第30話 電話

 ばばあの襲来&買収によってなんとか冷静さを取り戻した俺は、とりあえず桜田のロープを解いてやることにした。


 本当に危なかった……あのままだと完全に俺は桜田をめちゃくちゃにしていたし、取り返しの付かないことになっていた可能性が非常に高い。


「………………」


 ロープを解かれた桜田はというと、なにやらムスッとした顔をしながらベッドに腰を下ろしている。


「桜田、痛いところとかないか?」


 自ら進んでやったとはいえ彼女はずっとロープに縛られて吊られていたのだ。怪我をしている可能性もあり少し心配だったが、俺の質問に彼女は首を横に振る。


 そんな、なにやらご機嫌斜めな彼女にどうしたものかと考えていると、彼女は相変わらず仏頂面のままポンポンとベッドを手で叩いた。


 どうやら隣に座れと言うことらしい。


 まあ座るだけなら。ということでベッドへと歩み寄ると彼女の隣に腰を下ろす。


 そして腰を下ろすなり、彼女は俺の腕にしがみ付くとそのまま俺の肩に顔を埋めてきた。


「…………」


 そんな彼女に肩を貸してやっていると、ふと彼女は「先生……」と口を開く。


「どうした?」

「先生……私のこと嫌いになりましたか?」


 なにを言われるのかと思ったらそんなことを尋ねられる。


「なんでそう思うんだよ」

「だって……先生はいつも私の誘いをかわしてきますし、あんまりぐいぐい来る女の子は嫌いなのかなって思って……」


 どうやら今更になって自分の行動が心配になってようである。


 まあ確かに彼女の行動はぐいぐいどころの騒ぎじゃないし、場合によっては俺が社会的に死ぬ可能性まではらんでいる。


 が、これだけははっきりと言っておこう。


「俺が桜田を嫌いになることは絶対にない」


 俺の言葉に桜田は肩から顔を離すと少し驚いたように俺の顔を見つめてきた。その目はわずかに潤んでいる。


「ほ、本当ですか?」

「ああ、お前が俺のクラスの生徒になった以上、俺がお前を嫌いになったり見捨てたりすることは絶対にない」


 綺麗事だと思われるかも知れないし、教師の現実はそんなに甘くないとお叱りを受けるかもしれない。


 けれども、俺は生徒を見捨てたくないし、できる限りの愛情を持って接してあげたいと思っている。


 なぜならばそれが俺の教師としての理想像だからである。


 はぁ……けど、今はこんなことを考えているけど、経験を積んだらそうも言ってられなくなるのかな……。


 なんて思わなくもないが、とりあえず今はその信念を曲げたくない。


「で、でも私……悪い子ですよ? 先生にいっぱい迷惑をかけている自覚はさすがにあります……」

「その自覚があるのは少し安心するよ」

「それでも私を嫌いにならないんですか?」

「ならない。お前は俺の教え子だから。俺は全力でお前たちが立派な大人になれるようにサポートするつもりだし、お前たちが困ったときは教師人生をかけてでも助けに行くつもりだ」

「お前じゃなくてお前たちってのがちょっと気に食わないです……」


 そう言って彼女は不服そうに唇を尖らせる。


 そんなに俺に特別扱いをされたいか? と思わないでもないが、親元を離れて寮生活を送る彼女たちは甘える相手に飢えているのだろうとも思う。


 だから。


「まあせめて今ぐらいだけは特別扱いさせてやるよ」


 まあ誰かに見られているわけでもないしな。今の桜田は孤独を感じているような気もするし、今だけは特別だ。


 ということで再び顔を埋めてくる彼女の頭を撫でてやっていると、ふとスマホの着信音が室内に鳴り響いた。


 俺のスマホの着信音ではないので、桜田のスマホのようだ。彼女はしばらく着信音を無視して俺に顔を埋めていたが「出ないのか?」と尋ねると「出ます……」と答えてベッドに置かれたスマホへと手を伸ばした。


「はい……もしもし……」


 と、電話の相手に話しかける桜田。


 桜田を見て通話を盗み聞きするのは野暮だと思った俺は寮を後にしようと立ち上がろうとしたのだが。


「行かないでっ!!」


 と、彼女がぎゅっと俺の腕にしがみ付いてそう訴えてくるので俺は動きを止める。


 行くなと訴える彼女の目はなんだか切羽詰まっているようで、俺は思わず再び腰を下ろした。


 すると、彼女は少しホッとしたように通話を再開する。


「す、すみません……。で、要件はなんでしょうか?」


 できるだけ詮索するのはやめよう。そう思いできるだけ別のことを考えようとするも、さすがに真横なので彼女の言葉が耳に入ってくる。


「それは以前お断りしたはずです……。私にその気はありません……。いくら説得しても無駄です。私の気持ちを少しは理解してください」


 などなど桜田は口調こそ丁寧ではあるが、話し方はどこか冷淡に聞こえ、とても楽しい会話をしているようには思えなかった。


 そして彼女は五分ほど相手と通話をしてから「とにかく私にその意志はありません」と言って電話を切った。


 彼女はスマホをベッドに置くと、俺から手を離して机の方へと歩いて行く。


 そして、机に置かれたA3ぐらいの大きさの二つ折りの台紙を手に取って開く。


 そこにはなにやら俺よりも二回り近く年上の中年の男の写真が貼り付けられていた。


 まるでお見合い写真のようだが、さすがに年齢的にお見合い写真ではなさそうだ。


 桜田はしばらくその写真を眺めていた。そして、写真を眺める彼女の表情は明らかに憎しみに満ちていた。


「さ、桜田? 大丈夫か?」


 思わずベッドから立ち上がって彼女に歩み寄ると、彼女はハッとしたような顔で俺を見やると引きつった笑みを浮かべる。


「え? あ……大丈夫です……」


 なんて答えるがどう考えても大丈夫そうではない。


「なにか困っていることがあれば俺になんでも――」

「先生がどうにかできる問題ではありません」


 俺の言葉を遮るように彼女は冷め切った口調でそう答える。


「………………」


 思わず俺が口ごもると、桜田ははっとしたように俺を見つめてきた。


「ご、ごめんなさい。先生は心配をしてくれていたんですよね? それなのに私……」

「いや、別にかまわないよ。その問題は俺じゃ解決できそうにないのか?」

「先生を頼りにしていないわけではありませんが、これは私の問題なので大丈夫です……」


 再度彼女は大丈夫アピールをした。


 担任として彼女のことが心配ではあったが、彼女の表情は俺にこれ以上、追求するなと言いたげであった。


 少々もやもやするが、彼女が俺に助けを求めないのであれば、俺としてもそっとしておく他ない。


「先生、今晩はいろいろといじわるしてすみませんでした。寮母さんには私から内線電話をかけておきますので、正面玄関から帰っていただいて大丈夫だと思います」

「え? お、おう……。桜田、一人で大丈夫か?」

「大丈夫です。それとも先生が朝まで私と添い寝をしてくださるんですか?」

「あのなあ。真面目に心配してるんだぞ」


 俺の言葉に彼女はそこでようやく柔和な笑みを浮かべた。


「ごめんなさい。先生が心配してくれているのは知っています。ですが、一人で大丈夫です」


 そう言って彼女は俺の頬に軽く口づけをしてから「先生、またね」と小さく俺に手を振った。


 どさくさに紛れてキスをされたのはあれだが、今日のところは大人しく帰ろう。


 そう判断した俺は「少しでも不安なことがあったら、すぐに俺に相談しろよ」と言い残して寮を後にした。

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