ごせた半年でもあった。


 最高だった時間を思い出し、陽奈ひなの感情は爆発した。目から自然と涙が溢れてきていた。


「こいつさえいなければ!」


 陽奈ひなは自分のお腹を思い切り殴った。


 腹部を襲う痛みに悶えたが、あの男に一矢報いたと錯覚することで、少しだけ開放感を得ることができた。


 だが、現実は無常だった。


 お腹の中にはあのクソ野郎の遺伝子が入った生命体がいる。これが原因で自分は退学に追い込まれたのだった。


 変えられない現実を前に、陽奈ひなはどうしようもない無力感に襲われるしかなかった。


「おい、何やってんだよ」


 悲しみと怒りに満ちていると、後ろから声が聞こえてきた。


 振り返るとそこにはあの屈強な肉体を持った男がいた。


 山本剛やまもとつよし。自分を退学に追い込んだ張本人。


 欲望のままに生き、殺人、強姦ごうかんは当たり前の前科持ち。頭のネジがぶっ飛んだ男だった。


 つよしは遠慮なしに陽奈ひなの体へと触れていく。


「離せよ!」


 気持ち悪さが勝ち、無意識に抵抗していっていたが、つよし陽奈ひなを睨み返す。


 鋭い眼光に射抜かれた陽奈ひなは竦み、先ほどまで見せていた抵抗の意思が削がれる。


「それでいいんだよ。お前は俺から離れられない。なんせ、お前の借金を立て替えてやったのは誰だ? 闇金から解放してやったのは誰だ?」


 恩着せがましく、男は言う。そして、


「俺だろ? お前を自由の身にしてやったのは俺の愛なんだよ!」


「そんなことない! お前は、ウチを利用しただけだ! ウチを手に入れるためだけに……」


 その言葉を聞いた途端、陽奈ひなつよしに強く抱きしめられた。


 顔を近づけてくる。


 何にも言葉は発していない。それなのに、彼の持つ威圧感が獣のようで、陽奈ひなは恐怖心を抱くことしかできなかった。


「その顔だよ! それが俺の本能を刺激する。最高だ!」


 憎たらしい笑みを浮かべながら宣言する。


 ただ単に陽奈ひなのことがタイプであっただけ。だから、そこに付け入れられてしまった。


 借金返済の恩を一生着せ、彼女のことを自分だけのものにする。それが、山本剛やまもとつよしという人間の目的だ。


「今日も朝まで楽しもうぜ」


 彼女の手を無理やり取り、ホテル街の方へと連れていく。


 彼女はその手を振り解くことができず、されるがままに彼に連れられるのだった。歯を食いしばりながら、感情を無理やり殺して。


*****


美月みづき、話があるの」


 明里あかりかしこまりながら、美月みづきの目の前に立った。


 今、部活動が始まろうとしていた矢先、突然の声かけだった。


「どうしたの?」


 いつもと違う表情をしている双子。それは彼女たちと向き合えばわかるほどの単純なものだった。


 双子は黙り込む。


 そこから沈黙が部室内に響いた。


 この沈黙が美月みづきは怖かった。沈黙を破った時、何か起きてはいけないことが起きるのではないかという感情に支配されていたから。


 陽奈ひなの件で美月は軽音楽部の未来を心配するようになっていた。


 これからやっていけるのか……文化祭は成功できるのか……そう思っていると、明里あかりが決心して口を開く。


「私とようも退部させてもらいたい」


 予想外の言葉が飛んできて、、美月みづきは言葉を失っていた。


 そんな彼女を放っておき、持ってきたていた退部届を咲良さくらへと渡す。


「わかった。受理します」


「なんで!」


「残るのも辞めるのも二人が決めることだよ。私たちが干渉していいことじゃない」


「でも……」


 美月みづきが表情を曇らせていくが、「さよなら」と二人はそっけなく呟き、部室を後にして行ってしまう。


 双子の寂しげな後ろ姿を見て、美月みづきは焦燥感に駆られた。


 ここで行かせたらダメだ。もう二度と会えなくなってしまう。全てが壊れてしまう。


 そう思った途端、美月みづきは「待って!」と声をかけてしまっていた。


 美月みづきの声に双子は足を止める。


 双子の行動に美月みづきは安堵の表情を浮かべた。


「スタープロジェクトが原因? だったら、私が悪かった。だからお願い……行かないで」


 陽奈ひなに退学までされた。それはおそらく、彼女を美月みづきが無意識に追い詰めていたからだろう。


 美月みづきは無意識に負い目を感じていた。


 二人にはそうなってほしくない。悪いところがあったら反省する。だから……


「もうついていけなくなったの」


 しかし、帰ってきたのは明里あかりの冷淡な声色だった。


 彼女の言葉に美月みづきは一瞬たじろぎ、息を呑む。


 何か言い返さなければ……そう思っていたが、美月みづきが言葉を紡ぐ前に、ようが言葉を挟む。


「施設での演奏は楽しかったよ。でも、また夏祭りみたいな酷評がされるのが怖いの。ましてや、大会に出るならそれ相応の覚悟をしないといけいない」


 唇を噛み締めながら、ようは言葉にする。そして、


「誰もが美月みづきみたいに音楽の才能に恵まれてるわけじゃないんだよ」


 咲良さくらを見ながら、現実を教えるかのように言葉を浴びせる。


 ようの言葉を聞いて、美月みづきは反論できないでいた。


