にわかの底力さま
こんにちは。
ふむ、自分の身体や頭脳に強烈なコンプレックスを抱く人間特有の行き場のない憤りや焦りに、この年頃の男子だからこその肉体胃的問題が混じり合い、幼馴染への感情を自分でも把握しきれず持て余しているという感じでしょうか。
肉体的な衝動に根差して開花する想いと純粋に精神的に発生した憧憬。それらを純粋に区別することなんて不可能だし、果たして意味があるのかどうかも怪しいと思うのですが、そう単純に割り切ってしまわない俊くんの潔癖さがいかにも若者という感じで、汚れたおばちゃんは頭が下がります。
最後の瞬間に、迫りくる時に追われるように咲ちゃんへの恋情を認め(てしまっ)た俊くん。彼の心の中にはどうしても割り切れない葛藤が残り続けているんじゃないかなという気がします。人生の夏に足を踏み入れた彼がこの先どう生きていくのか、気になるところです。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
明治時代に欧州より持ち込まれた恋愛という価値観は、思春期の男女にとってひどくいやらしいものです。男女ともに愛し合っている必要があるといった絶対条件によって相手の思考に極限の距離まで近づく必要があり、将来の方向性が定かでない若き男女にとってそれは、時間的制約があるなかで異性の心情を冷静に分析しなければならない、相手に対して不必要なほどの集中力が求められるのです。
それで結局、異性の思うことなど完全に読み解けるはずもなく、一生一度の賭けに出ます。結果どちらに倒れようと、この時のために生物学的に不自然なほどの制約を受けて、心身削る思いで漕ぎつけたわけですから、その衝撃と解放感は凄まじいものです。己で科した制約によって心身疲弊させ、その末に感じ取ったエクスタシーにロマンを感じるというのですから、この価値観はまったくもっていやらしい。
コメント失礼します。
田舎の夏。方言がさらに夏らしさをより引き立てているようにも感じました。
死の淵に立たされるまで、偽り続けてきた主人公。
ようやっと本当の気持ちを伝えられて良かったです。
祭りの描写も、提灯に照らされるあの特別な空間を想像させてとても良かったです!
作者からの返信
コメントありがとうございます。
生物のオスは突如訪れた死の直前、生物的本能から射精を行う、と言うのはどうもこれは都市伝説らしいのですが、主人公の彼が彼女との関係に終焉を悟った時、それは人間が持つ時間的感覚から解放されて生物本来の心情を取り戻したという事でしょう。と、これは私なりの解釈なのですが。
田舎、夏、祭り。これら閉鎖的な時間、空間の中から彼女は解放を見出した。同じくして解放を目指した彼と彼女は、この時確かに心身ともに通じあったのかもしれません。