鬼灯色の浮気男⑤



 列席者に事件の一部始終を伝えるわけにもいかず、イリス様の婚約披露パーティーはアルク様の体調不良を理由に少し早めのお開きとなった。


 私は事件の関係者として、こうしゃくていで待機中である。


 可愛らしい内装のティールームに案内してもらったけれど、考えてみれば生まれて初めて殺人現場に居合わせたのだ。さすがに今は食欲がない。目の前にある美味しそうなマドレーヌ……はあきらめて紅茶を飲んだが、紅茶も無理だった。


 美味しくない……と感じるのは疲れのせいかしら。メイドさんに紅茶のおかわりをすすめられたが、断ってお菓子も下げてもらった。


 一人になるとどうしても考えてしまう。血に染まったエプロン、突きつけられたナイフ、興奮して異常な雰囲気だったアルク様。


 いくら前世の記憶があり、ドラマで似たような場面を見たことがあるとはいえ、本物の現場は全然違う。今になってようやく、「怖かった」と思えた。あの場ではアドレナリンでも出ていたのだろうか……。


 それから、バルディ様に助けていただいたのにお礼を伝えていない。

 非常識な娘だと思われていないだろうか? 

 いや、その前の脱出劇ですでに非常識と思われていそうだけど、それは、それ。家に帰ってからお父様に頼んで公爵家宛にお礼状を出して……と。


 とりとめもなく考え事をしていると、一時間ほどでバルディ様がやって来た。


「待たせたな。今日のところは帰っていいそうだ。馬車で送ろう」


 ようやく帰れる……とホッと息をついて立ち上がろうとしたが、立てない。足が震えて、何故か力が入らないのだ。


「どうした?」

「いえ、その……、足が……」

をしたのか?」


 バルディ様は驚いた顔で私の側に来た。


「ち、違います。こしが抜けたというか、足がガクガクしているというか」


 大丈夫だと思っていたが、実は相当精神的ダメージを受けていたようだ。なんだか足だけでなく手までわずかに震えている。意識すると、どうも激しくなってきたような?


「なんだ、先ほどまではらっていたのに」

「いえ、落ち着いてなど……」


 言いかけて、そうだった、お礼を伝えないと……と思い出す。震える体で頭を下げた。


「先ほどは助けていただきありがとうございました。私はもう少しだけ休ませてもらってから帰りますので、先にお帰りになられてください」


 帰りの足がないから馬車を呼ばないと。さすがにクラスメイト達は帰宅しているだろうし、などと下げたままの頭でつらつら考えていると――。


「暴れるなよ」


 思いのほか近くで声がしたと思ったら、私はバルディ様に抱き上げられていた。


「ひょえぇぇ……」


「なんだ、その声は」


「いきなり抱き上げられれば変な声も出ますって、降ろしてください」


「遠慮するな。家まで送ってやる」


 何言い出すの、この暴走騎士。これ、いわゆるお姫様抱っこというものでは? 婚約者でもないのにこのゼロ距離はダメな気がする。


「自分で歩きます」

「歩けないのだろう?」

「こ、根性で歩きます、ってでも歩きます!」

「這っていたら歩くことにならないだろう」

「な、なら、かべづたいで! 壁に背を当てて、寄っかかっていけば……」


 バルディ様にごうかいに笑われた。


「何故そんなかいな歩き方をする必要がある。オレが運んだほうが早くて安全だ。しかも腹も背中もよごれない」


 そうかもしれませんが、私にはお姫様抱っこのほうがげきが強すぎます。前世も含めて彼氏いない歴を更新中なのだ。頭に血がのぼってくらくらしそうです。


「ヒルヘイス子爵令嬢……だったか。アリシャ嬢でいいか?」

「あの……このようなことは、立場上よろしくないのでは?」

「君には婚約者がいるのか?」

「おりませんが……」

「オレにもいない。なら問題ないな」


 わない。なんだかとても噛み合っていない気がする。


「正式に名乗っていなかったな。ファイユーム公爵家のなん、バルディだ。かたくるしいのは好きじゃないから名前で呼んでくれ」


 さも当然のようにそんなことを言われましても。


 しかし反論する元気はもはやなく、運ばれているうちに極度のろうここよいれで眠くなってきてしまった。


 いやいやいや、絶対にダメでしょう、ここで眠るのは!


 必死に起きていようと頑張ったけれど、馬車に乗る頃にはストンと眠りに落ちてしまっていた。

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