第2話 別れの曲

 2012年 4月1日―――

 今日はエイプリルフール。


 何の嘘をつこうか迷っているけど、そもそも嘘を言う相手がいねえや。

 

 ひとりで肩をすくめて、軽く笑う。


 

「こうして高校生になって改めて思ったけど、

俺、友達少ないんだよなぁ……」


 というのも、喋るとキャラ崩壊するからなわけで―――


 この顔でオレッ娘は合わないし、この身体被写体を自画自賛しまくるナルシストだから、普通の人は距離を置きたくなるに決まってる。



 うん、俺なら関わりたくない。


 今日を機に、これからは自画自賛は控えよう。


 いくら自分が美少女とはいえ、もう高校生だし。



 しかし、普通のナルシストとは違って俺は自分のこの身体を「モデル」感覚で見ている節が強い。


 何故ならTS転生しているから。


 感覚的には自画自賛ということより、自分が作った可愛らしいアバターを褒めていると言った方が正しいかもしれない。


「まあ結局は自画自賛か……」


 苦笑しながらそう呟く。




 

 さて、俺ももう高校生になったわけだけど……


 進学の際は苦労の連続だった。


 高校生になる時に、我が父が仕事で海外で仕事することになり、母も父に付いて行ったため、一人で過ごすことを強いられた。


 なんでも―――

「新築建てるから、そこで一人暮らしして」


 とのことである。


 あまりの放任主義さにため息をつきながらも、その場で抗議したけど……


 抵抗虚しく父も母も―――

「結なら大丈夫」


 そう言って笑うだけだった。




 確かに、お金の問題は大したことではない。

仕送りもあるし、今までコンクールの優勝賞金やお小遣いの貯蓄。


 それに、十歳の頃からYouTubeを始めていて、ピアノの演奏配信を中心とし―――


 他にも料理配信や、お絵描き講座、フリーBGMの制作など、主にミュージシャン兼クリエイターとして活動しており、現在では七十万人近く登録者数がいるから自分でもある程度は稼げる。



 更に、そもそも、うちの家はかなり裕福だから、経済的に困ることはなかった。




 以上を踏まえて、確かに生活で困るような問題はないと言える。


 でもさ……


「それとこれとは話が違うじゃん……」


 そう言葉を溢す。



 こんな可愛い娘をほっぽりだして一人暮らしさせるのはどうかと思うよ。



 誰かに襲われたらどうすんのさ。


 その人と仲良くなればなんとかなるか……


 合気道の偉い人もそんなこと言ってた気がする。






◆◇






 夏が近づき、体育の授業は汗ばむ日差しの中で行われるようになった。


「二葉さんってめっちゃ可愛いよな」


「ブルマ姿とかほんと、たまらないわ」


 グラウンドの片隅から聞こえるそんな囁き声が周囲のざわめきに紛れて微かに届く。



―――炎天下、茹だるように暑く、汗が額から頬を伝い、顎を通ってポタポタと地面に落ちる。


 その一滴一滴が、今の気温を雄弁に物語っている。



 まだ、春が終わったばかりだというのに、今年は暑すぎだろ。


「はあ、はあ、暑いのほんと嫌いだわ……」


 走らないがら思わず口の中で愚痴る。


 けれど、体育をサボることはない。



 ―――理由は簡単。

 ブルマは似合うからね。



 

 未来では―――いや、もうすでに多くの学校で廃れつつあるブルマ。


 残り少ないこの文化を目に焼き付けて、そして体感しておこうという情熱が、この暑さに打ち勝ち原動力となっている。



 ぴったりと引き締まったライン、脚を長く見せる絶妙なデザイン。あの機能美!

