第27話 これからはずっと……


『アイツと一緒に音楽をやってほしい』


 たえの言葉が耳を離れない。


 あの必死な懇願こんがん。目に浮かぶ涙。


 今日の昨日の昼の出来事を思い出すと、胸が痛くなる。


「でも……」


 彼が自分にした行為も素直に許せるものではなかった。


 事情はどうあれ、美月みづきは怖い思いをした。下手をすれば、一生、心に傷を負う。それくらいのものだったと言ってもいい。


 そういえば、前にもこんなことがあった。


 翔兎しょうとに襲われた時。


 彼は完全な男の目をしており、あの時も心の奥底に傷をつけられた。


 だが、彼のことは結果的に許せた。


 あの時と今とではどう違うのだろうか……


 そう思った美月みづきは、彼に電話をかけてしまっていた。


美月みづき、急にどうした?』


「ごめん、忙しかった?」


『いや、別に暇だったけど……』


 本当は溜まっている宿題をしないといけないのだが、大好きな人からの着信を優先しない理由はない。


 精神的にやられている美月みづきは、彼の優しさに甘える形をとる。


「ちょっと、相談したいんだけど……」


 彼の姉から聞いた話を全部、翔兎しょうとに話した。それを聞いて、自分の心が揺らいでいると事も。そして、自分の気持ちが整理できていないので、翔兎しょうとに連絡したことも


『そんな事情があったとはな……」


 美月みづきの話を聞き、健斗けんとの置かれている状況を全て理解する。


 彼にも人の血が流れている。不幸におちいり、悩んでいる人間を無下むげに扱おうという性格はしていない。


 電話口から冷静な声色が聞こえてくる。


『それでも俺は許せない。美月みづきをあんな目に合わせたやつを……仮に美月みづきが許せても、俺はアイツを受け入れられる自信がないよ』


 それが翔兎しょうとの本音だ。春樹はるきも口にしないが、翔兎しょうとと同様の感情を持っているのかもしれない。


「ありがとう……時間、作ってくれたんだよね」


『そんなこと……』


「声、聞いてればわかる。本当にありがとね」


 そう言って、電話を切った。


 翔兎しょうとに聞いたが目ぼしい答えは出せなかった。


「どうすれば……」


 胸に引っかかる気持ちが邪魔だ。これさえなければ、自分はこんな立ち止まる事なんてないのに……


 自分の胸を抑える。


 胸を抑えていると、病院での出来事を思い出す。


 結果は後日となり、こっちにも恐怖している。

悪い結果にはならないはず。大丈夫だ。


 そう思っているからこそ、母親にもまだ喋っていない。不安にさせたくないから。


「お母さん……」


 お母さんなら、こういった時にどう解決するのだろう。


 自分の倍の人生経験をしている人生の先輩。今の自分と同じ状況など、何度か体験してきたは

ず。


 自分では答えは導き出せない時、もう、誰かに頼るしかない時。母ならどうするのか。


美月みづき、部屋の中、入れてくれる?」


 元気のない自分を心配してくれたのか、母は部屋の前まで来てくれた。


 母の優しい声に美月みづきは扉を開け、部屋へと招き入れる。


 隣に座る母。そんな母親の顔を見ていたら、自然と涙が流れてきていた。


 抱きついて、この三日間で自分に起きた出来事を全て話した。


 健斗けんとという男性にストーキングまがいのことをされていたこと。怖かったこと。


 病院に行き、精密検査をした事も。その時に、医者に乳ガンかもしれないと言われたことも。


 あらゆる要素が絡み合い、美月みづきは恐怖に支配されていた事も全て話した。


 母は美月みづきの言葉を全て受け止めてくれた。後者に至っては、「まだ決まったわけじゃないんでしょ?」と励ましてくれる。


「そうだけど……」


 あくまで可能性だ。でも、ゼロじゃない限り、美月みづきは怖くて仕方がなかった。


「大丈夫よ。美月みづきは自分に胸張って生きてる。悪い結果にはならないわ」


「でも……」


「そっちは祈るしかないわ。今さら変えられないわけだし」


 母にそう言われ、美月みづきは病院の件は何事もないように祈ることにした。


 だが、まだ健斗けんとの件が片付いていない。が、母からしたら、その問題も簡単に解決できるものだった。


 だから、すぐに答えを提示してくれた。


「男の子についてはね、美月みづきが自分の気持ちに素直になればいいんじゃないかな?」


「素直に」


「そう。他人がどう言おうが、美月みづきと彼の問題よ。美月みづきが許してあげられるのであればそれでいいし、許してあげられなければ突っぱねればいいの。そこに他人の気持ちは関係ない。私が親の反対押し切ってお父さんと結婚した時みたいにね」


