鬼灯色の浮気男②




*****


 前世の記憶が蘇ってから十年。六歳だった私は十六歳になっていた。

 現在はラトレス国立貴族学園の一年生。昨年の十月に入学し、五カ月余りが経過している。


 一年生は男女が別のクラスで、女子はれいほうを習い、立ち居ふるまいやドレスのコーディネート、ダンスレッスンなどが主。二年目以降は共学となり外国語やちょう簿のつけ方など、領地、商会の経営に関する授業となる。ごく一般的な貴族女性には必要のない授業だ。そのためおのずと一年で退学する女生徒が多くなる。


 その前に仲良くなったクラスメイト達と何かおもを作れたら良いのだけど、残念ながらこの学園には遠足もなければ修学旅行もない。カフェに行くのにも護衛が必要だ。


 貴族の交友関係難しいな……と思っていたら、イリス・フィーター侯爵令嬢がクラスメイト全員を自身の婚約披露パーティーに招待してくれることになった。


「わ、私達もですか?」


 あるだんしゃくのご令嬢が思わず……と言った感じで問えば、イリス様はにこやかに頷いた。


「気楽に参加していただけるガーデンパーティーにする予定なの」


 現在、学園に通学中の王族、こうしゃくのご令嬢はいない。侯爵令嬢であるイリス様が最も高位な女性だ。

 雲の上の存在ではあるがご本人はとても優しくかんようで、しかもため息が出るほどの美人。

 プラチナブロンドのさらさらなかみに新緑を思わせるひとみの色で白百合しらゆりひめと呼ばれている。そう呼びたくなる気持ち、わかる。


 さらに成績もゆうしゅうで、フィーター侯爵家にイリス様しか子どもがいないこともあり、婿むこをとって女侯爵となることが決まっていた。


「アルク・クルハーン伯爵令息とこんやくしたのは三年前だけど、改めておかいをすることになったの。王都にいる主だった貴族のみなさまを招待するけれど、ねなくいらして」


 ガーデンパーティーならばお茶会用の動きやすいデイドレスで参加できる。屋外だからショートブーツに可愛らしいぼうもありだ。もちろんかざった人達のほうが多いだろうが、デビュタント前の私達はそこまでがんらなくても大丈夫そう。


「イリス様のおこころづかいに感謝いたしますわ」

「まぁ、アリシャ様、気になさらないで。ガーデンパーティーには貴族だけでなく教会関係者や商人も招待しておりますのよ。皆さんが参加してくださればとてもはなやかなパーティーになると思うわ」


 こんの貴族女性が十四人。どなたかとえんくご令嬢もいるかもしれない。もしかしたら私もてきしんめられて……、は、ないない。


 ドラマティックな出会いなんて物語の中にしかないと、私はよく知っている。テレビ、小説、まん……、全部、作り物。でも、それでいい。実際にドラマティックな出会いやら展開やらって、ものすごくつかれると思うの。


 身分差のこいは障害が多く、イケメンとの恋もライバルが多そう。なんとかけっこんしても安心できない。結婚してから何かあるほうが簡単に別れられない分、さんだ。


 そういった面倒をねのけられるのは主人公属性だけ。スーパーミラクルな女の子……、うん、私には無理。


 想像だけで疲れてしまうもの、やっぱりお相手はごく普通の殿とのがたがいい。性格が穏やかで善人であること。あとは話が合えば家格や見た目は重視していない。


 前世でのはつこいの人は二時間ドラマに出てきたフリーライター。優しくてかっこよくて、ぼうとう、犯人に間違われて困っている姿が可愛かった。ちょっとたよりない感じなのに最後は事件をさっそうと解決していく。


 小学生の時に「フリーライターと結婚したい」と言ったら、友達に「将来性がなさそう」って言われたけど。


 私も高校生の時にはフリーランスは生活が不安定かも、ならばたんてい……、いやここは公務員である警察官ががたいのではと思い直した。


 さすがに近所の交番に「結婚相手、探しています」と飛び込む勇気はなく、いつか近くに素敵な人がにんしてくれば……なんて思うだけでは何も生まれない。私の中に結婚生活の記憶はないから、前世は独身のまま終わったのだろう。

 今世では両親を安心させるためにも結婚はしたいけど、侯爵家のパーティーに来ているような方々はちょっと高望みしすぎだと理解している。


 ともかく、本来ならばハードルの高い侯爵家のパーティーだが、クラスメイト全員ならば参加がしやすい。

 せっかくの機会なので、私もその日をとても楽しみにしていた。


 そして、今。


 私はアルク・クルハーン伯爵令息にナイフを突きつけられている。


 どうしてこうなった?


