第10話 二人の言葉を結ぶため

「それで、少し話をしないとだね」


 お父さんが双話を切り出して、お母さんに離席を促し、有栖の目を見て優しくそう言った。




「……はい」


 しかし、これまでの雰囲気と違うものを感じたのか、有栖はまた少し緊張し出して……


 手を強く握った。




「仲が良いね」


 俺と有栖を見てお父さんがそう言う。

 まったく、何を当たり前のことを




「さて、唯ちゃん。君は……学校に行きたいんだったね?」


「……」


 アリスは少し遠慮して……

 押し黙る。


「心配しなくていいよ。ただ君の本心を聞かせてくれたらいいんだ」


 お父さんは、しっかりと有栖の意思を確かめるように、ゆっくりとそう聞いて……


 少しの間が開いた。




「学校に……行きたいです。一緒に、いたいんです」


 その一言を……

 有栖は、途切れ途切れに、緊張しながらもそう語った。


 真剣に、ただひたすらに。


 その言葉は紛れもない有栖の本心だと、俺も、多分お父さんも察していると思う。


 だからこそ……


「じゃあ、そのために今の状況をしっかりと説明しないといけないね。例えば……君の親に関わる問題を」



 彼女の傷に、触れなきゃいけない。

 それをお父さんも分かってる。


 いきなり聞くのは、心の準備もいるだろう。

 でも……


「有栖、大丈夫、落ち着いて」


 大丈夫。

 此処に君の敵はいないから。


 俺はそう言って有栖の手を、握り返す。


「……うん」


「君は、強い子だね」


 その言葉を聞いて、俺のお父さんって、人を視る目があるんだなぁと思った。

 

 


「まず、君の親について触れる必要がある。僕が君を勝手に学校に行かせてあげる力は、まだ・・無いからね」


 保護者として、親権を未だ有しているのは有栖の親だ。


 だから有栖がいくら願おうとも、親の許可が無ければ学校に行くという願いは叶えられない。


 とはいえ虐待の証拠。

 親の逃亡。


 それらが見つかれば、その親権を喪失、もしくは停止させることができる。


 有栖を学校に行かせる気のない親には、有栖の願いを叶えてあげることなど不可能。


 ならば……


「君は、選ばないといけない。君の家族と縁を切るか、切らないか」


 それを分かっているからこそ、お父さんはそれを聞いた。





 有栖が俺に気を遣って隠しているその重荷を預けてくれるのならば……


 俺は迷いなく受け取るから。




「君の唯一の親を、君の目の前で馬鹿にするのは忍びないけれど……僕の兄は正直言ってあまり良い人ではない」


 そうして、お父さんは語る。


「昔の頃は、卑怯で、親の威光を借りて弱いものをいじめをして、僕や親の金に勝手に手をつけて反省の色すら見せなくてね」


 この前も聞いたけれど、ここまでしっかりと話す父さんは初めて見たな……


 重低音で芯のある凛とした声だ。


「結婚したという話もつい最近知ったばかりで、久しぶりに話すというのに開口一番は“金を貸してくれ”だ。君の話も預かってくれの一言以外、何も無かった」


 ほんと、今聞いても

 ちゃんちゃら可笑しい話で……


 それは、親というにはあまりに素っ気なくて……


「……そう、なんですね」


 有栖はお父さんのその言葉に絶句する。

 無論、俺も。


「僕の親は、いつか更生してくれるんじゃないかと最後まで信じて、多額のお金を持たせて兄を送り出した。それなのに、この様だ……」


 お父さんは、そう吐き捨てるように言った。


 おじいちゃんもおばあちゃんも、相当優しいひとだったから……


 信じてあげたかったんだろう。



 それでも……道を踏み外した。





 そうして、静寂がこの場を包む。

 時計の音も……今だけは聞こえなくて。


 杜若かきつばたの花びらについている雫が滴るその一瞬が、途轍もなく長く感じた。

 

「唯ちゃんの人生まで、兄のせいで狂わせたくは無い」


 だから……と、お父さんは一言間を開いて、


「君の話を、聞かせてくれるかな?」


______

____

__


 結のお父さんのその言葉が、なんていうか、結とあまりにも似通っていて……


 結と重なって見えるのは、多分気のせいじゃないと思う。


 これが、本当の家族なんだって、

 そう思えてさ……

 



 この人たちになら、私は信頼できる。

 安心して話せるかもしれない。


 そう思うんだ。


 だから私は、結と、結のお父さんに向けて、話を始めた。





「私……お父さんから、殴られたり蹴られたり、してたんです」


 それが私にとっての今までの普通だった。



 生まれてから、ずっと……


 ずっとそんな生活で、

 それがだんだんエスカレートしていって……


 中学二年生になってから、もう耐えられないほどの痛みを、私は受けて……


 でも私は、助けを希う方法なんて知らなかったから……


 耐えなくちゃいけないって、思ってきた。




 だから……


 助けを求める方法も、結がいなければ、私には分からないままだったと思う。


「熱くて、痛くて、辛くて、苦しくて……私は、その度に、どうすればいいか分からなくて」


 必死に押し殺してきた。


 “お前よりもっと辛い奴なんてこの世にごまんといるんだ”ってお父さんに言われて……

 

 嗚呼そうなんだって、だから私はこの痛みも苦しみも、納得していた。




 でも、話していいんだって……言ってくれたから。


 私はこの人たちに頼りたい。


 そう、思ったから……


 

 だから私は、服を脱いだ。

 この身体を、あなたたちに預けるために。


「少し、恥ずかしいな……」


 でも少しだけ、もしこの傷を見て拒絶されたらどうしようっていう恐怖と、自分を余すことなく見せる羞恥が、私の中を過るけれど……


 ここで躊躇ったら、私はきっと一生後悔するって思ったから……


 だから、

 だからどうか、こんな私を……



 救ってください。


「……っ!」


 その瞬間、結に手を引っ張られて、私の身体を覆うように抱きしめられて……


「……有栖、ほんとに、頑張ったね」


 ゆっくりと、優しく結はそう言った。


「自分を見せるのは、何より怖かったと思う。でも、信頼してくれて、ありがとう」


 なんでこんなにも、結は……

 いつでも私が一番欲しい言葉を送ってくれるんだろう。


 嗚呼……


 痛くないよ。


 もう、苦しくない……


 でもなんでだろ、涙が溢れちゃうんだ。


「……うん、う、うぅ……わ、わだし、がんばっだんだ、ずっど、ずっと!……いいたがったの……」


 言葉が掠れて、思うように出ない。

 顔が歪むほどの涙を流して、前が見えない。


 でも、

 それでも……!


 この気持ちを届けたい想いその一心で、伝えるんだ。


 今だけは、私のわがままを、聞いて欲しいって……







「……どうやら僕は、今は邪魔なようだね」


 結のお父さんはそう言って、リビングから姿を消して、


 そうして、私と結の二人になって……


「今は俺しかいないから、思う存分、言葉を吐き出して」


「わ、私……結とそばにいたい、一緒に、一緒に……」


「いいよ。いつでもいるから」


 飾りを身に纏っていた前も。

 飾りを脱ぎ捨てた今も。


 変わらずそう言ってくれるあなたが、どれだけ私にとって救いになったんだろう。

 

 それと同時に、私は結がたまらなく好きなんだって気づいた。


 でも、この感情は、私にとって過ぎたるものだから、そっと胸の奥にしまっておかなくちゃ……



 今は、これだけで幸せだから。


 私の言葉を、結んでくれるから。


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