 

 どうしてこれが失われつつあるのか、理解に苦しむ。


「やっぱいいもんだよ」


 何が―――とは言わないけど、そんな独り言を呟く。



 日常的にブルマを愛用しているし、普段着としても意外と便利で、毎朝のランニングにも欠かさず履くほどで……


 自分を美しく保つために、早朝から1キロ走り続ける。



 それもこれも、自分を絵の参考モデルにできるからね。


 絵描きとして、自分の体型や動きを観察しながら理想の美少女像を追求している。


 もともと素材がいいのもあるが、さらに磨き上げることで理想へ近づけると信じて、努力を惜しまない。



 やはり美少女―――


 美少女は全てを解決する。




 そんなことをグラウンドを走りながら考えていると、気がつけばゴール目前まだ来ていた。



「あ、もう終わりか……」


 ペースを落とさずゴールラインを駆け抜けると、周りの視線がこちらに集まる。




「二葉さん、速いな……」


「俺より速い……」


 息を整えながら、ちらりと時計を確認すると記録は2分58秒を示していて、余計なことを考えていたから知らなかったけど、どうやら一位でゴールしたらしい。



 それから数十秒後、陸上部の子が追いついてきた。



 それをよそ目に、水分補給をして、汗を拭きながら、ふと空を見上げる。


 じりじりと肌を焼く太陽。その熱さに思わず眉をひそめ呟く。


「あっつ……」



______

____

__




 放課後。

 もう桜も完全に散りきって、青々とした木々が音楽室の窓の外から見える。



 先生と交渉して、放課後いつでも音楽室を使えるようにしてもらったんだよね。


 そんな経緯を振り返りつつ、黒くあでやかに光りを反射する大きなグランドピアノを視界に入れる。


 メーカーを見てみると―――

 ピアノ業界の花形、最高傑作と称されるアメリカの名門ブランド社の所のグランドピアノ……


 スタインウェイ。


 この学校、燈花高校は私立の結構良い所だけど、このグランドピアノ置けるのは凄いなんてもんじゃ無いな……



「許可とったし使って良いよね」


 先生も良いって言ってたし、遠慮なく使わせてもらうけど、緊張する。


 


 一音―――

 鍵盤に指を沈ませる。

 その音色は曇ることなく鮮明に音楽室中に響いた。


「すごい……」


 思わず頰が緩み、ニヤケ顔になりながら椅子に腰掛ける。



 そして……


 鍵盤に手を添えてショパン練習曲作品25第11番『木枯らし』を弾いた。




 最初はその静けさを―――


 次第に荒々しく吹き抜ける木枯らしの旋律を校舎に響かせる。

 


 嗚呼、これは……ピアノ弾きによるピアノ弾きのためのピアノだ。


 鍵盤は力を込めれば心地よく沈み、繊細なタッチにも完璧に応えてくれる。


 自分の表現を最大限広げてくれる。



「最っ高」


 思わず笑ってしまうほどには筆舌に尽くし難い旋律だった。





 


 こうして、毎日放課後に音楽室でピアノを弾き続けることが俺の日課になったわけだけど、今日は普段と違い、音楽室の隅に、彼方がいた。


 視線を感じてそちらを見を向けると、じっとこちらを見つめている彼方。


 俺なんかしたっけ……

 色々考えてみるけど、心当たりがない。


 暑さとは少し違う汗が滲む。


 すると、しばらく無言を貫いていた彼方がようやく口を開いた。


「ねえ結、なんでコンクール出るの辞めたの?」


 突然の問いかけに、一瞬手が止まる。


「……」


 コンクール。

 中学一年まではずっと出場していたけど、中二、中三は受験勉強が忙しかったり……


 他にも変なやつが無断で写真を撮ったり、ストーカーまがいのことをされたりして、支障が出たから、表舞台からは完全に降りることになった。


 それに……有栖がいなくなってから長い間ピアノを弾く余裕なんてなかったのが一番大きいか。



 でも、それを今ここで正直に話すのは……なんか違う気がする。


 まあとりあえず無難な言い訳でもしておく。


「いやだって、時間が無いし……」


 適当にそう答え、彼方の方に視線を送ると、彼方は目尻に涙を浮かべた。


 あれ?


 俺、なんかやらかしたか?



 少し困惑しながら、彼方の返答を待つ。


 少し気まずいな―――

 なんて思いながら。



 時計の秒針が進む音がよく聞こえる。

 


 すると、彼方はようやく口を開けて、震える声で言った。


「結が弾かなきゃ、私はずっと負けたままじゃない……」


 積もりに積もった彼方のわだかまり。


「一回だけで良いの、一回だけ、私とまた一緒に出てくれれば……それで、諦められるから」


 切実な思いを込めたその言葉に、少し言葉を失った。


 


 ずるくない?


