第29話 腐敗

 桜田の部屋にやってきたら桜田が吊されていた。


 しかも前の開いたブラウスの隙間から薄ピンク色のブラを覗かせながら。


「先生……お仕置きしてください……」

「…………」


 苦悶の表情を浮かべながら吊される桜田は、苦悶しているはずなのにどこか恍惚としており嬉しそうである。


 なにやらふとももをすりすりさせながら「先生……」と俺を呼んでいる。


 そんな彼女をしばらく冷めた目で眺めていると、彼女はムッと頬を膨らませて俺を睨んできた。


「先生、そういうところですよ……」

「どういうところだよ」

「先生にはまだ男らしさが足りません。女の子に変に思われたくないという恐怖心が先生の心に抑制をかけています。ですが、女の子は自分をリードしてくれる男性を求める生き物です。今の先生に必要なのはぐいぐいさです」

「いや、だからって生徒を縛って虐めるのは……」

「とりあえずベッドに来てください」


 と言われるものだから写真で脅される前に大人しくベッドへと上がる。


 そこで気がついたなにやら桜田の体からわずかに香水のような香りがすることに。


 なんだろう……この男の本能にぶっささるような甘いような少しふわふわするような香りは……。


 酒が回っていることも相まって、その匂いが妙に俺の思考を混沌とさせる。


「少しえっちな気持ちになってきたんじゃないですか?」

「…………」


 どうやら桜田には俺の考えがお見通しのようでなにやら恍惚とした、それでいて挑発的な笑みを俺に向けてきた。


「先生……私の首の辺りに鼻を近づけてみてください……」

「いや、それはさすがに」

「いいじゃないですか。先生だって先生である前に男なんですから、男としての欲求にしたがったって良いんじゃないですか?」

「…………」


 ダメだと言うことは頭では理解している。が、そんな桜田の挑発的な誘いに魔が差した俺は彼女の首筋へと鼻を近づける。


 直後、自分のそんな行動に後悔した。


「っ…………」


 彼女の首筋から漂う香水の香りは俺の鼻腔を通り抜けて脳内へと到達する。ただでさえ酒が回って正常じゃない俺の脳はさらに混沌を極め、脳内によくわからない物質を分泌させた……ような気がした。


 白状すると今の彼女はとてもエロい。


 教師と生徒という前提をまだ手放していないから、まだギリギリのところで堪えてはいるがこの前提がなければ理性を保っていられる自信は俺にはなかった。


 女性としての魅力をこの上なく増長させる不思議な香りに思わず我を忘れて鼻をピクピクさせていると彼女が耳元で囁く。


「先生……私をめちゃくちゃにして……」


 そんな悪魔の囁きに思わず身震いする。


「バカ……俺とお前は教師と生徒だぞ?」

「だったらなんですか? それ以前に男と女じゃないですか?」

「だとしても……」

「先生、もっと自分に素直になったらどうですか? そんな盛り盛りのわんこみたいな鼻息漏らして教師と生徒だなんて、説得力がないですよ?」


 そう言って彼女は俺の耳たぶを甘噛みしてきた。


 や、やめろ……これ以上俺を挑発するな桜田……。


 なんて心の中で叫んでみるが、俺は彼女の首から顔を離すことができない。


 理性はやめろと言っているが本能は彼女の誘いを受けれてしまっているのだ。


「先生、教えてください」

「教える? なにを……」

「今、先生が私に抱いている感情ですよ。先生、そんなに鼻息を荒くしてなにを考えているんですか?」

「…………」

「先生、教えてよ。先生、可愛い教え子を目の前にしてどんなことを考えているの?」

「そ、そんなこと言えるはずないだろ……」

「へぇ~先生は言えないようなことを考えているんですね……。じゃあ私が先生の考えを当ててあげましょうか?」


 そう言って彼女は俺の耳に「ふ~」と息を吹きかけた。彼女の息が彼女の唾液の付いた耳に当たり冷たい。


「先生、本当は私にもっともっと触れたいんですよね? だけど私が生徒だから自重しているんですよね? だけど、本当は本能の赴くままに餌を貪るワンちゃんみたいに私をめちゃくちゃにしたいんですよね? 我慢させられて可哀想……先生……」

