鬼灯色の浮気男④


 結果、私はアルク様にめにされてナイフを突きつけられ――冒頭に戻る、といったわけだ。



 目の前には血と思われる液体でれたナイフ。


 バルディ様が目を丸くして、メイドさんの側にいたルディス様がやれやれ、と言いたげにため息をついた。いやいやいや、そのリアクションはおかしいですよね?


「君さ、そこにいるとわかっていて、何故、覗き込んだ?」

「まさか、本当にいるとは思わず……」

「君は、バカか」


 うわっ、ルディス様、はっきり言いましたね、ひどい。本当のことだとしても少しは配慮してほしいです。

 バルディ様が一歩前に出て、手を差し出した。


「アルク、その子を離せ。こんなことをしても意味がない。罪が重くなるだけだ」


「う、うるさいっ! 黙れ!」


 アルク様はずいぶんと興奮しているようだ。当たり前か。息があらく、小刻みにふるえている。


 クラスメイト達と共にごあいさつした時は、明るいオレンジ色の髪色も相まって快活そうな素敵な方だと思ったのに……。


 アルク様の興奮した様子から、どうしたものかと考える。うっかりされたくはないが、アルク様にがっちりとこうそくされていて、私一人の力ではだっしゅつするのも難しい。


 幼い頃から野原を走り回っていたし、前世の記憶持ちとわかってからは護身術も習っているが、いざこんな場面に遭遇すると、迷うばかりで良い案がかばない。ドラマの主人公みたいにかっこよくはんげきわざを決められたら良いのだが、そこまでの度胸もない。あくまで私はモブ……、主人公の助けを待つひとじちBでしかない


 よしんば拘束をのがれられたとしても、最悪、背後からザックリとやられてしまう。人質Bが頑張ったところで、結果は見えている。とっこうはないかと視線を巡らせれば、バチッとバルディ様と視線が合った。


 彼は真っすぐ私を見ていた。

 そうして静かに頷く。

 られて、私も小さく頷く。


 なるほどわかりました。つまりは、タイミングを合わせてけるということですね!


 私が自力で脱出すればあとはバルディ様がなんとかしてくれる。人質Bはヒーローの活躍を信じて従うのみ。


 するとおあつらえ向きに、廊下から話し声が聞こえてきた。


「今日の主役だというのにアルクはどこに行ったんだ?」

「イリスお嬢様がいれば場は持ちますが……」

「まさか本当にあのメイドといるわけではないだろうな」

「さすがにそこまでおろかではないと思いますよ」

「まったく、婿むこりする立場でメイドと浮気とは我が家も随分となめられたものだ」


 いえ、そこまで節操のない愚か者だったようですよ。アルク様を呼び捨てている様子からして、廊下にいるのはフィーター侯爵様のようだ。


 会話に気を取られたのかアルク様の拘束が緩んだ。その隙をついて、私は「せーのっ!」っと声をあげ、アルク様のおなかに思い切りひじを打ちつけた。


 思いのほか簡単に拘束が外れたので、反動で前のめりに転がる。


 よし、脱出成功!