 彼女の母──宇崎佐奈うざきさなは、本当は夫──光秀みつひでと結婚することはできなかった。


 まともな職に就かず、夢追いばかりしている彼を、佐奈さなの両親は許さなかった。


 しかし、自分の気持ちをわかってくれなかった両親を半ば勘当かんどうし、二人は籍を入れた。


 その後は美月みづきも授かり、二人は幸せな家庭を築けていた。


 だから、佐奈さなにはわかる。自分の気持ちに素直に従った時の結果は、どう転んでも許容できる。後悔など絶対しないと。


 母の言葉に美月みづきの目つきが変わる。ひとみの奥に決意が宿り、今やるべきことが明確にわかる。


「お母さん……ありがとう」


 そう言って、部屋を飛び出す。その時に、スマホを取り出し、ある場所に連絡をして……



「マイハ……美月みづきさん、ごめんなさい。僕、嘘をついた。君に振り向いてもらいたくて、君に僕を見てもらいたくて……最低だよね」


 部屋に飾ってある写真に向かって謝罪をする健斗けんと


 彼は今、一人懺悔ざんげを行なっていた。


 あの時、画面越しにキスをしたり自慰じい行為をしたと言ったが、あれは彼の嘘だった。


 健斗けんとは何もしてない。ただ、気を引くために奇抜なことを言って、美月みづきに振り向いて欲しかったのだ。


 それほど、彼にとって美月みづきは救いだった。


「でも、それが美月みづきさんを傷つけてしまったんだね」


 彼女の本気の拒絶。自業自得とはいえ、それをの当たりにした健斗けんとは、全てを失った日の感覚を再度味わった。


「どうして……僕の前からいなくなってしまったんだよ……あい


 あい健斗けんとの全てだった。


 彼女がいたから、生きる意味を見出せた。


 彼女の笑顔を見るために、どんなことでも頑張れた。


 彼女だけいれば何もいらなかった。


 だから、美月みづきを見つけた時は嬉しかった。


 似ているだけの別人だとわかっていても、それにすがりたくなったのだ。


「でも、本当にお別れだね」


 涙を手の甲で拭い、決意する。


 美月みづきを傷つけた。


 自分が本来したかったこととは反対の行為を行ったのだ。当然のむくいだ。


 健斗けんとは壁に貼ってある美月みづきの写真に手を伸ばす。そして……ビリビリに破いていった。


 目から涙がしたたる。


 胸の奥が針で刺されているかのようにチクチクする。本当は切りたくない。でも、切らなければならないえん


 頭が狂いそうになりながら、奇声をあげて写真を次々とゴミ箱に捨てていく。


 あまりに大きな声だったので、姉は心配になり、健斗けんとの部屋に入ってきた。


健斗けんと、大丈夫?」


「姉ちゃん……」


 姉の顔を見て、健斗けんとは冷静になれた。だが、その顔は生気せいきを失いかけの人間みたいで、見ていて痛ましいものだった。


 たえは歯を食いしばり、本来自分が弟の部屋で済ますはずだった用を済ましていく。


「ちょうど良かった。健斗けんとに電話」


「僕に? 誰から?」


 弱々しく言葉を紡ぎながら姉の言葉に首を傾げ、電話に出る。その第一声に、健斗けんとは胸を打たれた。同時に、パニックにもなり……言葉出せなかった。


 電話越しからあいの声がしてきた。その声に健斗けんとは生気を取り戻す。


健斗けんと君、今からスタジオ『HOPEホープ』に来れる?』


 電話越しに優しく声をかけられ、自分が錯覚を起こしていたのだと、健斗けんとは理解した。


 声の主は美月みづき……しか、考えられない。だってあいは……


「ごめんなさい。僕は君に会えない。どんな顔して会えば良いのかわからないんだ」


『いいから来て』


 優しくも芯の通った声を浴び、健斗けんとも決意を固める。


「姉ちゃん、僕行ってくるよ」


「うん」


 たえが温かい笑みを見せ、弟を見送る。


 今日、決着が付く。健斗けんと自身のしがらみと過去の因縁に。



 健斗けんとは指定された『HOPEホープ』にたどり着いた。


 夜は深い。辺りは電気が消えてる場所が多く真っ暗だ。


「ごめん。遅くなった……」


 暗くてよく見えなかったが、端麗たんれいな長髪のシルエットが見え、健斗けんとは素直に謝る。


 美月みづきからの返事がない。


 間違えたのかと思ったが、この場所にいると言っていたのは彼女だ。人違いということはあり得ない。


 無言の空気が漂い、健斗けんとは重圧に押し潰されそうになった。だから……


「僕、君に……」


 そう言葉を紡ごうとした瞬間……自分が誰かに抱きしめられている感覚を得た。


 突然すぎる出来事に、健斗けんとは状況を理解できなかった。そんな彼を置いておき、美月みづきは、


「あの時はごめんね。私、健斗けんと君の気持ち知らなかった。健斗けんと君、寂しかったよね。辛かったよね」


 恋人に語りかけるかのように、健斗けんとの耳元で言葉を紡ぐ。その声は少し涙ぐんでいて、健斗けんともその声に感情が込み上げてくる。


 だが、美月みづきはまだ健斗けんとを離してくれない。彼を抱きしめたまま、さらに言葉を並べていく。


「私はあいちゃんの代わりにはなれないけど、私と一緒にいることで健斗けんと君が救われるのなら、私がそばにいてあげる。だから……」


 美月みづき健斗けんとから離れ、一息吐く。そして……


「一緒に音楽やろう」


 月明かりが二人を照らす。まるでプロポーズをして、その返事を待っているかのような、そんな光景だった。


 美月みづきの言葉に、健斗けんとは感情を抑えられなくなった。


 涙を流し、膝から崩れ落ちる。それを美月みづきが支える。


 二人だけの秘密の時間。健斗けんとが待ち望んでいた瞬間が今、現実になった。



 

 

 

 

 

  

 

 

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