鬼灯色の浮気男⑥




*****


 

 翌朝、ふと目が覚めると見慣れた自分のベッドの上だった。もう少し寝たいかも……なんてうつらうつらとしていると、興奮した様子のメイドがノック音とともに飛び込んできた。


「ついにご婚約ですね!」


 メイドのばくだん発言に一発で目が覚めた。なんの話をしているの?


 えーっと、確か昨日はイリス様の婚約披露パーティーにお呼ばれして……。そうそう、大変な事件が……。


 あれあれあれ? そういえば私、あの後どうやって家に帰ってきたの?


「昨日はファイユーム公爵家のご令息がお嬢様をかかえていらっしゃったので、やしきじゅうおおさわぎでしたよ」


 …………っっっ、そうだったーっ!


「ち、違うの、昨日はちょっと、説明の難しい出来事があって」


 若いメイドはニッコォといいがおで頷いた。


「えぇ、えぇ、もちろんですとも、お嬢様が落ち着いてから聞かせてくださいね。まだ、ずかしいですものね、うふふ」


 何が? 待って、恥ずかしがるような出来事はいっさいなかったの、本当に。

 メイドも浮かれていたが、両親もまた落ち着かない様子だった。


さきれはあったが、本当に公爵家の馬車がうちに来て驚いたよ」

「しかもアリシャちゃん、ファイユーム公爵家のご子息に抱っこされていて……」

「日を改めて出直すと言われたが……、アリシャ、何があった?」


 どうしよう、説明がしづらい。アルク様がやらかしたことって公言しないほうがいいよね。


 困っていると、今度はルディス様からお父様宛に手紙が届いた。


 私の具合が悪くなってしまい、偶然居合わせた弟のバルディ様が送り届けた、というあたりさわりのない内容だったとのこと。色めき立っていたメイド達もそれで落ち着いたようだ。ふぅ。危ない危ない。


 やっぱり、事件のてんまつはおいそれと人に話せるものではなかったようだ。私もそれについては口をつぐみ、両親にも黙っていることにした。その後、たっぷりと休息を取り、翌日は元気に学園に行った。


 けれど、イリス様は体調をくずされたとのことでしばらくお休みすると先生から説明があった。


 何があったのかを知っているのは私だけ。皆はイリス様がでもひいたのだろうかと心配していた。


 イリス様の心中は察するにあまりある。婚約者が自分の家で働くメイドと浮気していた挙げ句、にんじょうだなんて……。いくら政略結婚だとしても許せそうもない。


 ガーデンパーティーの会場で見た二人はとてもお似合いで、アルク様は笑顔でイリス様を見つめていたのに。


 床に押さえつけられて暴れる様は別人のようだった。叫び、喚き、女が悪い、さそわれただけだのと見苦しい言い訳ばかり。


 太陽の光をいっぱいにふくんだ鬼灯ほおずきいろの髪をした快活な伯爵令息は、愚かでしゅうあくな浮気男だった。


 私はできればれんあいけっこんをしたいけれど、あんな浮気男だけは絶対にお断りだ。


 そう……、私が結婚したい相手は決して高位貴族、高身長のハイスペックイケメンなどではない。ごくごく一般的な普通の男性が良いのだ!



 そうして私は、事件のことだけでなく関わった人達のことを、一刻も早く忘れようと心に誓ったのだった。



*****



 ガーデンパーティーでの出来事から数日が経ち、平穏な日常が戻ってきていた。

 ルディス様とバルディ様が我が家にやってくる……とお父様から知らされるまでは。


 ファイユーム公爵家から手紙が届き、「明日、うかがいます」と先触れがあり、我が家がはちを突ついたような騒ぎになったのは言うまでもない。


 手紙には「大切な話をしたい」としか書かれていないが、おそらく事件の顚末を話に来るのだろう、と察した。一方で両親やメイド達は「公爵家のご子息とのいいお話では」とっている。