 ゆかに手をついて座ったまま振り返ると、その隙を逃すことなくバルディ様がアルク様を床に押さえつけていた。ふ~、やれやれ、人質Bとしていい仕事ができたわぁ。


 さすが騎士様。かっこいい。主役はこうでなくちゃ。


 ……と感激している私に、バルディ様がさけんだ。


「君は、死にたいのかっ!」


 おこられた。


「おとなしく待っていればいいものを……」

「いや、だって……、目で合図しましたよね?」

「してないっ!」

「隙をついて脱出しろ、あとは俺に任せろ、という意味だとばかり……」

「ご令嬢にそんな危険な指示を出す騎士がいるかっ。君を安心させるために頷いただけだ!」


 えぇ……、頷いただけで安心なんかできないと思いますけどぉ……。


 安心できないといえば、アルク様。バルディ様に押さえつけられているというのに何やらわめいている。


「私は悪くないっ、女に騙されたのだっ。あいつ、金がほしいって……、最初から金が目的だったんだ! 私はただ、あいつを黙らせたかっただけで……」


 アルク様のさわぐ声が聞こえたのか、廊下で話していた侯爵様達が何事かと応接間に入って来た。


 さらに騒ぎを聞きつけたのか、この場にイリス様までやってきてしまった。


 拘束された婚約者、血を流して絶命しているメイド。まさにしゅ―― を一目見たイリス様は、案の定ふらりと倒れてしまい、侯爵様が慌ててかいほうし、使用人を呼んだ。


 気絶してしまった時は足を高くして寝かしたほうが良いのだけど、ここでそのアドバイスをする勇気はない。


 わらわらと人が集まってくる中、アルク様は侯爵家の私兵によって連行されていく。まだ喚き散らしていて、異常な興奮状態だ。


 そしてイリス様もたくさんの人達に囲まれて心配されながら退室した。


「あれが、普通の貴族令嬢の姿だ」


 一部始終をぽかんとながめていた私は、側にやってきたバルディ様にそう言われた。

 イリス様は普通ではなくスペシャルハイスペックな貴族令嬢ですけど? と言いたかったけれど、たぶん問題にしている点はそこではない。


「ソウデス、ネ? ハイ、ワタシモソウ思イマス……」


 棒読みになってしまったけど、否定はいたしません。確かに他の貴族令嬢ならばアルク様にナイフを突きつけられた時点で、ぜっきょうからの気絶コンボを決めていたことでしょう。


「もっとも、君に気絶されていたらもっと面倒だったとも思うが……」

「気絶してもダメ、気絶しないのもダメって、なんてワガママな……」


 またもぶつくさとつぶやいてしまった。


「なんだと?」


 ジロリと睨まれる。うぅ、目力が強いです。ポロリと余計なことを言う私も悪いとは思いますが、強すぎる目力もおさえたほうがよろしいのではないでしょうか?


 それこそ普通のご令嬢ならば、ひと睨みで気絶してしまいそうです。もっとも、気絶する理由は「怖い」と「かっこよすぎ」派に分かれそうですが……。

 私ですか? 私はもちろん「一刻も早く離れたい」派です。


「何か言いたいことがあるならば、言えばいい。君の失言をいちいちとがめたりはしない」


 えぇ……、咎めているように聞こえますけど? 黙っていてもからまれ続けそうなので、仕方なく答える。


「あの……、か弱い女性にすごむのは騎士道に反しませんか?」

「君のどこにか弱さがあった。アルクは君の一撃でげきちんしていたぞ」

「アルク様はきたえてなさそうですものね。よろいとなる筋肉が足りなかったのでしょう」

「いいや、絶対に君の一撃が重すぎたんだ。角度といい、スピードといい、体重を乗せたいい攻撃だった。真面目に訓練に取り組んできたのだろう」


 あれ、まさか褒められてる?


 そこにルディス様がやってきて、「おまえ達、随分と気が合うようだな」などと言われて、バルディ様がちょっと考えるように私を見た。


 見ないでください、私はモブです、ただの通行人Aです……とばかりに視線を|逸

《そ》らす。


「兄上、パーティーは中止ですか?」

「ああ。これでは続けられないだろう。私はフィーター侯爵と話をしてくる。バルディにはここを任せたい」

「わかりました。それと、こちらの令嬢ですが……」


 私は無関係です、通行人Aです……と、目を逸らし続けていたのに。


「我々と同じ第一発見者だ。もうしばらく残ってもらおう」

「あぁ……、やっぱり……」


 第一発見者が重要参考人……は、刑事ドラマのセオリーのひとつ。簡単には解放してくれないか。

 仕方ない……とそっとため息をつくと。


「ほら、帰れないと聞いても落ち着いたものだ。普通は家に帰りたいと騒ぐか泣くか……」


 バルディ様が言いかけて、ハッと何かに気づいたように私の顔を覗き込んだ。

 なんですか、顔、顔が近いですっ。


「な、な、なんでございましょうか?」


「いや……、良かった。まんしているわけでも無理しているわけでもないようだな。ん? だがちょっと顔が赤いか?」


 それはバルディ様のお顔が近いせいです! うぅ、美形、心臓に、悪い。


 また余計なことを言いそうになったが、今度は堪えて「遠目で見るには眼福ですが、今後半径十メートル以内に入ってきませんように」と心の中で念じたのだった。


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