第4話 一縷の希望

 翔兎しょうとに襲われてから二日。美月は学校を休んでいた。


 こういった事態は初めてだったので、家族や友達にたくさん心配されたが、美月の精神的にそこに向き合う事ができない状態であった。


「美月。部屋の前にご飯置いておくからね」


 母親の心配そうな声色が美月の耳に入ってくる。


 だが、その言葉には一切返答しない。


 心配してくれている母の気持ちはわかるが、すぐに立ち直れる程、美月のメンタルは強くはなかった。


 母親には何も話していない。


 何から話せばいいのかわからないし、下手に話して翔兎しょうとに恨みを買っては母までも危険に晒してしまうかもしれない


 第一、彼のことを……


「信じたい……」


 その想いが強かった。


 ただの間違いで行ってしまっただけなのだと。だから、謝罪の一言もあるかもしれないと……


 そう信じたかった。


 一通のメールが届く。


 スマホを見る気力もなかった美月だが、生活習慣に刻まれた無意識は、勝手に手を動かしていた。


『美月、大丈夫? 学校休むなんて初めてだから、私心配してる。学校ではあの男と美月の間に何かあったって噂が立ってる。余計なお世話かもしれないけど、あの男のこと調べてみたんだ。そうしたら、アイツの家にたくさんの女の子が出入りしていたって話も入ってきた。もう関わるのはやめた方がいいよ。元気になって学校に来るの待ってるよ』


 咲良さくらからメールを既読無視し、ベッドにうつ伏せになる。


 自然と涙が溢れてきた。


 たくさんの人に心配と迷惑をかけた二日間。こんなところでつまずいていてはいけない。それはわかっている。


 だが……あの日の事を思い出させ、美月の足を止めさせる。


 去年の冬の出来事だ。


 方向性の違いから軽音楽部は、たったの半年で自分以外の部員がいなくなった。


 最初は意気投合し、共にスタープロジェクト優勝をを目指していたのだが、途中から親友だと思っていた部員のひとり──名倉陽奈なぐらひなが部活にも顔を出さなくなった。


 後から聞いた話だが、彼女は俗に言う援交を行っており、そのカモとして美月が利用できなかと思っていたらしい。


 その時は咲良さくらの垂れ込みがあり、何もされなかったが、陽奈ひなの真意を知り、彼女はショックを受けた。


 あの出来事があり、美月はそういった事に注意を払っていたのだが……


翔兎しょうと君に限って……」


 そう思いたいが、事実彼女は二度目の裏切りを受けている。恐怖を拭い取ることなどできない。


 またもメールが届く。


 美月は無気力ながら、またもメールを開いた。


 しかし、今度のメールは彼女の目を引くものだった。


 送り主はまた咲良さくらだったのだが、そこには「美月、自分の動画サイト見てご覧。美月のファンがたくさん待ってる。すごい反応だよ」と書かれていた。


 咲良さくらの文章に、美月は動画サイトを開いていた。


 元々、百件くらいのメッセージは届いていたのだが、今回はその比じゃない。


 十倍以上のメッセージが届き、彼女のことを心配している。


 その中でも一際、目立つメッセージがあった。


『動画投稿されてませんけど大丈夫ですか? 私は美月さんの歌に毎日励まされています。もし、美月さんが精神的に打ちのめされたり、活動が厳しいのであれば、微力ですが、私が力になって、恩返ししたいです。こんなコメントしかできませんが、また復活願ってます!』


 インドア・ホワイトというアカウント名。


 確かこの人は毎日見てくれてコメントをくれる人だ。


 自分の事をこんな風に思ってくれている。


 他の人もたくさんのコメントをくれている。その温かさに彼女は、少しだけ勇気をもらえた。


 ここで立ち止まっていてはこの人たちに顔向けできない。


 なら自分のやれることは?