 それはさすがにないと思うけどなぁ……。


 二時間ドラマ好きとしてはもちろん結末にも興味があるけれど、通行人Aがこれ以上巻き込まれてもね。それにもしそんな話だとして、きっぱりと断れたらいいのだが、公爵令息相手に何をどう断ればいいのやら。


 そして当日。

 我が家にいらしたルディス様とバルディ様は、改めて見ても美しく、額縁で囲ったら絵画のように完成された雰囲気だった。


 ルディス様は美貌の紳士でバルディ様はじょうな騎士様。柱のかげからそっとかんしょうするだけでお腹いっぱいなのに……、なにゆえに私が接待しなければならないのでしょうか?


 後ほどお父様にも話があるそうだが、先にアルク様の件についての報告があるようで、応接間は人払いがされた。三人けのソファにルディス様、バルディ様が並んで座っている。私も仕方なく向かいに一人で座った。


 形式上、部屋の扉は開けられていて、視界に入る位置に公爵家の護衛騎士二人と我が家の家令が立っている。この距離ならよほど大きな声で話さなければ聞こえないだろう。


「さて、被害者となったメイドだが、職場の仲間に『アルクを絶対に落とす』とごうしていたようだ。アルクは遊びのつもりだったが、メイドは最初からかねづるにしようとたくらんでおり、アルクが逃げないようにちゃっかりしょうも残していた」


 男爵家に生まれたというメイドさんは野心家で、アルク様から巻き上げたお金で高位貴族向けの会員制サロンを始めるつもりだったらしい。メイドさんの部屋からは事業計画書が見つかっているそうだ。


「婿入り予定のアルク様がパトロンでは、早々に計画がたんしていたのでは……?」


 私の正直すぎる一言に、ルディス様がしょうしながら答えてくれた。


「メイド仲間曰く、『イリス様との差は生まれた家のせいであって、自分だって侯爵家に生まれていれば……』とのことだ」


 なるほど……金蔓でもあるけれど、イリス様へのたいこう意識でアルク様を選んだのかもしれない。


 そういった野心を隠さない人物だったので、メイドさんはどこの誰ともわからない男と駆け落ちをして行方ゆくえ不明……ということになったそうだ。


 駆け落ちも外聞はあまりよろしくないが、殺人事件として処理をするとすべての家に影響が出る。殺人犯を出した伯爵家、そんな男を選んだ侯爵家、そして殺されるようなことをやらかした娘を育てた男爵家。


 この場合、侯爵家はむしろ被害者なのでは? と思わなくもないが、貴族的にはハズレ婿を引いた見る目のない家となってしまう。


 アルク様は表向き病気りょうよう……、実際は名を変えてろうえき後、伯爵家のとおえんに引き取られる予定だとか。ぞくせきはくだつされるが死罪よりはましだろう。


 三家で話し合った結果、事件はなかったこととなり、裏では伯爵家と男爵家が少なくない額を侯爵家に払うことで合意したそうだ。


 これがやんごとなきお貴族様のやり方か……。私は何とも言えず、げんなりする。


「伯爵家と男爵家はおそろしく高い授業料を払ったってことだな」


 ルディス様がほほむ横でバルディ様が「侯爵家に家をつぶされなかっただけましでしょう」とほんのりげんさをにじませたこわで言う。


「アルクはトラブルになった時点で父親に相談するべきでした。そうすればメイドは伯爵から金をもらって消えていたでしょうし、もし二度目のきょうかつがあれば、伯爵が裏で手を回していたでしょう」


「バルディ様のおっしゃる通りとは思いますが、アルク様が冷静に物事を考えられる方ならば、最初からメイドさんのゆうわくに乗って浮気などしなかったと思います」


 アルク様には侯爵家の一員となる資質も自覚もなかった。

 女侯爵のはんりょとなるからには、あまり婿が賢いと立場が逆転しかねない。ちょっとポンコツくらいがちょうどいいと、フィーター侯爵様も思っちゃったんだろうなぁ。


 だとしてもイリス様のためを思えば、もっと早くにフィーター侯爵家で対処できたのでは? 廊下の会話で、侯爵様もご事情を知っていたようだし……。


 あれあれあれ? どうしてそうしなかったの? あえて放置した、なんてことはないよね?


