第3話 想定外は唐突に

 二葉ふたば ゆい


 全日本学生音楽コンクール、ピアノ部門では低学年、高学年の部、中学生一・二年生の時も優勝し、ピアノコンペティションもまた同様にA二級の頃からD級まで金賞を取っている紛うことなき天才である。


 しかし中学二年生を最後に、彼女が表舞台に出ることは無くなり、消えた天才として地方新聞に載ったこともあった。

 

 因みに本人はそんなこと全く知らない。


 好き勝手やったら、祭り上げられて、追っかけやらが続々と現れたため辞めただけ。


 やはり有名税というものは、こういう天才を潰すものなのだ。


 出る杭は打たれるというものである。


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 二葉 結が弾いた“別れの曲”は審査員の度肝を抜いた。


 天才少女と二年前に揶揄された彼女。


 ピアノ業界から完全に離れていたと思われていたが、今回復帰したようで期待されていた。


 その期待は、良い意味で裏切られた。


 完璧だ、音の間も、なんて鮮明に聞こえるのだろう。


 今回の参加者は選りすぐりの天才たちだったが、その中でも圧巻の一言に尽きた。


 そして彼女の解釈。


 甘い旋律、この上なく美しい音色の内側に、何処か重苦しさのようなものを感じた。


 彼女にとって、別れとは……


 心に隠したはずの、でも隠しきれずに滲み出る絶望なのだと。



 ピアノの音は次第に重く深く、水の中に沈んでいくかように消え入る。


 審査員や参加者、聴いているスタッフ全員が、海の中にいるような感覚に陥った。


 心地良さと、でもどこか寂しそうな、悲しそうで……


 その演奏は人を惹きつけてやまない。


 これは、彼女以外誰にも真似できない。


 

「すごいな……」


 審査員の一人が、ペンを止めてただただ聞き入ることに専念した。


 もうこれ以上審査する必要は無いと判断したから。


 優勝は二葉 結、彼女であると。


 




◆◇





 俺が一番で、彼方が二番。


 相変わらず、変わり映えのない評価に苦笑いした。


 しかし、この形容し難い不確かな心臓の鼓動を思い出させてくれたのは、彼方だ。


 自分の中では、完膚なきまでに負けたとさえ思っている。


「ようやく、決心がついた……」


 表彰台で俺の隣にいる彼方が俺だけに聞こえるように呟いた。


 一体何の決心なのかと疑問に思っていると、彼方が晴々とした表情でこう言った。


「私、ピアノを辞めるわ!」


「え……?」


 一体どうして……




「負けたら引退って決めてたから」




 それだけの覚悟を背負って、彼方はこのコンクールに臨んだ。


 全てを尽くして、演奏した。


 それでも……


「あはは、届かなかったなぁ……」


 彼方はそう言葉を吐露する。




「……」


 何が届かなかっただよ……

 俺にピンポイントでぶっ刺してきやがって……


 あの演奏、まるで有栖が弾いてるように見えた。


 それだけ一番心に来た。


「勝ち逃げかよ……」


 優勝したのに釈然としない。

 寧ろ負けた気分だ。


 そんな俺の吐いた言葉と表情を見て、彼方は満足げになった。


 ある程度俺が今何を思っているのか理解したのだろう。


 伊達に長いこと一緒にいるだけはある。


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 そうしてコンクールは幕を閉じ、いつもの日常が帰ってきた。


 もうすぐ高校生最初の夏休みが始まるから今のうちに重たい荷物を持ち帰る。


 それにしても暑いなぁ……


 蝉の鳴き声と、このジメジメとした空気。


 汗が顎を伝い滴る。


 どうやら日本の夏はサウナを無料で体験できるらしい……


「あぁ、あつい」


 家の扉の鍵を開け中に入る。


「あぁぁぁ"あ"涼しい……」


 温度差に身体が一瞬びくっとなったけど、慣れていく。


 こういう温度が急激に変わるとおしっこ行きたくなるな……



「ただいまぁ〜」


 我が家だあああああああ




「ん?」


 ベッドにゴロンと寝転がるとメールの通知が来ていて……


『コンクール優勝ないす!流石結だね!


 それと俺のろくでなしの兄さん、結にとっては叔父さんの娘さんをうちに停めてもいいかと聞かれたんだが生憎俺たちは海外にいるんで、結のとこに預けても良いかな?』


 


「……???」


 なんだこれ……


 お父さん、だよな……?


 普段寡黙な人だから、正直メールでこんなにファンキーな感じになるとは思わなかった。


 意外な一面だ。


「それにしてもお父さんに兄弟なんていたんだ……あの人滅多に自分のこと話さないから知らなかったな」


 叔父さんの娘さん、つまり自分にとって

従姉妹いとこにあたる子がうちに来るのか。


 とりあえず“全然問題ないよ”って送ると、直ぐに返信が返ってきた。


 はえーなおい、


「えー、なになに」



『ちなみに結と同じ中学だった有栖 唯って子だよ』


 ん?


 え?


「どういうこと!?」


 待って、一旦冷静になろう。


 こういう時は般若心経を唱えれば落ち着くと聞いたことがある。


「ふぅ、ふぅ、うん……マジかよ!」


 有栖がうちに来るの!?


 いつかまた会えたら良いなって思ってたけどまさかこんな早く再開できるチャンスが来るなんて……


「うへへえ」


 きっと今は美少女にあるまじきだらしない顔になっているのだろうが、そんなことは最早どうでもよかった。


「どうしよ、歓迎会とか必要かな!」


 幸いコンクールで賞金貰えたし、ちょっと奮発してお高めの食材買っちゃおうかな。


 鼻歌まじりにあれこれ妄想する。



 あれ……


 ちょっと待って……?


「もしかして、有栖と俺って従姉妹同士……」


 ただでさえ同性だっていうのに従姉妹なら付き合える確率、ゼロなんじゃ……


「そ、そんな……」


 先ほどのウキウキ気分とは一転して、床に崩れ落ちがっくしと項垂れる。


「この時代、そういうのに保守的だし、オレが告白しても迷惑なんじゃ……いやでも前みたいに後悔したく無いし……」


 俺は、もうダメかもしれない。


 どうすればいいのか分からない。

 

 くそ、無駄に前世で二十何年間生きたはずなのに、この手の話題は枯れ果ててたから、俺はよわよわなんだぁぁぁ……


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 決意を決めて……


 なんな頭痛が痛いみたいな構文だなこれ。


「ふぅ……」


 今日はうちに有栖が来る日……

 ようやく決心が着いた。


 なんかいつもより呼吸が苦しい気がするが、多分気のせいだと思う。


 正直なところ、嬉しい気持ち反面、少し心配な所もあった。


 もし、彼女に忘れられていたら、軽く死ねる。


 死ねるは流石に言い過ぎだな。


 学校を一ヶ月は休むくらいにはショックを受けると思う。


「どうしよ、でも……」


 嗚呼ダメだ。

 考えすぎると直ぐに負の感情が出てくる。


 やっぱ俺は何かに没頭してないと、すぐに心配になるタチだから、考える余裕があるとすぐこうなる。


「ちょっと走ってこよ」


 気持ちを落ち着けるためにも、黙々と走れば少しは気分が回復するだろうから。


 そうして俺はランニングウェアを着て扉をあけ、マンションの外に出て街を走る。


 まだ人がほとんどいない早朝だから気持ちよく走れる。


 思った通り、少しだけ気分が晴れてきたので、それを維持しながらポジティブなことを考え続けながら走った。



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