第8話 杜若

 学校終わりの放課後。


 時間ができたので、俺はとりあえずお父さんに電話を入れた。


「もしもし」


『あれ、結どうしたんだい?』


 受話器越しに聞こえる父の声。

 どこか嬉しそうだけど、何かいいことでもあったのかな。


「ちょっと聞きたいことがあるんだけど」


 俺はそう切り出して、事の経緯を説明することにした。


「お父さんのお兄さんって、どんな人?」


『……まあ一言で例えるなら、カスかなあ』


 そう、断言した。


『両親とは縁を切って、いつのまにか結婚して娘ができたのに連絡の一つも寄越さなくてね』


 お父さんは、先ほどとは打って変わって冷ややかな声で言う。


『つい最近連絡してきたかと思えば、最初の一言が“金を貸してくれ”

“娘を預かってくれ”だよ』


 そう言って深いため息を吐いた。


『というのも、事業をやりたいらしくてね。それに専念したいから遠くに行くってことで纏まったお金と、遠くに行くから娘さんを預かってくれってね』


「なるほど」


 何だろう、凄く胡散臭い話に聞こえるのは俺だけだろうか……

 


『それにしてもなんでそんなこと聞いたんだい?』


 お父さんは、普段何も聞いてこない俺が急に叔父さんのことについて聞いてきたことに不思議がる。


 なので俺は本題を話すことにした。


「有栖のことなんだけど……」


『有栖っていうと、唯ちゃんのことだよね』


「そうそう、自分と同じ読みの名前の」


 

 そっか、有栖って言うと叔父さんの苗字もそうなのか。


 わざわざ、二葉じゃなくて相手の姓を名乗ってる所に、お父さんたちとの繋がりを絶ちたいという想いがひしひしと伝わってくるのは気のせいだろうか……?


 いや、これは流石に俺の考えすぎか……


『それで、唯ちゃんがどうしたのかな』


 これ、音だけだと、俺をちゃん付けして呼んでるように聞こえるな……


 まあ、それは置いておいて、


「たぶん、虐待されてる」


 まだ証拠がない為、確証には至らないが……

 黒に限りなく近いと言える。


『……あのカス、世のために消したほうが良かったか?』


 聞き取りづらい声量でボソッとお父さんが何か言ったけど、たぶん物騒なこと言ってることだけは伝わった。


『あ、なんでもないよ。それで、結は僕にどうして欲しい?』


「まだ決めてないんだけど、学校に通わせてあげて欲しいな」


 一緒にまた、想い出を作れたらなって……


『分かった。じゃあすぐにそっちに行くよ』


「え、でも忙しいんじゃ……」


 自分が言ったのもあれだけど、仕事で海外に行ってるから相当忙しいはずだ。



『まあまあ、結は遠慮しなくて良いよ。それじゃ久しぶりにお母さんと一緒に帰ってくるから、その時にまた……』



「うん、またね」


 そう言って電話を切った。




 それから、学校を出て家の帰路を辿る。

 普段はバスで帰ってるけど、今はゆっくりと歩きたい気分だった。




 少し歩くと、見慣れない建物があって……


「あれ、こんなところに花屋ができたんだ……」


 どれも凄い綺麗に咲いていて、何か一束、家に飾る花でも買おうかな?


「店員さん、これ頂けますか?」


杜若かきつばたですね。誰かへの贈り物ですか?」


「そうです」


 家に飾る用だけど、有栖の為に買うものだから贈り物でもある。


 鮮やかな紫色でとても綺麗だから気に入ってくれると嬉しいな……


 店員さんにお金を渡して、杜若を貰う。



 

 花言葉は……

 恥ずかしいから言わないでおくか……


 

______

____

__



 

 家に帰って、有栖と他愛もない話をする。

 

 学校で、こんな課題が出たとか、こんな話があったとか……色々。


 それを嬉しそうに聞いてくれる有栖。


 でも……少しだけ寂しそうな表情を浮かべるのは、やっぱり学校に行きたいんじゃないだろうか、と。


 まだ、有栖の理解者には遠く及ばないけれど、それでも、そうなんじゃないかなって思ってしまうんだ。


 一緒に学校に行く。

 これは俺の願望も含まれてるけどさ……



 しかし、そうするにはいくつか問題がある。

 途中からの入学となると、まず保護者の話をしなくちゃいけない。


 となると、有栖の心の内側を踏み込む必要があって……


 だから


「ねえ有栖……有栖の話を、聞かせてくれないかな」


「私の?」


 ゆっくりと

 心の紐を解いていけたら良いなぁって……


 そう思いたいんだ。



「……つまらないよ?」


「そんなことないよ」


 間髪入れずに断言した。

 有栖と喋る時間が、何より好きだから。


「……」


「まあ、いつでも一緒にいるからさ……ずっと待つから、好きな時でいいんだ」


 それがたぶん、自分が有栖にしてあげられること。


「話したいことができたら、聞かせて欲しいな。こう思ったとか、辛かったとか、楽しかったとか、くだらない話でも、なんでもいい」


 そう言って、少し呼吸して……


「何があっても有栖の側にいるから、好きな時に。君の話を、聴かせて……」


 そう切に願う。



「結に、もう沢山迷惑かけてるのに、更に迷惑かけちゃうよ……?」


「かけていいよ」


「負担に、なっちゃうよ?」


「ならないよ」


 

 そうして、少しの沈黙が続いて……


 時計の、カチカチという音だけが、鮮明に聞こえる。



「何から、話せば良いかな……」

 

 ポツリと、か細い声で有栖は言う。





「私ね、結と一緒に学校に行けたらいいなって、思ったの」


 そっか……

 同じこと、思ってくれてたんだ。


「沢山思い出を作って、色々な話をあなたとしたい……」


 そう言葉を吐露する有栖。

 酷く申し訳なさそうに、下に俯いて……


 有栖は良い子だけど、良い子すぎるのも、難儀なものだ。


 仕方ない。

 

「ふえ?」


 俺は有栖のほっぺを優しく摘むと、キョトンとした顔で、可愛らしい声を漏らした。


「任せな、俺がなんとかする」


 普段、一人のとき以外はイメージが崩れるから使わない俺という一人称。


 でもまあ、有栖が心の底で思ってることを口にしてくれたんだ。

 

 俺だけ自分を出さないのはフェアじゃないだろう。


 だから……


「“迷惑かける”じゃなくて“頼りになる”って言ってくれた方が嬉しいんだぜ?」


 そう言ってにっと笑う。


 

 その瞬間、有栖の瞳が揺れて、大粒の涙が頬を伝って零れ落ちて……


 いつも明るく振る舞っていた彼女の初めての一面で……



「結……私、あなたに会えて……幸せだよ」


 有栖は涙を浮かべながらも精一杯の笑顔を作って、そう言った。

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