 いやいやいや、落ち着こう。まったく落ち着けないけどっ。


 本日はイリス・フィーター侯爵令嬢の婚約披露パーティー。予定通りクラスメイトの皆様と参加して、幸せそうなお二人をお祝いした。


 侯爵家の庭園はとても広く美しかった。春という季節もあり、花も満開、気候もさわやか。

 そして美味しい食事とスイーツ。立ったまま食べられるようにと、サイズが小さめで手軽なものが用意されている。


 社交の場だからと積極的に招待客の皆様とお話をしに行くクラスメイトもいたが、私の目的はただひとつ。


 生ハムとチーズ、ローストビーフに一口ステーキ。お肉ばかり食べていてはバランスが悪いため野菜もいただきましょう。ローストされたナスやズッキーニが美味しい。


 オムレツは目の前で作ってくれるので焼き立てをパクリ。ぜつみょうなトロトロ具合でございます。あぁ、幸せ。


 ご飯も大事だが、私の本命はデザート。全種類せいをするためには計画的に食べなくては! だんはあまり口にできないめずらしいフルーツも外せない。


 酸味とあまみが絶妙なバランスのイチゴと、ジューシーなメロン。サクランボなんて味がよくわからないものだと思っていたけど、これはあまくて美味しい。


「おじょうさまはとても美味しそうに食べてくださいますね」


 何度か往復したことでデザートのきゅうがかりに顔を覚えられてしまった。


「本当に美味しいですわ。フルーツもすっごくあまくておどろきました」

「今日の日のために熟したものを集めました」


 そう言いながら、給仕係が小さめのショートケーキの周りにフルーツをかざり、ソースをくるりと回しかけてくれる。


「どうぞ、小さなレディ」

「まぁ……!」


 こう見えても私、小さくないのですよ。背が低めで童顔ですが、貴方あなたのお嬢様、イリス様と同じ十六歳ですよ。しかも前世の記憶があるため、精神ねんれいは約四十……、いいえ、私は十六歳。


 うふふと笑ってお皿を受け取った。

 しっかりと食べたいからコルセットを緩めにしてきた私、かしこいわぁ。と、あれこれ食べて飲んでいたら、当然、トイレに行きたくなるわけで。


 ちょっとお花をみに……としょうしつまで案内してもらい、そこでまたビックリ。


 化粧室とは思えないった内装で、手洗い場にはひとつひとつ異なるがらとうが使われていた。鏡もえんけいがくぶちのような細工に囲まれていて、よく見ればドアとてんじょうにもそうしょくほどこされている。


 広さも十分できゅうけいのためのソファまであった。化粧直しのコーナーには貴族ようたしブランドの化粧品がずらりと置かれている。ご自由にお使いくださいということ?


 せっかくだからと人がいなくなるのを待ってゆっくりと見て回り、十分にたんのうしてからろうに出た。


 美しいトイレってなんだかすがすがしい気持ちになれるわぁ。

 何故なぜかはわからないけど。


 とても満足していたところで、ハタと気がついた。案内役をしてくれた使用人がいない。広い廊下にポツンと一人、取り残されている。

 少し待ってみたが、使用人どころかゲストも誰も来ないため、仕方なく一人で庭園に戻ることにした。


 大丈夫、道は覚えている。角を三、四回曲がるだけだもの。広いお屋敷とはいえめいでもあるまいし――否、だいごうていは迷路だった。だってここ、豪邸というよりお城なのでは? というくらい中庭やかいろうがある。


 ちゅうで「間違いなくこの道は通っていない」と思える廊下に出てしまい、引き返そうかどうしようかと迷う。しかし引き返すつもりでさらにどこかにまよ|いんだら目も当てられない。すでに迷っているのだから、動かずに誰かが来るのを待つほうがけんめいかしら?


 誰か、誰でもいいから……と思ってキョロキョロしていると、ひとかげが見えた。男性二人組だ。おぉ、救世主……と思ったのは一瞬だけ。


 二人が近づいて来るにつれ、気が重くなった。


 男性二人は若く背が高かった。遠目で見ても百八十センチはえているのがわかる。そして顔が小さい。三次元ではめっにお目にかかれない九頭身。ふんからして高貴な方でしかない……と察し、私は廊下のすみに寄って頭を下げた。道を聞きたかったけれど、身分差を考えれば話しかけるのもはばかられる。


 どおりしてほしいような、助けてほしいような……、いえ、やはり高位貴族との関わりはへいぼんれいじょうとしてはえんりょしたい。


 黙って彼らが通り過ぎるのを待っていると、しっかり目の前で立ち止まられた。


 うぅ……、素通りしてほしかった……という私の願いもむなしく、立ち止まった男性に声をかけられる。


「パーティーの参加者か。ここで何をしている?」


 それ、しんしゃに対する職質ですよね? 否定できないため、私は頭を下げたまま正直に答えた。


「ヒルヘイス子爵家のアリシャと申します。フィーター侯爵令嬢とは同じ学園で学ばせていただいております。今は化粧室に向かった帰りで、どうやら戻る道を間違えたようです」

「なるほど」

「確かに迷いやすいかもしれないな」


 こうじょうとまではいかないが、屋敷内は似た造りの廊下が交差していた。この造りを生かして身分差のある者が顔を合わせないように化粧室や休憩室も分けているとのこと。私は下位貴族の化粧室に行き、帰り道で高位貴族用の廊下にまぎんでしまったようだ。


「今日は多くの人が招待されているから、案内役が足りないのだろう」

「そういえば、オレ達も使用人を見ていませんね」


 顔を上げても良いと言われたので、やっと顔を上げる。背が低い私の目線の先に顔はない。代わりにお高そうな服。ウエストコートのしゅうがすごい。こんいろに同系色の青とグレーの糸で、目立たないけどくさがらが刺繍されている。


 もう一人の男性は緑がかった青色のウエストコート。ウエストコートの刺繍もその上に羽織ったコートも、お二人ともよく似ている。お揃いではなさそうだけど、同じ店で仕立てたしょうだろう。


 このまま顔を見ないのと見上げて顔を見るのと、どちらがより失礼だろうか。なやむわぁ。


「どうしますか?」


 と、目の前の紺色コートの男性が聞き、青緑コートの男性が「放置もできないだろう」と答えた。


「私達もゲストだが、場所はわかる。庭園近くまで案内しよう」


 思いのほか親切な高位貴族の方達のようで、素直について行こうとしたら。ガタンッと大きな物音の後、ドサッと何かがたおれる音がした。

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