第31話 異変
いったい彼女の身に何が起きているのだろうか?
なんて一抹の不安を抱えながらも朝を迎えた俺だったが、一週間、二週間と時が流れるにつれてそのことを忘れかけていたある日の平日。
いつものように2-Bの教室で英語の授業を進めていた俺だったが、ふと扉が開きスーツ姿の男が二人教室に入ってきた。
「ん?」
いきなり入ってくる男の存在に思わず黒板に英文を書いていた俺の手が止まる。
誰だ? なんて一瞬思った俺だったが一人はすぐにわかった。
宮下さんである。彼はいつの日か桜田と強制デートをしたときに尾行してきた彼女のお世話係である。
強面の男だがとても礼儀正しい人で、かなり好印象の残っている男である。
そして、もう一人は見覚えのないはずの男だった。
スーツ姿のその男は年齢は50代後半から60歳ぐらいだろうか、いかにも良い物ばかり食ってますと言いたげな恰幅の良い体型で表情もなんだかふてぶてしい。
人を見た目で判断するのは良くないが、あまり感じの良くない男は教室の最後部から生徒たちを眺めている。
その予想外の訪問者に呆然と立ち尽くしていると、宮下さんが俺の元へと歩み寄ってきた。
「先生、お久しぶりにございます。宮下です」
「あ、どうもです……が、いったいどのようなご用件で?」
「本日はあちらの三船議員が聖桜学園さまの視察をされるとのことで、お邪魔させて頂きました。学園にはすでに許可をとっております。決して先生の授業の邪魔などはいたしませんので、是非、我々はいないものとして授業をお進めください」
なんて言って、がたいの良さから考えられないほど肩をすぼめてへこへこと俺に頭を下げる。
相変わらず腰の低い方だな……なんて考えつつも断る理由もないので「どうぞご自由にご見学ください」と返事をして授業を再開する。
ということで彼らのことは気にせず相変わらず授業を進めてはいたものの、やはり女子ばかりの中でスーツ姿の男が二人いるのはなかなかに違和感がある。
しかも、スーツの中高年の男は、しきりに桜田の方をじろじろと見ており、彼女もその視線に気づいているのか居心地が悪そうにしていた。
それにしても視察ってなんだ?
わざわざ一国会議員がお嬢様学校の視察のためにわざわざやってくる理由が俺には理解できない。
ってか……俺、この三船議員とかいうおっさんの顔にどこか見覚えがあるような気がする……。
なんて相変わらず桜田をじろじろ眺める気持ち悪いおっさんを眺めていた俺だったが、ふと思い出す。
「あっ!!」
思わずそんな声を漏らしてしまい、生徒たちが首を傾げながら俺を見やった。
「え? あ、ごめん……なんでもない……」
と謝りつつも俺は確信する。
このおっさん、桜田の部屋に行ったときに見た写真の男である。
お見合い写真みたいに仰々しい台紙に入っていたので妙に記憶に残っていた。
まさかあれ……本当にお見合い写真だったんじゃ……。
なんて一瞬思わなくもなかったが、さすがに年齢差的にお見合いなんてありえないよな……。
だとしたら本当になんのためにこんな山奥までやってきたんだ?
ますますこの男がここにいる理由がわからない。
わかることは、なんとなく桜田がこの三船議員とやらの存在をあまり快く思っていないことぐらいだ。
宮下さんには悪いが一秒でも早くお引き取りいただきたい……なんて考えていると「先生」とふと桜田が手を上げた。
「ん? 桜田……どうした?」
「先生、私ちょっとタバコを吸いたいので外に出ます」
「はあっ!? おい、桜田っ!?」
え? 何言ってんの桃ちゃん……。俺の耳には今たばことかなんとか聞こえた気がするけど……。
いや、さすがに聞き間違えだよな……。
そうだ。そうに違いない。
「先生、聞こえなかったですか? ちょっと外にタバコを吸いに行ってきます」
聞き間違いじゃなかった。唖然とする俺と他のクラスメイトを横目に彼女は立ち上がると本当に教室を出て行ってしまった。
え? どういうこと……。取り残された生徒たちで騒然とする教室内。と、そこでいち早く宮下さんが教室から出て行く。
そんな彼を見送ったところで俺もまた我に返る。
さすがにこれは桜田に異常事態が起きている。
「ごめん、ちょっとだけ教室を開けるからこの小テストを配って解いといて」
と、目の前の席に座っていた子にプリントを手渡すと、俺もまた教室を飛び出した。
他の生徒には申し訳ないが、さすがにタバコを吸いに行くと言って教室を出て行った生徒を放置するわけにもいかない。
彼女の背中とそれを追う宮下さんの背中を追って駆けていくと、階段の踊り場にたどり着いたところで、桜田の腕を掴む宮下さんを発見した。
「桃さま、なにを考えているんですかっ!!」
「放してくださいっ!! 私はタバコを――」
「タバコなんて吸ったことないでしょ。三船議員の心証を悪くしたいという桃さまのお気持ちは理解できますが、そのようなことをされてもお立場が悪くなるだけです」
「放してくださいっ!!」
なんてもみ合いをする彼女たちの元へと駆け寄る。
「桜田、いったいなにがあったんだ?」
と、声をかけると彼女は少し悲しそうな顔で俺を見つめたが、すぐに顔を背ける。
「さっき言いましたよね? 私はタバコを」
「お前がタバコを吸うような不良生徒とは思えないんだけれど」
「それは先生の目が節穴なだけです。私は先生の目を盗んでタバコを吸うような不良少女です」
ダメだ。埒が明かない。ということで今度は宮下さんにアプローチをする。
「宮下さん、いったいどういうことですか?」
その質問に宮下さんもまた一度俺に顔を向けてから、すぐに顔を背けた。
「細川先生、これは桜田家の問題です。先生のお気持ちは理解できますが、口を挟まないでいただきたい」
「…………」
なんだよ。桜田家の問題って……。
「宮下さん、どうしてこんなことになっているかはわかりませんが、私は彼女の担任です。事情をお教えいただけませんか?」
再度尋ねると宮下さんは少し悩むような顔をした。が、すぐに俺から再び顔を背けると「それはできかねます……」と小さく答える。
と、そこで桜田が口を開いた。
「先生、先生は関係ありません。教室に戻ってください」
「いや、でも……」
「これは先生が干渉できるような問題じゃありません。早く教室に戻ってください」
「…………」
宮下さんも桜田も事情を話すつもりはないようだ。
桜田のことが心配ではあるが、二人して関わるなと言われてしまうと俺としてもどうしようもない。ましてや宮下さんは俺以上に彼女のことを知っているだろう。そうなるとここは引き下がるほかなさそうだ。
「わ、わかりました……。ですが、彼女は私の可愛い生徒です。そのことだけはゆめゆめお忘れになられないように」
もやもやする気持ちを抑えながらそう伝えると、宮下さんは俺に頭を下げる。
「細川先生のご理解に感謝いたします。桃さまのために全力を尽くす所存にございますので、どうかこの宮下を信用していただければ」
「わ、わかりました……」
後ろ髪を引かれる思いではあったが、俺は彼女たちに背を向けて教室に戻ることにした。
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