「ぬああああああああああっ!!」


 溢れる本能と自制心に挟まれて悶え苦しむ俺は思わず絶叫する。


 叫ぶ俺に桜田はクスクスと笑いを漏らす。


「先生、可愛いね」

「ば、バカにするな」

「クスクス……どうして我慢するんですか? もっと本能に素直になればいいじゃないですか」

「そんなことしたら教師として」

「こんなことがバレたら教師として生徒たちに顔向けができないですか?」

「わかっているなら、そろそろ許してくれ」

「許すもなにも私の匂いを嗅いでいるのは先生じゃないですか……本当に可愛いですね」


 ダメだ。酒を飲み過ぎて自制心が全く効かない。それが桜田にもわかるようでクスクスとずっと嘲笑的に笑っている。


「先生、仮に先生がここで私をめちゃくちゃにして、そのことを誰にバレるんですか?」

「バレるとかバレないとか」

「いえ、バレるかバレないの問題です。現に私の写真がバレたらってビクビクしているじゃないですか」

「いい加減にしないと怒るぞ?」

「そうですね。私にもっと虐めてください。私、悪い女の子ですよね? そんな女の子にはいっぱいお仕置きをしないと」


 ダメだ。手のひらでころころと転がされている。


「ほら先生、触れちゃいなよ。私の胸はがら空きですよ。今、先生がその気になれば私はなにも抵抗できません。これは私と先生だけの秘密にしましょう」

「っ…………」


 生唾を飲み込む音がやたらと部屋に響く。


 今の桜田は抵抗できない。そして彼女は秘密を守ると言ってくれている。仮にここで手を出してしまったとしても二人だけの秘密だということにできる。


 あまりにも俺に都合の良すぎる状況に、俺の心のストッパーが外れる。


 不本意だけれど……この上なく不本意だけれど、心の強くない俺の右手が彼女の隙だらけの胸へとゆっくりと伸びていく。


「先生……いっぱい可愛がってね」


 そして、理性のなくなった俺の右手が彼女の胸を鷲掴みしようとしたその時、ドンドンと誰かが部屋のドアを激しくノックした。


「え?」


 そのけたたましい音に俺と桜田は肩をビクつかせてドアへと顔を向ける。


「桜田さんっ!! 部屋から殿方の声が聞こえますよっ!! ここは男子禁制ですっ!!」


 なんて外から聞こえてくる声は寮母か誰かの声だろうか。


「さ、桜田……これはマズい……」


 さすがにそんな危機的状況に俺の脳内が瞬時に理性を取り戻した。


 もしも寮母が突入してきて姿を見られてしまったらなにも言い逃れができない。


 焦る俺だったが、そんな俺とは対照的に彼女は冷静だった。


「先生、私の机の上に封筒が乗っているのが見えますか?」

「はあ? え? あ、これのことか?」

「それを寮母さんに渡してください」

「はあ? 俺が出るのはさすがにマズいんじゃ」

「大丈夫です。騒ぎになる前に早く出てください」

「わ、わかったよ……」


 俺は机の封筒を掴むとドアの方へと駆けていくとゆっくりとドアを開こうとするが、その前に外から勢いよく寮母がドアを開いた。


 そして、寮母は俺の顔を見るなり驚愕したように目を見開く。


「あ、あなたもしかして……」

「え? あ、いや……それは……」


 終わった……完全に終わったわ……。


 俺はこの中年の寮母さんと顔を合わせるのは初めてだが、この学校に若い男なんて俺以外いないのできっとピンと来ているのだろう。


 と、そこで寮母さんは部屋の中へと視線を向けた。そして、縛られた桜田を見てさらに驚く。


「あ、あなたなにやってるの……」

「なんというかこれは誤解です……」

「ここは私立聖桜学園よ。こんな場所でこんなはしたないことをしてあなた」

「先生、早く渡してっ!!」


 桜田が背後で叫んだ。そこで我に返った俺は封筒を寮母に差し出す。


 すると彼女は呆気にとられながらも封筒を受け取って中を覗いた。


 そして……。


「あら、若いっていいわね。でもほどほどにね」


 彼女は急に満面の笑みを浮かべると俺の肩をぽんぽんと叩いてどこかへと歩いて行ってしまった。


 う、嘘だろ……おい……。


 そのあまりの急展開に俺の思考が追いつかない。


「はぁ……なんとかなりました……」


 そこで背後から桜田の安堵のため息が耳に入る。


 どうやら彼女は金でばばあを買収したらしい。



 おいおい私立聖桜学園さん、ちょっと腐敗が蔓延しすぎじゃありませんかね……。


 金でなんでも解決する聖桜学園の腐敗と、金でなんでも解決させる桜田の政治家として優秀すぎるDNAに愕然としながらもゆっくりと扉を閉めた。


「さあ、先生続きを」

「いや、大丈夫っす」


 ばばあのおかげで冷静さを取り戻した俺は彼女からの誘いをあっさりと断るのであった。

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