時間遡行転生したTS思春期ちゃんの初恋事情

海ねこ あめうつつ

第一章 シンの愛

第1話 落ちる恋

 


 何の変哲もない、懐かしい・・・・中学校生活が始まった。



 机の木目や教室に広がる生徒の声、それから廊下を走る足音。


 どこか馴染み深く、それでいて新しい日常。

 そんな日々も、一ヶ月ほど経てばすっかり日常の一部になりつつあった。



 友達との会話も増え、授業のペースにも慣れてきた頃合い―――



 俺は国語の時間、先生に出された課題に目を通していた。



「“自分を一言で表せ”か……」


 国語の授業で出された『自分を一言で表現するならどう語るか』という課題。


 正直、思いつくことは山ほどある。

 性格、趣味、癖、好きな食べ物、嫌いなもの……でも、それを全部詰め込むことは、課題に反するから無理。


 一言にするって意外と難しいな……


 性格だけなら『優しい』だとか『明るい』だとかでいい。


 でもそれだけじゃ何か足りない気がする。


 そもそも、"俺"ってそんな単純か?


 少し考え込んでみた。

 だけど、どう頑張ってもシンプルにはならない。むしろ、自分が何者なのか整理しようとすればするほど余計に混乱してくる。



 そして、無理やり一言に詰め込もうとした結果―――


“平成初期に生まれた美少女TS時間遡行転生者”


 ノートの隅に書き出した言葉を見て、思わず息をついた。


……うん、何を言ってるか俺にも分からない





 ただ、これは変な電波を受信したとか、妄想とかの類ではなく純然たる事実なんだ。


 創作物によく散見される転生だとか、時間遡行だとか、TSだとか。


 色々詰め込みすぎでは? 

 なんて思うくらいには情報過多な現象がこの身に起きた。



 ああでも、前世の記憶は曖昧なんだよね。

 二十何年か生きてて趣味とかは色々と覚えてるけれど、断片的な記憶しか残ってない。


 まあ、そういうわけで国語の課題のプリントにそう書きたいところなんだけど……

 

 頭のおかしい変な子だとほぼ確実に国語の先生に思われてしまうので、紙に書いた消しゴムでそれを消し、鉛筆を握りしめ、ドヤ顔でこう書くのである。


 絵を描くことと、ピアノを弾くことが好きなただの秀才美少女です……と。




 というわけで、圧倒的な自画自賛と自身への賛美を書き記した鉛筆を置き、課題のプリントを提出した。



 後日、先生に呼び出されたのは言うまでもない……







◆◇






 予鈴よれいが鳴り響く。


「起立、気をつけ、礼」


 日直がハリのある声で言い、今日も中学生としての朝を迎える。


 それから先生が教壇に立ち、教室全体を見渡す。


「今日は朝会にもあった通り転校生を紹介します」


 転校生? そんな話をしていたっけ。

 朝会の間、眠気に負けて半分意識が飛んでいた俺には、正直記憶が曖昧だ。


「それでは、どうぞ入ってください」


 先生がドアの外に向かって声をかける。


 本来なら顔を上げて転校生を歓迎するべき場面ではあるものの、そんなことなど梅雨知らず、ノートに向かって鉛筆を走らせていた。


 興味がないことには、とことん興味が持てない性格だったためだ。



 だから、転校生なんてどうせ大したことはない―――そう思っていた。


 


 ガラッ、と静かにドアが開く音がする。


 けれど、俺の視線はノートの中の線に向けられたままで……



「うわめっちゃ可愛い!」


 突然、同級生の一人が興奮気味に声を上げた。


 その声に引き寄せられるように、思わず顔を上げた。


 上げてしまった、というべきだろうか……


「……っ!?」


 その瞬間、息を呑んだ。


 教室の入口に立っていたのは、見惚れるほど美しい女の子だった。


 少し明るめの茶色い髪がふんわりと肩にかかり、涼しげな瞳が教室を見渡している。


 その姿はどこか品があり、どんな映画や絵でも表現しきれない現実の輝きを放っていた。


 一目惚れというべきなのだろうか、絵を描く手を止め、マジマジとその転校生見つめてしまった。


 すると彼女と目が合い、微笑んで……


 それだけで、心が揺さぶられるような感覚が押し寄せてきた。


 まるで、一流の画家が描いた名画に出会ったときや、胸を打つ旋律を耳にしたときのような―――そんな衝撃を受けた。




「初めまして私は有栖ありす ゆいと言います。よろしくね!」


 有栖 唯――そう名乗った彼女の声は、透明感があって、まるで音楽の一部のように心地よく響いた。



 それと同時に、自分の名前と彼女の名前に共通点があることに気づいた。


 二葉 ふたば ゆい俺の名前の“ゆい”と、彼女の“ゆい”。

 漢字は違うけれど、読みは同じ。


 そんな些細な共通点に、思春期の俺は勝手に「運命」なんてものを感じてしまった。



 理屈なんて関係ない。ただ、その時、俺は――人生で初めて恋をしたんだ。

 