 それになんでわざわざ婚約パーティー当日にアルク様とメイドさんはあの部屋で密会する必要があったの? しかもあの廊下は人払いされたように全然人が通らなかったし!


 事件をルディス様とバルディ様が発見したのはさすがに偶然だと思うけれど、その後すぐに侯爵様とイリス様が現れたのは出来すぎじゃない?これらは本当に偶然なの?


「愚かな浮気男をゆうどうしてほど知しらずのメイドを始末し、ついでに浮気男を社会的にまっさつしてしゃりょうをゲット……的な?」


 や、やだなぁ、私ってば。前世でサスペンスドラマを山ほど見てたせいで思考が少しさつばつとしちゃってるみたい。そんな推理小説みたいなこと現実で起こるわけがない。


「アリシャ嬢、先ほどからぶつぶつとどうした? 顔色が悪いようだが……」


 無意識のうちにまた独り言を漏らしていたらしい。バルディ様に心配そうに聞かれた。

 私が「大丈夫」と答えるより先に、視界のはしでルディス様がにっこりと笑って自身の唇の前で指を一本立てた。


 内緒だよ……と口パクで言われた気がして、ぶんぶんと頷く。


 もう、本当にやだ、怖い。

 この人達、早く帰ってくれないかしら……と私がなみだになりながら思っていると、ルディス様が「ところで……」と話を変えてきた。


「アリシャ嬢はまだ婚約者が決まっていないそうだね」


「そう、ですね。学園を卒業したら子爵領に戻り、領内で探そうと思っております」


「前世の記憶を子爵領で活用するの?」


 はい? ルディス様、何故、それを……?


 また独り言で……言ってないよね? ルディス様とはほとんど会話していないもの。


 驚く私にルディス様がほほ笑む。


「珍しいタイプのご令嬢だってバルディに聞いて、調べちゃった★」


 調べちゃった★ って……そんなお茶目に言われても。私からすれば背筋がこおる思いだ。


 トップシークレットをそんなに簡単に暴かないでほしい。


「私の記憶は国にこうけんできるようなものではなく、普通すぎて領地改革したり、食生活や既存産業に革命を起こせるようなものではございません。保護いただくほどでもないので、いずれ領主となる弟を助けながら静かに暮らせたらと願っております」


「そうなの? もったいないなぁ。生かせそうなのに。ほら、今回みたいな件とか。アリシャ嬢は血だらけのメイドを見ても冷静に現場をぶんせきしていたよね? ――今もさ」


 ルディス様に鋭い目で見られていやいやいや……と私は首を横に振る。


「私はこれっぽっちもイリス様のふくしゅうげきだったのでは? なんて考えてはいませんし、あの時もまったくもって冷静ではございませんでした。その証拠に……、えぇと……、そう! うっかり人質Bとなっておりますし!」


「人質B……?」


 バルディ様が私の余計な一言に首を傾げる横で、ルディス様はしらじらしく続ける。


「あぁ、あの時は私も驚いたよ。ものを持った男にご令嬢を人質に取られるなんて、私達が揃って現場にいたのに大失態だ。最悪の事態もかくしていたけど、見事な脱出劇だったね」


