第7話 スキャンダル
思っていたよりも何倍も早くボロが出た。
聖桜学園の敷地の一角にある教員寮。学生寮とは天と地ほど差のあるおんぼろアパートの裏庭に桜田桃の姿はあった。
裏の花壇の影に隠れながら桃はスマホに映し出された画像をじっと眺める。
そして自らの勝利を確信する。
――この写真があれば先生のこと自由にできる。
それほどまでに桃が手に入れた写真は新米教師細川龍樹にとっては致命的なものだった。
彼女のスマホに映っているのは男女二人が熱いキスを交わす写真。
その撮れたてほやほやの写真は桜田桃にとっては少々刺激が強く頬を火照らせずにはいられない。
当然ながらそのキスを交わす男女というのは細川龍樹と深山奏の二人である。
どういう経緯でこんなことになったのかは桃にもわからないが、そんなことは彼女にとって大した問題ではない。この写真がスマホに記録されていることが彼女にとってもっとも大切なことなのだ。
――先生、ちょっと不用意すぎるよ……。まあ、なんとなく、その辺の危機意識は薄い人だとは思っていたけれど……。
そう細川龍樹はあまりにも危機意識が希薄なのである。
彼はまだ気がついていない。ここが生徒にとっても教員にとっても外界から完全に隔絶された閉鎖空間であることを。
そしてそれが意味することを。
大多数の教員にとっても、そして思春期真っ盛りの女子生徒たちにとっても、この私立聖桜学園では圧倒的に若い男が不足している。
当然ながら女子校では若い男性教諭がたびたび生徒たちの憧れの的になることはある。が、ここではそこらの女子校とは比べものにならないほどに男が品不足を起こしているのだ。
ここは全寮制だ。
生徒たちは皆、休みの日を除いて学校の敷地から出ることはほとんどない。そうなると普通の女子校以上に若い男を見る機会は限られる。
そんな空間に若い男が一人入れば何が起こるかは想像するまでもない。
が、それ以上にこの学校で若い男が生徒たちを魅了する理由は、ここに通う生徒たちの多くが社長令嬢や政治家の娘であることにある。
基本的に彼女たちは家にいても厳しい監視下におかれて人間関係も制限される。当然ながら一般庶民の恋人を作ることなど許されないし、両親たちの政治の道具として嫁ぎ先すら決められるのだ。
この令和の時代に許嫁がいる生徒すらいる。
そんな厳しい抑圧の中で生きてきた生徒たちにとって、この監獄とも言える世間から隔絶された聖桜学園は逆に親の監視を逃れることができる自由な空間である。
ここには便利なものはないけれど、逆に親からの監視の目もない。
皮肉にもこの監獄は生徒たちの心を開放的にさせている。
そのことを新米教師である細川龍樹は知らないのだ。
若い男という存在が極端に品不足を起こしているこの場所にやってきた若い男を、親にすら結婚相手を決められて自由恋愛を禁じられた女子生とたちが見たらどう思うのかを。
桜田桃も親から恋愛を禁じられた女子生徒の一人である。
さすがに許嫁はまだいないが、国務大臣である父は現在、党内での勢力争いに躍起になっている。
少しでも多くの取り巻きを作っておきたい父にとって、人並み以上の容姿を持つ娘を政治の道具として利用することは容易に想像ができる。
現に、彼女の年の離れた姉二人はすでに党内の若手議員のもとに嫁いでいった。
間違いなく自分も同じ運命が待っているだろう。
政治ゲームに参加させられ好きでもない夫のために尽くす姉たちの姿を見て桃は絶望した。
逃げ場などないことはわかっていても一人の意志を持つ人間として自由な恋愛がしたい。
そんな彼女にとって決して上流階級ではないが、身近な存在で自分たちのことを第一に考えてくれる等身大の平凡なこの男は、どんな偉い大人たちよりも輝いて見えた。
――わかってる……わかってるよ……こんなの無駄な抵抗だって。
どうせ卒業をしたら今の鳥籠の中の自由なんて幻想だったと思い知らされる。
だけど、今だけは……今だけは自分の思うように生きたかった。
だからライバルたちには負けるわけにはいかない。当然ながら桃以外の女子生徒たちも桃と同じような境遇にあるのだ。
もしかしたらこれから龍樹を奪い合う醜い争いが起こるかも知れない。
だけど桃は引くつもりはなかった。それどころか彼女たちを出し抜いて龍樹の愛を独り占めするつもりである。
「わ、私……負けないから……」
そう決意を固めて改めて画像へと目を落とす。
奏に強引に唇を奪われながらも、その甘い蜜に溺れそうになる龍樹の表情を見るだけで桃の体は熱くなる。そして、その表情が別の女に向けられているという事実は彼女に嫉妬を抱かせ歪んだ興奮を目覚めさせる。
――私も先生のこんな表情を目の前で見たい……。頼りがいはあるけれどどこか頼りない先生のその表情……素敵……。
が、まさか深山奏がここまで早く行動を起こすとは想定外だった。
この決定的な写真を手に入れることができたという意味では彼女に感謝したいところだが、龍樹の気持ちが彼女に完全に向いてしまう前に手を打たなければならないのもまた事実だ。
――うかうかしていられない。
教師だからと言って油断はできない。教師といえども奏もまたこの隔絶した空間に生きる男に飢えた女性の一人でありライバルの一人なのである。
気を抜いていたら彼女に先を越される。が、焦ってはいけない。
ふぅ……と気持ちを落ち着けるように深呼吸をすると、彼女は足音を立てぬように女子寮へと戻っていくのであった。
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