______

____

__



 授業中、ノートに視線を落とすふりをしながら、有栖を観察する。


 彼女が教室に立ったときのあの笑顔―――それをデッサンに残したかった。



 しかしどうにも彼女のあの笑顔を表現できない。


 前からデッサンは得意だった。写真のように正確に描ける自信もある。


 けれど、どれだけ鉛筆を動かしても、あの笑顔を……


 教室に差し込む朝日を反射して、彼女の唇がわずかに光を帯び、その瞳は、まるで深い湖面に揺れる光を閉じ込めたようで―――眩しくもあり、どこか神秘的でもあるあの笑顔を……


 紙の上で再現することができなかった。


 俺の鉛筆はその光景を正確に追おうとする。けれど、足りなかった。



 表情の美しさを再現できても、その内に秘められた温かさや柔らかさ、そして何か大切なものを持っているような雰囲気……それを描くことができなかった。


 

 しかし、それが何故かはすぐに分かった。



 俺は彼女のことを全く知らない。


 その一面だけ描けたとしても、彼女がどんな人で、どんなことを考え、どんな人生を歩んできたのか―――


 それを何一つ知らない俺には、その笑顔の本質を描くことなんてできなかったのだ。



 もっと知りたい。

 彼女のことを深く理解したい。


 けれど、どうやったらそれを知ることができるんだろう……?


 まあ、まだ時間はある。

 これから先、少しずつ彼女のことを知っていけばいい。


 鉛筆を回しながら、そんなことをぼんやり考えていた。


______

____

__





「何してんの?結」


 甲高い声が頭上から降ってきた。


 顔を上げると、そこには幼馴染の彼方かなたが長い黒髪を一つに結び、いつも通りの自信満々な表情を浮かべていた。


 その声に反応して、有栖もこちらを向く。


「ああごめん、転校生の有栖 唯さんだっけ? 名前が同音だから紛らわしいわね……」


 そう言って慌てて手を振る彼方。


 確かに紛らわしいから、クラスでは苗字で呼び分けられたりしている。




 彼方は有栖に誤解を解くと、間違えて反応したのが恥ずかしかったのか、照れたように顔を戻す有栖。



―――今の有栖の照れたシーン描きたかったな。


 そんなことを思いながら、デッサンを一旦中断し、鉛筆を置き彼方と向き合った。



「それで、何?」


 わざわざこうして俺のクラスに顔を出す彼方のことだから、ピアノ関連だろうか?


「もうすぐピアノのコンクールあるじゃない」


 ビンゴ。


 伊達に彼方の幼馴染をやってきたわけじゃないな。


 なんて軽く冗談を心の中で浮かべるていると、窓の外からは運動部の掛け声や風に揺れる木々の音が微かに聞こえてくる。


 それにしても、コンクールってもうそんな時期か……


「そうだね」


「それでなんだけど、出るの?」


「出るよ」


「そう……なら今度は負けないから」


 彼方がそう言ってクラスを出ていく。

 その際、机から離れて邪魔な椅子を乱暴にどかし、金属の脚が床を擦る音が響く。


 どこか挑戦的で、いつもの負けず嫌いな彼女らしい表情を浮かべている。


 相変わらず負けず嫌いだなあと感心する。

 ただまあ練習量も熱意も技術も負けるつもりはさらさらないけど。




 彼女とは小さい頃からの幼馴染で、コンクールではよく俺が一位、彼方が二位と、ライバルのような関係で、気づけばお互いが目標であり、壁のような存在になっていた。


 いつも堂々としている彼女の姿には感心させられる。


 負けるつもりがないと言い切れるその自信も、裏打ちされた努力があるからだろう。

 