 ルディス様はそう言うが、私は人質Bとしての仕事をまっとうしただけ。

 事件というのは創作物だから楽しいのだ。


 通行人Aはまだきょうできても人質Bは二度と引き受けたくない。


「わ、私、あの時のことはちゅうで、さっぱりすっかりカケラも覚えておりませんわぁ、ほほほ」


 とにかく笑ってごまかそう。記憶にございませんっ。と、頑張ってほほ笑んでいたが……。

 ルディス様が黒い笑みを浮かべて言った。


「ってことで、アリシャ嬢の知識を騎士団で生かすことにしたから」

「は?」

「ついでにバルディの婚約者に内定したよ、おめでとう。兄としてはもちろん、公爵家としてもかんげいしよう」

「いや、めでたくないです、お断りします」


 反射的に断ると、何故かバルディ様がムッとした顔をする。


「何故だ、オレになんの不満が?」


 えぇ~……、むしろそちらが乗り気なことに驚きです。

 我が国では公爵家にとつぐのは最低でも伯爵家以上か友好国の王族で、子爵家の可能性などかいに等しい。ありえるとすればよほど容姿たんれいか財産があるか、たぐいまれなる才能があるか。


「どうしてそんな話になるのかさっぱりわかりません。私の記憶は特別なものではないときちんとうそいつわりなくしんこくし、特異性なしと判断されました」


「確かに聞き取り調査の書類だけ見ればおかしな点はない。でもさ、アリシャ嬢は随分と変わっているんだよね。状況判断が早く、それを実行に移すだけのたんりょくもある。アルクに食らわせた一撃は見事なものだった」


 ルディス様の横でバルディ様が深く頷いている。


「令嬢ってのは騒ぐし泣くし、めんどくさいのが多いが、アリシャ嬢は新人騎士より度胸がある」


「ないです、そんなものはまったくありません。あの時はお二人がいたから『なんとかなる』と思っていただけで……」


 ルディス様がぽんっと手をたたいた。


「でしょ? だから前世の記憶持ちであるアリシャ嬢の安心、安全のためにバルディをつけるよ。バルディが所属している第五騎士団は難事件を担当することが多い。きっとアリシャ嬢も活躍できるだろう。それにバルディは令嬢らしい令嬢が苦手でね。年齢的にもそろそろ婚約者を決めないと……と思っていたところに、アリシャ嬢がひょこっと現れたものだから、これはまさに運命の出会いだ」


 バルディ様がルディス様の言葉にうんうん頷きながら、こう言った。


「アリシャ嬢はおもしろそうだ」


 …………おもしれぇ女わくに入っちゃったかぁ。だが私は面白くない、断じて笑えない。


「お、落ち着いて、落ち着きましょう。それは間違いなく一時の気の迷いです!」


 ばし効果、的な? 一時的に珍しいものを見て興味がいただけですって。


 バルディ様が笑う。


「アリシャ嬢のほうが慌てているな。心配しなくても君のことはオレが守る」


 心配しているのはそこじゃなーいっ。


 高位貴族家と下位貴族家では責任の重さが異なり、注目度も格段に跳ね上がる。しかも、肉体派モデルのような騎士様に映画俳優ばりのお兄様つき。すでにお年頃の女性達の注目を集めまくっているはずだ。

 

 そこに、私が? 無理無理無理っっっ。


 しかしどう断れば……、いえ、お断りするのならお父様にお願いするべきよね。貴

族の結婚は家と家との結びつき。公爵家とのえんぐみは夢に見こそすれ、子爵家がそんな大それたこと……と平凡令嬢の親であるお父様ならわかってくれるはず!

 平穏な日常のためにも頑張れ、お父様!


 結果は……、なんとなくそんな予感がしていたが、お父様がかなり押し負けていた。


 優しいお父様にしては珍しくはっきりと「辞退したい」と告げたのに、ルディス様がまったく引き下がろうとしない。


「しかしアリシャ嬢には婚約者がおらず、心を通い合わせた相手もいないのですよね? 身分違い? 大丈夫ですよ。バルディは公爵家をぐわけではありませんので。こちらはアリシャ嬢の『前世の記憶』のことも把握している。今後アリシャ嬢の記憶を悪用するやからが現れないとも限らない。公爵家があらゆる外敵からご令嬢を守り切るとお約束しますよ」


 何かあれば公爵家が全面バックアップするし、これ以上の優良物件はない。と、断っても断っても言葉を変えて説得される。


「な、なんと言われようとも、娘の気持ちを無視する気はありません。私は娘には幸せになってもらいたい」


 お父様、腹黒ルディス様の圧力に負けなかった、素敵!


