第45話 追憶
「あの子って、なんか変わってるよね」
園庭で遊ぶ子どもたちの喧騒から少し離れた日陰。
大人たちの視線が一人の幼い子ども――結に向けられていた。
「ずっと絵を描いてて、お外で遊ばないし……」
一人の保育士が言うと、もう一人が頷きながら続ける。
「そうそう、なんか妙にしっかりしてるっていうか、全然手がかからないのよね」
結は、教室の隅で一心不乱に画用紙に向かっていた。
その手つきは、幼児らしい無邪気さというよりは、大人びた落ち着きを感じさせるものだった。
描き出される絵もまた、ただのお遊びとは思えないほど緻密で美しい。
「うわぁ、なにあれ……芸大卒の私より絵上手いんだけど!?」
保育士たちは思わず顔を見合わせて苦笑する。
結が画用紙に描き出した風景画は、保育園には不釣り合いなほどの完成度を誇っていた。
遠近感や陰影の表現が見事で、そこには確かに子どもが描いたとは思えない緻密さがある。
それだけではない。
その絵には不思議な温かみや懐かしさがあり、見る者の心を揺さぶる何かが込められていた。
「でもさ、あの子、ほとんど他の子と話さないのよね」
「うん、確かに。なんていうか、他の子たちとは空気が違うっていうか……」
二人の視線が再び結に向けられる。
「あの年齢ならもっと駄々をこねたりしてもいいはずなんだけど……」
二人の保育士が小声で話す間も、結は黙々と筆を走らせていた。
その表情はどこか遠くを見ているようで、まるで周囲の喧騒が耳に入っていないかのようだ。
「もしかして、良家のお嬢様なのかもね。服もいつもきれいだし」
保育士たちがそう話しているのを、結は気づいていた。それでも視線を向けることなく、ただ目の前の絵に集中する。
実際のところ、結は“普通”の子どもではなかった。
◆◇
――また、言われてる。
周囲の視線や言葉を背中で受けながら、心の中で小さく嘆息する。
まあ仕方ない。
普通の子どもらしい振る舞いなんて、もう忘れてしまってるし……
心は時を遡った大人のそれ。
目の前の画用紙に描く風景も、未来で培ってきた記憶の中から引き出されたものだ。
そうして子供達が遊んでいる姿を描いていると、時折、目を輝かせて結に声をかけてくる子どもたちがいる。
「結ちゃん、これ描いて!」
「次はわたしのお願い聞いてー!」
小さな子の可愛らしいお願い。
大人たちは、俺を不気味な存在として捉えるけど、無垢な子供達は“俺”という存在を容易に受け入れてくれる。
ほんと小さな子たちって適応力高いよな……
どう接していいかまだ分からないけど、この子たちはまるで気にせず距離を埋めてくるから、なんとも居心地が良かった。
「結ちゃん、これ描いて〜!」
目の前には小さな女の子が、片手にどんぐりを握りしめて満面の笑みを浮かべている。
「どんぐり? これを描けばいいのか?」
「うん! でもね、もっとキラキラで大きいのがいい!」
キラキラで大きいどんぐり――なるほど、抽象画的な発想というやつか。
「よし、わかった。ちょっと待っててくれ」
俺は軽く息を吐きながら筆を動かし始めた。
画用紙の上には、現実離れした巨大などんぐりが描かれていく。
周囲には光の反射を表す細かい点や影、さらに背景には子どもたちが楽しそうにどんぐりを拾う光景も添えた。
「できたよ。どう?」
絵を見せると、彼女は目を輝かせて歓声を上げた。
「すごい! キラキラしてる! こんなどんぐり、あったらすぐ拾う!」
その声を聞きつけたほかの子どもたちが、次々と俺の周りに集まってきた。
「わたしもお願いしたい! お花! ピンクのチューリップ!」
「僕は恐竜! でっかいの!」
「じゃあ私は、お姫さまのお城描いてー!」
一斉に押し寄せるリクエストの嵐に、俺は思わず眉をひそめる――が、どこか楽しさも感じていた。
目。
小さな子たちのその目。
なんて純粋なんだろう……と、思う。
俺を疑うことも、遠巻きに見ることもない。ただ純粋に「絵を描いてくれる人」として接してくる。
こんなに素直でまっすぐな目で見られるのは、転生してこの身体になってから初めてかもしれない。
「ちょっと待て、一人ずつな。一気に全部は無理だよ?」
俺が手を軽く挙げて制すると、子どもたちは「はーい!」と口を揃えて元気よく返事をする。その素直さに、思わず苦笑が漏れた。
最初は戸惑いばかりだったけど、こうして無邪気に頼ってくれる姿を見ると、何か救われる気がする。
「じゃあまず、チューリップね」
ピンクのチューリップを頼んできた女の子に視線を向けると、彼女は小さな手を胸の前で握りしめ、期待で顔を輝かせている。
画用紙に目を戻し、鮮やかなピンクの花びらを描き始めた。
「こんな感じでいいかな?」
描き終わった絵を見せると、彼女は目を丸くして叫んだ。
「すごい! ほんものみたい!」
その言葉に、周りの子どもたちが一層興奮し始める。
「ぼくの恐竜も早く!」
「お城も描いてー!」
次々とせがむ子どもたちに、俺は一瞬だけため息をついた。
子どもたちのエネルギーって、ほんと無尽蔵だよな……。
でも、その無邪気な笑顔を見ていると、自然と俺の手もまた動き出す。
「結ちゃん、恐竜描くときはね、尻尾をながーくしてね! それから牙もいっぱいね!」
「おいおい、あんまり長いと、尻尾で家が壊れるぞ」
「えー! じゃあ、壊れないくらいで!」
「ほどほどにするってことだな。わかったよ」
俺がそう答えると、周りの子どもたちから「ほどほどってなにー?」という声が上がる。
「ほどほどってのはな……『ちょうどいい』ってことだ」
俺が説明すると、一人の男の子が真剣な顔で言った。
「じゃあ、ぼくの恐竜もほどほどに強くしてね!」
その言葉に、俺は思わず笑ってしまう。
「了解だ。ほどほどに強い恐竜を描くよ」
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