 それを考えた結果、彼女の取る行動はひとつだった。


 彼女は立ち上がる。


 まだ完全に立ち直れたわけではない。


 だが、立ち止まっていては何も変わらない。


 気合いで体を動かし、家を飛び出す。


 美月の向かう先はひとつ。翔兎しょうとの家だ。


 あんな事をされた男だが、この一件にケジメをつけずに終わらせるのはなんだかいけないような気がする。それに……


翔兎しょうと君は私と似てる)


 初めて会った時からそれは感じていた。だから、彼と二人きりになっても緊張もしなかったし、ましてや姉弟きょうだいのようにも感じれた。


 彼の過去に何があるのかわからないが、そばにいてあげたい、手を差し伸ばしてあげたいと思うのだ。


 翔兎しょうとの家に着き、インターホンを鳴らす。


「へーい」


 ドスのきいた声が聞こえ、玄関が開かれる。


「あのー、」


 美月が出てきたダンディなおじさんに声をかけるが……


「あー、女? またかよアイツ。俺に迷惑かけんじゃねぇよ。これで何人目だ」


 途中で言葉を挟み、美月の事をガン無視する。


翔兎しょうとー、ちょっと来いや」


 呼ばれた翔兎しょうとが嫌々ながら玄関に来る……が、美月の顔を見た瞬間に驚きを見せた。


 急いで部屋に戻ろうとする翔兎の手を今度は美月が掴む。そして……


「一緒に来て!」


 一言だけ言うと、無理やり翔兎しょうとを連れ出した。


「待って!」


 翔兎しょうとが美月に叫ぶが、彼女の耳には届かない。


「待てって言ってるだろ!」


 彼が声を荒げた途端、美月は立ち止まった。そこは、住宅街の真ん中だった。


「何しに来たんだよ! 俺はお前を傷つけた。だから、会う資格もない! あれが俺の本性なんだよ!」


「嘘」


 翔兎しょうとの言葉を聞いて美月は、即答する。


「あの噂も嘘なんでしょ。あなたは何もしてない。噂が勝手に一人歩きしただけ。だって、翔兎君の顔見ればわかるよ」


「なんでそんなふうに思うんだよ!」


「じゃあ、何で私を襲った時、躊躇ためらったの?」


 美月の言葉を聞いて、翔兎は目を見開く。しかし……すぐに言葉を返した。


「残念。俺が何もしてないってのはハズレ。俺はこの手でたくさん抱いてきたし、あの時の感覚をもう一度味わいたかったからお前に近づいた。どう、最低の男だろ? 口調を変えてたのもお前を油断させるためだよ。お前なら騙せそうだったからな」


 翔兎しょうと言葉を聞いて美月は、黙り込む。


 沈黙が数秒続く。そして、


「私ね。自分の存在意義がわからなくなった時があるの。ピアノコンクールで優勝してからは更にね。私を期待の目でしか見ない。成功すれば讃え、失敗すれば非難する。そういう目でしか私の事を見なくなった大人が怖くて……なんで生きてんのかなって思ったりもした」


 彼女の言葉を聞いて翔兎しょうとは、「突然なんの話だよ」と言葉にする。


しかし、美月は彼の言葉などお構いなしに、続きを紡いでいく。


「でもね、あの日、OCEANオーシャンの演奏を見て、希望が湧いてきたの。楽しそうに演奏している。みんな成功失敗に拘らない。OCEANオーシャンみたいになれれば、皆んなと一緒に同じ時間、同じ楽しみを共有できるって。だから、私もこうなりたいって!」


 彼女は一度言葉を区切る。その後、呼吸を整えた後、


「だから一緒にバンドを続けてほしい。私のエゴだってわかってるし、私は翔兎しょうと君のこと何も知らない。でも、何か続けていけば未来は変わるかもしれない。だから手を差し伸べたいの。翔兎しょうと君は私に似てるから」


 心の底から思っている言葉を吐き出し、手を差し伸べるが……翔兎しょうとは美月の手を取らず、そのまま立ち去る。その時に「やるわけないじゃん」とそっけなく呟いて。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る