第42話 やきそば

 腕時計を確認すると午前八時を超えていた。


 普段なら車が行き交う道が、お祭り仕様で歩行者天国になっていて、アスファルトの感触がいつもより広く、自由に感じるのはそのせいだ。


 あちこちで屋台の組み立てが進み、道に漂う鉄板の焦げた香りや、微かに混じる甘いシロップの匂い。


 うーん、懐かしい。


 焼きそばの鉄板に油を馴染ませる音。

 反対側では、金魚すくいのプールに水が注がれる音が涼しげで――


 全員が忙しそうに動き回っている中で、汗ばむ額を拭う手の動きすら、一つ一つが夏の風景を彩っていた。



 今年も夏祭りがやってきた。



「夏祭りなんて小学一年生の時にお父さんといった時以来……」


 隣で有栖がぽつりとそう言葉を漏らす。


 目を輝かせてあたりを見回すその横顔は、どこか期待に満ちていて嬉しそう。



 俺も親と一緒に夏祭りに来たのは小学生頃だったっけ。


 


「私、日本の夏祭りには興味を抱いてましたが、参加はこれが初です」


 エルも腕を組みながら冷静に言うが、あたりをキョロキョロとしてて、興味津々な目線は隠せていない。


「ああ、じゃあ、夏祭り何回かいってるのは自分と彼方だけかぁ」


「そうね」


 とは言っても、俺ももう長いこと夏祭りなんて参加してないから、地元とはいえ何らかしら変わってるのかな?


 昔から屋台を出してた人なら、なんとなく分かりそうだけど、どうだろ……


「あれ、お嬢ちゃん、二葉さんとこの?」


「ん? あ、焼きそばのおっちゃん? まだやってたんだ」


「そうそう。それにしても、こんな美人になるとは思わ……いや昔からお嬢ちゃんは綺麗だったな」


「えへへよせやい」


 それにしても、昔と比べてこのおっちゃん、ますます筋肉出来上がっててすげえな……


 ボディビルダーでも目指してんのかな。


「こんにちはー」


「凄い筋肉です……」


 有栖が挨拶し、エルはおっちゃんの二の腕を突っつく。


 エルさんや、初対面でそれはだめだよ……

 おっちゃんも孫娘をもったかのように優しく撫でないでくれや。


「んじゃ、買ってくかい?」


「あ、うん。有栖たちはどうする?」


 俺がそう聞くと全員頷いたので、四人分のやきそばを買っていく。


 おっちゃんはそれを聞いて満足そうに笑い、てきぱきと焼きそばを炒め出した。



 鉄板の上に、油がじゅっと広がる音がした。

 おっちゃんは手慣れた動作で鉄板の上に油を注ぎ、その表面を素早くヘラで均等にならしていく。


 暑い夏の空気の中でも、鉄板から立ち上る熱気は格別で、じんわりと顔に汗が滲むのを感じた。


 その上にまず放り込まれたのは、山のように積まれた細い麺の塊。


 ヘラで一気に押し広げると、鉄板の熱を浴びた麺がじわじわと蒸気を放ち始める。


 そこに投入される少量の水。じゅうっと音を立て、鉄板の上に一瞬白い湯気が広がった。


「こうすることで、麺が固まりすぎずにほぐれるんだよ」


 おっちゃんが笑いながら説明する。

 

 すごい熟練の動きで参考になるけど、正直それどころじゃなかった。


 香ばしい匂いが急に鼻をついて、思わず腹が鳴りそうになる。


 さらに、キャベツと人参が次々と麺の上に投入される。


 野菜の鮮やかな緑と橙が、まるで夏祭りそのものの彩りのように鉄板の上で踊る。


 おっちゃんは、もう片方の手で何度もヘラをカツカツと軽く叩きながら、麺と野菜をリズミカルに混ぜていく。


「こんなに量あっても、あっという間に火が通るからな」


 ヘラが鉄板を滑る音、野菜が麺に絡む音、それに重なるように、さっきまで静かだった油のはじける音が大きくなってきた。


 鉄板全体が、まるで祭りの喧騒を先取りしているかのように騒がしくなる。


 うわぁ、すっご……

 筋肉のおかげなのか、力強い動きが映える。


 そして、ついにソースの番がきた。


 おっちゃんが大きなボトルを取り出し、麺と野菜の上にソースをたっぷりと回しかける。


 その瞬間、熱された鉄板から立ち上るソースの香りが一気に鼻腔を突き抜けた。


 甘辛く、どこか懐かしい香り――子供の頃に嗅いだ記憶が、頭の奥でフラッシュバックする。


「うわ、いい匂い……」


 隣で有栖がぽつりと呟く。エルも興味津々で、鉄板を覗き込むように顔を近づけていた。


「まだまだだぞ。これからだ」


 おっちゃんがニヤリと笑い、ヘラを巧みに使って麺と野菜にソースをしっかり絡ませていく。


 しっかり混ざり合った麺は、全体がソース色に染まり、ツヤツヤと輝いているように見える。


 最後にパックにつめた焼きそばに、青のりを振りかけ、紅生姜とマヨネーズを綺麗にかけた。


「ほれ、できたぞ」


 差し出した焼きそばは、まだ湯気を立てていて、香りが鼻先を貫く。


「ありがと!」


「食べるなら、そっちに席あるからそこで食べると良いぞ」


「分かった」


 それぞれ焼きそばを受け取り、一斉に箸を手に取った。


「凄い美味しそうね」


「だね〜!」


「私、ラーメンが日本の麺類の主流だと愚考していましたが、焼きそばの匂いにその考えが揺らぎそうです……」


 一口、焼きそばを口に入れると、もちもちとした麺の食感と、絡みつくソースの味が広がる。


 香ばしい野菜の甘みと、ほんのりと焦げた麺の香りがたまらない。


「うまっ!」


 思わず声を漏らすと、有栖とエルも満足そうに頷いていた。


 おっちゃんはその反応に満足げに笑い、次のお客さんのために再び鉄板の前に立った。


 祭りは、こういう小さな瞬間が集まってできているんだ――そう思いながら、俺はもう一口焼きそばを頬張った。

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時間遡行転生したTS思春期ちゃんの初恋事情 海ねこ あめうつつ @Yume_Ututu

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