 美月みづきを無視して、二人は部室を後にしていこうとする。


 本当に終わりだ。今まで紡いできた絆も、思い出も全てが終わってしまう。


「ねぇ! 待ってよ! 咲良さくらからも何か言ってよ!」


 すがるように親友に懇願していく。


 だが、肝心の咲良さくらは沈黙を貫く。理由はわからないが、その態度が美月みづきは悔しくて、悲しくて仕方がなかった。


 美月みづきの声は届かず、二人の後ろ姿は瞬く間に見えなくなった。


 双子がいなくなった部室で美月みづきは膝から崩れ落ちた。


 なんでこうなってしまったのか。


 いつから違ったのか。


 何がいけなかったのか。


 そんな感情が胸の中で渦巻いていくが、徐々に感情は怒りへと変わっていく。


「なんで止めてくれなかったの」


美月みづき?」


「なんで止めてくれなかったの!」


 目に涙を浮かべながら、咲良さくらに強い言葉を浴びせる。それだけに留まらず、美月みづきは勢いで彼女を突き飛ばしてしまっていた。


 突然の行為に咲良は唖然あぜんとする。


 座り込んでいる彼女の顔を見て、美月みづきは冷静さを取り戻した。


「ごめん……」


 咄嗟に口から言葉が出たが、咲良さくらにはその声は聞こえていなかった。


 怒りに燃えた咲良さくらが今度はやり返し、見下ろす形になる。


「そんなんだから、陽奈ひなに騙されるんだよ! アイツはアンタをカモにしか見てなかった。援交してたんだよ。それが退学の理由だよ!」


 頭に血が上り、自分でも何を言っているのかわからなくなったが、咲良さくらの口は自分の意思とは無関係に言葉を紡いでいく。


よう明里あかりもアンタが可哀想だから、同情して入部してくれただけ。それもわからずあれだけわがままを言ってれば、嫌にもなるよ! 現に私も……」


 咲良さくらの言葉を受けて、美月みづきの心は衝撃を受けた。立ち上がり、逃げるように部室を出て行ってしまう。


美月みづき!」


 哀愁あいしゅう漂う後ろ姿を見て、咲良さくらは自分がしたことを後悔した。


 嘘で重ねた言葉。だが仕方がない。そうしなければ、頑固な美月みづきは説得できないと、長年の付き合いで感じたから。


*****


 あれから数週間が経ち、学園は文化祭当日を迎えていた。


 校庭から校舎まで生徒のもよおし物で賑わっている。


 そんな喧騒の中に美月みづきはポツンと佇んでいた。


 あれから咲良さくらとは話もしていない。彼女は自分のことをどう思っているのか……


 そんな感情を抱きながら、ひとりでもよおし物を周る。


 お化け屋敷にメイド喫茶など定番のものもあれば、ラボ体験に全国マニアッククイズなどの変わり種も存在した。


 モヤモヤする気持ちを紛らわせるために、色々な場所を巡った。


 最初はお化け屋敷で恐怖体験をする。


 本家本元の知り合いがいる生徒が監修したらしく、かなり完成度の高いもので、かなり楽しめた。


 次にメイド喫茶に行き、一目惚れした女の子にメイド喫茶お決まりの言葉を言ってもらった。


「萌え萌え、キュン……」


「可愛い!」


 彼女は恥ずかしそうにやってくれたが、それがまた可愛く、メガネっ娘であるところもポイントが高かった。


 から元気でコメントしていく。


 メイド喫茶で食事などを楽しみ、別の所へと向かっていく。だが……


「演劇部か……」


 講堂で行われる演劇のポスターを見つけ、暗い表情になる。


 本来なら軽音楽部のみんなでこのステージに立つ予定だった。楽しい時間を共有するはずだった。


 しかし、現実は変わってしまった。


 それを思い出すと、美月みづきは悲しみの感情に支配されそうになる。


 だが、足は講堂へと向かっていた。


 脚本、構成などは演劇部が行なっている。故に、完成度はかなり高いと評判されているものだ。


 ちょうど公演が始まる。


 自分と同じ一年生なのに、素晴らしいクオリティに美月みづきは心を動かされた。


 魔法で犬に変えられたお姫様が、自分を飼ってくれた男の人に惹かれていく恋愛ものだった。


「凄い……」


 演劇に夢中になっていると、美月みづきの胸ポケットに入っていたスマホがバイブを鳴らす。


 人々は劇に夢中になっている。その音は歓声にかき消されたが……肝心の美月みづきだけは感じ取れる。


 スマホを開くと、そこには仲違いした咲良さくらからメッセージが入っていた。


『この間はごめん。私も言いすぎたよね。本当にごめんね。また美月みづきと仲良くしたい。だから、私を許してくれる?」


 そのメッセージに無意識に涙が流れていた。


 当たり前だ。彼女とは中学からの親友で、共に痛みや苦しみ、喜びや嬉しさを共有してきた。


 美月みづきとしても彼女との縁を切るのはできなかった。


「もちろんだよ」と返信をしていこうとした時、またも咲良さくらからメッセージが入った。


『それと別件なんだけど、よう明里あかりから伝言を頼まれてたんだ。美月みづきには絶対に聞いて欲しいから、送るね』


 しばらくしてメッセージが入る。そこには、端的にこう書かれていた。


『今まで楽しかった。ありがとう』

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