 そんなこと言ったらさあ……


 出なくちゃいけないじゃんか。






「……分かった、出るよ」








◆◇






 ピアノコンペティションE級のコンクール地区予選、地区本選を通過し、全国本選第一次、第二次を超え最終審査当日。


 彼方かなたの言葉に乗せられて、参加したけど……


 なるほど凄くレベルが高い。


 今弾いた子なんてワルシャワから来た天才少女などと書かれていたがその名に劣ることのない素晴らしい出来栄えだった。


 単に上手いと言うわけでは無い。


 この会場の空気を、彼女の色で塗りつぶすくらいには、凄まじいものだ。


 技術、表現、解釈、どれをとっても一流、プロと言って差し違えない。


 彼女の生きた世界が、伝えたい表現が、色濃く馴染んで音になってる。


 終わりの余韻にひたり、無意識に俺は拍手をしていた。


 それからは、彼女に勝る者が出ることなく……




 ついに―――


 

・プログラムNo.24 柳瀬 彼方


 アナウンスがながら、彼女の出番が来た。



「頑張れ」


 待合室から出ていく彼方に俺はそう言うと……


「当たり前よ!」


 胸を張ってそう返す。

 その表情から緊張は微塵も伝わってこなかった。




 彼方の課題曲は―――

 ショパン練習曲作品10-12『革命』


 左手を酷使する変態御用達の曲である。



 彼方が舞台に堂々と、そしてゆっくりと歩いてピアノの椅子に座るのを、待機室の画面越しで確認する。


 そうして、ゆっくりと彼方は細長く大きく綺麗な手を鍵盤に添え―――


 静かな空間が一色の音に塗りつぶすような演奏が始まった。



 待機室は舞台から少し離れているけれど、それでも耳に伝わってくる荒波のような激情と、美しさがせめぎ合うその音色は、鋭利な刃のようでありながら、深い憂いを秘めた旋律に心を打たれた。


「まじか……」


 身震いし鳥肌が立つほどに、荒々しさと美しさが混在する彼女なりの『革命』



 昔と聴いた時とは別格。

 彼女の意思と、彼女の解釈が、強く深く伝わってくる。

 

 それがこの上なく美しいもので……




 それから―――


 それ、から……






「え……?」


 気のせい、か?


 一瞬、ほんの一瞬だけ、彼方の演奏と、記憶の中の誰かの姿が重なった。


 あの柔らかな音色の包み込むような優しさと、内に秘めた確かな芯―――


 あの雰囲気が、いつの日か出会った彼女に……


 有栖に酷似していた。



「いやいや、そんなわけ……」


 ただの勘違い。


 強くなつ心に言い放つ。



 だけど、忘れようとしていたこの胸の高鳴りを、初めての恋を……


 今、音に呼び起こされてる。


 初恋の面影。

 その瞬間の輝きだけを大事に胸にしまっておくつもりだったのに。


 思い出してしまうのは、なんでなんだろ……

 

 


 


 俺のような前世の記憶を持つ男の紛い物が、彼女に恋をする権利が無いって、そう自分に言い聞かせてきた。


 どうせ叶わぬ想いだったのならば、自分にその資格が無かっただけって……


 そう、言い聞かせたいだろ?


 だから、どうか……思い出させないで。






 彼方の演奏が終わる。



「あの、大丈夫ですか?」


 演奏が終わった一人の少女にそう心配された。


「あ、いや……大丈夫です」


 平然を装ってそう返すけれど、少し、目元に涙が溜まっていたようで……


 少女からティッシュを貰って目尻を拭いた。



 そうして彼方の音に引きずられるような感情を抱えたまま、自分の番がやってくる。



 たださ……

 

 これじゃあ―――

 ちゃんと弾けるか、分からないじゃんか……



 頬を叩いて、なんとか、気を引きしめて、舞台の表を歩く。


 その際にヒールの音と、心臓の鼓動が、とても大きく聞こえてきた。


 

 舞台に置かれてある煌びやかな漆黒のピアノを見据え、俺はピアノの椅子に座って、目を閉じて……


 


「ねえ、有栖……またいつか、会いたいな」


 そう、呟いた。





 その様はまるで恋憂う思春期の少女のように……


 プログラムNo.25 二葉 結

 課題曲:ショパン練習曲作品10-3『別れの曲』

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