第44話 待つよ

 夏休みだから、いらなくなった服や小物を断捨離しながら部屋を掃除していると、懐かしいものがぽろぽろ出てきたりする。


 「うわ、これ、中学生の時のリコーダーじゃん!」


 埃をかぶったソプラノリコーダーを手に取るが、もう使う機会なんてないだろう。


 「とはいえ、さすがにリコーダーは誰かに譲るわけにもいかないしな……捨てるか。」


 そう思いながら、軽くため息をつき、リコーダーを捨てる袋にポイっと放り込む。


 その時、有栖が分けた服の山を抱えてやってきた。


「ねえ結、この分けた服はどうするの?」


「うーん、近所の女の子にあげようかな。捨てるのもなんか勿体ないし」


「じゃあ、ここに置いといていいかな?」


「おけえ」


 そうして断捨離の手を進めながら、さらに奥の段ボールを開けていると、一冊の古びたアルバムが出てきた。


「……お、懐かしいな。」


 アルバムの表紙は少し色褪せていて、角が擦り切れている。

 それでも、その中にはたくさんの思い出が詰まっていることが一目で分かる。


 有栖も気づいたのか、そばに寄ってきた。


「何それ、アルバム? ちょっと見てもいい?」


「いいけど、あんまり面白くないよ? 昔の写真ばっかりだし」


 そう言いつつもアルバムを開くと、そこには幼い頃の俺や家族、友達と撮った写真がぎっしりと貼られていた。


「うわぁ、昔から結はかわいいねー!」


「あ、そ、そう?」


 有栖に面と向かって言われると恥ずかしい。


 そうして、色々とめくっていくと、ある一枚の写真で手が止まった。


「……これ、、」


 中学二年生の時のやつ。

 有栖がいなくなってからの写真。


 こうしてみると……


「なんか、すごい悲しい顔してる」


「え?」


 その言葉に、胸が少しだけざわつく。自分では気づいていなかった感情を代弁されたような気がした。


 写真の俺は、心のどこかにぽっかりと空いた穴を隠しきれない表情をしていた。


「ちょうど、私がいなくなった時……だよね」


「そう、だね……」


 アルバムに貼られた写真の中の自分は、どこか魂が抜けたような目をしていた。笑顔の形をしているのに、その奥に温もりがない。


「私がいなくなったから……そんな顔させちゃったんだね」


 有栖の声も、どこか申し訳なさそうだ。


「違うよ。」


 首を振った。


「有栖のせいじゃない。……むしろ、有栖がいたから、それまで楽しかったんだ。だから、いなくなった後の俺――いや、自分がどうしていいか分からなくなっただけ。」


 口から出た「自分」という言葉に、有栖は一瞬だけ目を細めた。


「ねえ、結。」


 有栖の声が静かに響いた。


 断捨離の手を止めて振り返ると、彼女は柔らかな笑顔を浮かべている。

 まるで陽だまりの中にいるような、その穏やかな表情に、胸が不思議とざわつく。


「ん?」


 いつも通りのつもりで返事をしたけれど、有栖の次の言葉はその予想を軽々と越えてきた。


「やっぱ私、今の結が好きだなぁ、なんて。」


 不意打ちの言葉に、今度は手が完全に止まった。


「……」


 視線を落とし、何かを言いかけたが言葉にならない。

 時間が止まったような静寂が部屋に降り、その間も、有栖はどこかはにかむように微笑んでいて――


 彼女の言葉が耳から離れない。"今の結が好き"――その一言が、胸の奥深くを静かに叩くようで。


「ねえ……」


 再び呼びかける有栖の声に、結は小さく顔を上げた。


「少し、お話ししない?」


「……いいよ」


 言葉に詰まりながらも、なんとか返事をする。


 「何がいい?」と続けた声は、少しだけかすれていた。


 有栖は一瞬だけ目を伏せ、考え込むように唇に指を添える。そして、ふっと思いついたように顔を上げる。


「結の昔の話が聞きたいなぁ」


 言いながら、有栖は小首をかしげる。

 その仕草がとても可愛らしくて……


「昔の話?」


「うん。だって、結は自分のこと全然喋らないでしょ?」


 有栖の声はどこか甘やかで、けれど真剣だった。


 俺は少しだけ視線を逸らし、考え込む。

 確かに、有栖の言う通り、自分の過去を話すことはほとんどなかった。

 

 自分に対して、関心がなかったから。


「そうだね」


 短い肯定を口にすると、有栖は少し嬉しそうに笑った。


「だから……あなたの過去を聞かせて」


 有栖の目はまっすぐだった。

 彼女の真剣な思いが、その瞳に宿っている。


 ――思えば、自分のことを有栖に喋ったのってピアノとか絵ぐらいだったなぁ。


 そっと視線を落とし、アルバムの表紙に触れる。

 少しざらついた紙の感触が、妙にリアルに思える。


「……少し長くなるけど、何から話そっか」


 ぽつりと漏らした声は、自分でも驚くほど静かだった。


 その答えに、有栖の瞳が一瞬だけ輝く。


「なんでもいいよ。結が話したいことを聞かせて」


 結は小さく息を吐く。そして、昔を思い出すようにゆっくりと口を開いた。


「……昔も変わらず、ピアノと絵が好きだったんだけどね。それ以外は、少し思い出さないと出てこないから待ってね」


 そう言った瞬間、自分の中に閉じ込めていた何かが、ふっと解けたような気がした。


 有栖は、驚いたように目を見開いた後、小さく微笑む。


「待つよ」


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