「そうですか……」


 ようやくルディス様が諦めたように息をついてやっと終息か、と思いきや。


「ヒルヘイス子爵にとっての婚約は、家と家との結びつきではないようだ」


 ルディス様がそう言って、あとは任せたとばかりにバルディ様を見た。バルディ様が頷いて力強く言う。


「アリシャ嬢を幸せにします。財力や地位ではなく、オレ自身の力でアリシャ嬢を守り、愛し抜くと誓います」


「……うぐっ」


 高校球児の選手せんせいか!?


 ここまで黙ってお父様を応援してきたが、この宣言には思わず私も変な声が出てしまった。


「私とは出会ったばかりではないですか。たった一日、一瞬の出会いで一生を決めてしまってもよろしいのですか? ファイユーム公爵令息ほどのお方なら、もっと素敵な女性との出会いもあるはずです」


「いや、アリシャ嬢以上の出会いがあるとは思えない」


 確信を持ったバルディ様の言い様に、そのこんきょは? と、問えば……。


かんだ」


 返答に頭を抱えてしまった。


 バルディ様、それ、前世で言うところのビビッとこんじゃないですよね? 結婚するのに一番アテにしちゃいけないヤツですよ。


「最初はちょっと様子のおかしな子だと思ったが……、危なっかしいところがあるから目を離せないし、てんこうなのかと思えばみょうに冷静な時もある。ごうたんとも思える性格なのに、うでの中ではぷるぷるとして子ウサギのように可愛らしい。興味を持つなというほうが無理だ」


 待って待って待って。

 褒めてるんだかけなしてるんだかわからない。こういった時はもっとれいを並べるものではないの? かえって本気っぽくて困るわ。私がうっかりかんちがいしちゃったらどう責任をとってくれるの? 


 ……って、婚約の話をしてたんだったーっ。

 ええい落ち着け! ともかく私はっ。



「普通の人と普通の結婚がしたいの――――― !」



 心の内を思い切り叫んでいた。皆がぽかんと私を見ているが構うものか。


「だって……、公爵家なんて、絶対に面倒じゃない! 結婚相手はロースペックでいいの。美形はたまに見るだけで満足できるの。毎日、会っていたらありがたみが減るのーっ! 子爵領に帰ったら楽な服装で過ごして、大口を開けて笑って、美味しいものを食べて。休日は昼間っからベッドの上でだらだら過ごしながら、お菓子を食べたり本を読んだりしていたいのよーっ! しかも『前世の記憶を生かしたい』って何? そんな役立つ知識なんてないって言ってるでしょう。調査官のおじさん達だって『ちょうへいぼん』ってたいばんを押してくれたのよ。専門家の意見を信じなさいよ。さぁ、お父様、ビシッと言ってやって!うちの娘に公爵家のよめは務まりませんって!」


 ぜぇ、はぁ。一息にしゃべりすぎて、息が苦しい。

 一呼吸の間の後。


「ふはははははは、最高! バルディにはもったいないくらいだ」


 ルディス様がれいなお顔をゆがめてばくしょうしている。そしてバルディ様は、興奮を抑え切れないような、熱のこもった表情で私の手を取った。


「アリシャ嬢、オレもまったく同感だ。貴族のしがらみとは関係なく、楽な服を着て美味しいものを食べて家族と仲良く暮らしたい。仕事と立場があるためすぐにとはいかないが……、引退後は景色の良い場所に移住して二人でのんびり余生を送ろう」


 ですから、話、聞いてました? 