「まあ、俺だって負けるつもりはないけどさ」


 誰に言うでもない、彼方がいなくなった教室で、そんな独り言をつぶやいた。



「さて、どうしよっかな」


 視線を横にずらすと、有栖が静かにノートをめくっている姿が目に入る。


 教室の喧騒の中で、彼女だけがどこか別世界にいるように見える。



 そんなことを考えながら、先ほどのデッサンの続きを描こうと、机に置いていた鉛筆に手を伸ばした瞬間だった。


 ふと視線を感じた。

 目を上げると、有栖と目が合う。


 その瞬間、自分の心臓の鼓動がいやに大きく聞こえてきた。


 体がほんの少し跳ねたかもしれない。


 慌てて視線を外し、なんでもないように装った。だが、次の瞬間、有栖が立ち上がる音が耳に入る。


 足音が近づいてくる。

 一歩、また一歩。


 俺じゃないよな……

 多分他の用事だろう……


 なんて考えていたが、気がつけば彼女は俺の机の前に立っていた。


「ねえ、それって私かな」


 彼女の声が、教室のざわめきの中でしっかりと耳に届く。


 机の上のデッサンに向けられた視線は鋭いわけではないけれど、何かを確かめるようなものだった。



 見られた―――


 ずっと貴女を観察して描いてました、なんて言ったら引かれるに決まってる。


 かといって、適当に誤魔化そうにも、こんなに特徴を掴んで描いた絵じゃ逃げ切れない。


 俺は人生で一番頭を使ったつもりだったが、出てくるのは空回りする言い訳ばかり


 パニックなるとどうにも考えが思い浮かばない。


 そんな思考の渦を鎮めたのは、有栖の一言だった。


「すごい!絵を描くの上手なんだね!」


 明るい声が耳を打ち、驚いて顔を上げると、有栖は満面の笑みで俺を見ていて……


 その瞬間、先ほどまで胸を締め付けていた不安がすべて吹き飛んでいった。


「あ、ありがと?」


 声が少し裏返りそうになったけれど、なんとかお礼を口にする。


 それだけなのに、なんとも言えない誇らしい気持ちが湧いてきた。


 我ながら単純だと思うが……




 これが、有栖と俺が少しだけ近づいた最初のきっかけだった。







◆◇







 有栖が転校してきてから、長い時間が経つ。

 自分からすると、短く感じる時を過ごしたと思う。


 あれから有栖とは相当仲が良くなっていて、これから友達でいようねって言われてちょっとだけ胸の中の何かが痛んだ気がしたけど、きっと気のせいだと思う。




 それにしても有栖と一緒にいると、どこか不思議な感覚があった。


 自分と似ているような気がするのだ。それは心とか性格とかではなく、何か別の、言葉にできない「面影」のようなもので……



 そんなことを考えながら、気づけば有栖と過ごす時間がどんどん増えていった。



 時折、自分の気持ちをいつか伝えたいと思う瞬間もあったけど、どうしていいか全然わからない。


 初めて人を好きになったから、全部が手探りだった。



 しかし、有栖の笑顔を見ればそれだけで満たされて、難しく考える必要はないんだって思えてる自分がいた。




 


「ねえ有栖、一緒にピアノ弾かない?」


 放課後、教室を出ようとしていた有栖を引き止め、そう言ってみる。


 内心、断られたらどうしようと不安だったけど、彼女は明るく笑ってこう言った。


「いいよ」


 すると、オッケーサインを両方の手で作ってはにかむ有栖。


 その無邪気な仕草と破壊的な笑顔に、思わず頭がぐらつきそうになる。


 ただ、有栖に変に思われたくなかったがために、なんとか平常心を装った。





 音楽室に移動し、二人でピアノの椅子に座った。まだ小柄な俺たちにとって、二人で並ぶには十分なスペースだ。


 鍵盤を前にして、有栖と密着しているということもあり、少し緊張しながらも簡単な音の場所を教えた。


「ここを押してみて」


 鍵盤を沈める。


 そうして、真似するように有栖の小さな手が鍵盤を叩くと、ぎこちない音が部屋に響く。


 それでも、少しずつ音が繋がって「きらきら星」が形になっていく。


「凄い!ちゃんときらきら星になった」


 嬉しそうに笑う有栖。


 その一音一音優しく弾く姿はとても可愛くて、たどたどしくても、彼女が奏でる音は、俺にとって世界で一番美しいピアノの音だった

 


______

____

__



 それから俺の日常は、有栖と一緒に絵を描いたり、ピアノを弾いたりするものになっていった。趣味でやっていたはずのことが、いつしか彼女と繋がるための手段になっていた。


 そして、それがとにかく幸せだった。



 幸せだった―――



 幸せなのに、なんで俺……


 こんな泣いてるんだろ。


 



 有栖の親の転勤が決まり、急遽転校することになったと知らされたとき、全てが一瞬で崩れ落ちた気がした。


 何をどうしても、この別れだけは避けられない。


 こればかりは、俺にはどうしようもない。



 送別会の日。教室はいつも以上に明るい空気に包まれている。


 けれど俺の心は真っ暗だった。


 どうにか振る舞おうとしても、うまく笑えない。


 有栖の送別会が行われ、みんな別れを惜しみつつも笑顔で……



 なんで、俺だけは笑顔じゃないんだろ……





 涙を必死に堪えても、止まらない。


 気丈に振る舞おうとしても、上手くいかない。




 送別会ではピアノを弾くことになり、これが有栖との最後の思い出になると思うと、指先に全ての感情を込めて鍵盤を叩いた。


 自分の内側に溜まった思いを、全て音にぶつけるように―――




 それから、クラスメイトたち一人一人が手紙を渡して、“ありがとね”とか“楽しかった”とか一言送っていった。


 俺も手紙を渡したけれど、本当の気持ちも、別れの言葉も、なんにも言えなかった。



 それでも有栖は、ぎゅっと手を握ってくれて……


「ありがとう結、またいつか会おうね!」


 普段は名字で呼び合っていたのに、そのときだけ下の名前でさ……


 涙が出そうになったけど、有栖の前だけは、なんとか堪えた。


 堪えてたって、思いたい。

 





 送別会はとっくに終わり、俺は家に足をふらつかせて帰る。


 その際ずっと心の中で繰り返し自分を責めた。



 言葉で―――


 自分の言葉で、直接伝えるべきだった。



「くそ、なんで……なんで」




 その日の夜はご飯もシャワーも宿題も―――

 何もする気になれず、そのまま眠り込んだ。




 朝起きると、髪はぐしゃぐしゃで、目尻が赤く腫れている。


「はは、ぶさいくだなあ」


 



 それから一年、俺は高校生になった。

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