 何、アレコレすっ飛ばして老後の話までしているの、それ以前の問題がてんこ盛りでしょうがっ。私は助けを求めるようにお父様を見た。


 しかしそのお父様が……、ついに「しょうだくする」と頷いてしまった。


「お父様っ?」


「アリシャ……、父さんはアリシャには幸せになってもらいたいんだ。心からそう願っている。地位や財力だけで説得されていたら、頷かなかったよ」


 まさか……、バルディ様の「勘」を信じると? それ、絶対、ダメなヤツ……。


「アリシャだっていずれは誰かと結婚をするんだ。バルディきょうは案外、良いお相手だと思うよ? 確かに我が家とは家格差があるが……、そこは絶対ではない」


 それに……と声を落として私にささやく。


「公爵家ならたいていのやらかしをもみ消してくれそうじゃないか?」

「お父様、私はやらかしたりなどしていませんよ」


 埋没系平凡令嬢ですから。


「でも、今回、フィーター侯爵家で何かやらかしたってことだよね? 父さん、何も聞かされていないけど……、そこを気に入られたってことなんじゃないのかい?」


 ぐうの音も出ず私は黙り込む。心当たりしかない。


 二人でコソコソと話しているとルディス様が「話の続きをしても?」と割って入った。


「ヒルヘイス子爵にも快く承諾していただけて良かった。すぐにでも正式な手続きに入りましょう」

「その前にいくつかお約束いただきたい。娘が心の底から嫌がった時は、婚約を解消……」


「お父様、それは、今です!」


 さぁ、さぁ、なかったことにしましょう! と意気込む私をお父様が「落ち着きなさい」とたしなめる。


「アリシャ、気持ちはわかるが……、お付き合いをしてもいないのに嫌だ嫌だと言うばかりでは話は進まないよ。せめて二、三カ月はお付き合いをしてみなさい。バルディ卿ときちんと向き合った上でどうしても嫌だとなった時は、改めて考えよう」


 結果、以降の条件をもとにファイユーム公爵家とヒルヘイス子爵家で仮婚約のけいやくしょを作ることになった。


 一、お付き合いした上で私がどうしても嫌だと思った時は婚約解消のこうしょうができること。


 一、私の『前世の記憶』が必要な時は捜査協力をするが、それは必要最低限とし、バルディ様が責任を持って私の身の安全を確保すること。


 できればけたかった婚約だけど、圧が強い兄弟相手からゆう期間をもぎ取っただけでもすごいことかもしれない。お父様は本当によく頑張ってくれました。


「アリシャは嫌そうだけど……、父さんはそう悪くないお話だと思っているよ」


 ルディス様とバルディ様がお帰りになるのを見送った後、お父様が私にぽつりと言う。


「バルディ卿は正直に……、様子のおかしい子、破天荒、豪胆って言ってたからねぇ」

「…………言ってましたね」


 落ち着いて考えなくても、女の子に対して失礼な発言ではないかしら?


「令嬢に対する褒め言葉ではないけれど、アリシャをよく見ていて、それを理解した上での申し込みだ。それに……、子ウサギのように可愛らしいとも言っていた」


「バルディ様の体格と態度が大きすぎるだけです」


「ははは、確かに大きかったなぁ。ご子息であの迫力なら、騎士団で団長をされている公爵様はもっとすごいんだろうねぇ。今日、公爵様が来ていたら……、アリシャのためとはいえ猶予期間なんて切り出せなかったかもしれないよ」


「そうですね。お父様はとても頑張ってくださいましたわ」


「そうかい?」


「はいっ。あとはバルディ様が勘違いに気がついて『この話はなかったことに』と言い出すのを待てば良いのです。私はそんなおもしれぇ女ではありませんからね!」


 お父様は私の前世の言葉の意味を知ってか知らずか……苦笑しながら私のかたを抱き寄せてぽんぽん、と叩く。


 こうしてていこうむなしく、私にちょうハイスペックな婚約者ができてしまったのだった。

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