第3話 残業
それから俺は行く教室行く教室で生徒たちに驚愕の目を向けられながら授業を進めることとなった。
どうやら俺が想像していた以上に私立聖桜学園に若い男性教諭がいるということは驚くべきことらしい。
普通の女子校ならまだしもここは全国の箱入り娘たちが集まる全寮制の女子校だ。
開放的な大自然に囲まれてはいるが、世間からは隔離された閉鎖空間といえなくもない。
そんな特殊な環境だからこそ、普通の女子校以上に俺という存在は奇異に見られるのかも知れない。
これで俺がイケメンなら女子生徒たちの憧れの的だったかもな……。
なんて思わなくもなかったが、幸か不幸か主観的に見て俺は地味な男だ。
当然ながら5歳以上年下の女の子を魅了するようなルックスではないので、精々驚かれるだけで済んでいることを幸運に思うべきだな。
まあ時間が解決してくれるだろう。気がつけば俺だって他の先生と同じような扱いを受けるようになるだろう。
そんなことを考えているうちにあっという間に放課後を迎えた。
あっという間の一日だったな……。
ほっと胸をなで下ろして2-Bの教室にある自分の机へと腰を下ろす。
あらかじめ何度も授業の予行練習はしてきたけれど、いざやってみると、生徒たちに上手く話が伝わっていなさそうなところもあったし、物事をわかりやすく伝えるって大変なんだなと感じる一日だった。
ノートを開くと、そこに生徒に上手く伝わっていなかったところや、こうすれば上手く伝わるのではないかという反省点を書き込んでいく。
まあ初日なのだからしょうがない。ここから試行錯誤しながら少しでも多くの生徒たちが授業を理解してくれるよう頑張ろうっ!!
待ってろよみんなっ!! 俺が必ずみんなを世に出ても恥ずかしくないような立派な大人にしてやるからなっ!!
闘志を燃やしながらひたすらノートに書き込みを続けていた俺……だったのだが。
ふいにガラガラと教室のドアが開く音がしたのでドアの方へと顔を向けると、なにやら教科書を胸に抱えた女子生徒の姿が見えた。
教室の窓から差し込む西日が女子生徒の体をオレンジ色に染めていた。
彼女は桜田桃だ。今朝、段ボールを運ぶのを手伝ったのもあり、現状、顔と名前が一致する数少ない生徒の一人である。
しかし、何事だろうか?
「ん? どうかしたのか?」
なんて声をかけると桜田はびくっと体を震わせてわずかに体を後退させた。
どうやらまだ慣れられていないようだ。
まあ、しょうがない。
極力笑顔を浮かべて桜田を見つめていると、彼女は「あ、あの……」と恐る恐るな感じで俺の元へと歩み寄ってきた。
「あ、あの……英語の授業で少しわからないところがあるので、先生に教えてもらいたいのですが……」
ということらしい。なるほど、それで英語の教科書を抱きかかえていたのだな?
わからないことがあれば先生に聞く。とてもよい心がけだ。
生徒の真面目さに少し嬉しくなり、俺はうっきうきで空いている机を指さし、彼女にそこに腰を下ろすよう促した。
「で、どこがわからないんだ?」
そう言って彼女の机の前に立つと彼女は少し動揺したように俺を見上げた。
ん? どうした?
なんて一瞬思ったが、さっき軽く声をかけただけでも後ずさりされたのだ。
目の前に立つと少々威圧感があるかもしれない。
ということで近くにあった机を桜田の机の真っ正面にぴったりとくっつけると、彼女の正面に腰を下ろして、できるだけ彼女と視線の高さを一緒にする。
こういう目線の高さ一つとっても相手に威圧感を与えかねないからな。俺としてもできるだけ生徒たちと同じ目線でいたいし。
そんな俺の配慮が実ったのか桜田は少し安心したようにわずかに微笑むと、教科書を開いた。
「ここなんですが……」
彼女の指さす場所を見やる。
「あ、あぁ……ここね。桜田は中学のときにSVOCの線を英文に引いたことは覚えてるか?」
「こういうやつですか?」
「そうそう。名詞の後に動詞がくっついているからわかりづらいけれど、この動詞は名詞の説明を……」
なんて桜田の疑問点をひとつひとつ解決していく。
こういう当たり前のことをわかっている前提で授業を進めていても、記憶から抜け落ちていることは多々あるのだ。
当たり前なのだけど今ひとつ理解できないようなことは恥ずかしがって誰かに聞かないのではなく、積極的に聞いて疑問を潰しておいた方が良い
ときには中学で学んだ英文法を復習しながら一時間ほど彼女に指導を行った。
その結果、彼女は徐々に読み解き方を理解し始めたようで、初めは緊張していた表情も徐々に緩みはじめ少し安心する。
「これでなんとなくは理解できたかな?」
「はい、先生は教え方がとてもお上手なので勉強していて楽しいです」
「それはよかったよ。けど、どの先生でも聞けばしっかりと教えてくれると思うぞ。わからないことがあれば、躊躇わずに積極的に質問をすればいいよ」
「はい」
なんて嬉しそうに返事をする桜田だったが、なにやら不意に表情を暗くして俺から目を逸らした。
「まだ、なにか不安なところがあるのか? なら、今のうちにその不安を解消しておこう」
そう尋ねてみるが彼女は首を横に振る。
「い、いえ……そうではありません……」
「ならどうしたんだ?」
そこで桜田はわずかに身を乗り出すように俺を見つめてきた。不意に顔が接近してやや動揺するも、彼女は構うことなく見つめてくる。
「ど、どうした?」
「わ、私、勉強を教えてくださり先生がとても優しい方だと理解しました」
「お、おう、ありがとな」
「ですが、他の子たちはなんというかその……まだ先生のことが怖いみたいで、私みたいに先生に話しかけることもできないみたいです」
ということらしい。どうやら彼女は俺が学校に馴染めるか心配してくれているようだ。
「私はみんなに先生がとても優しいお方だって理解してもらいたいです……」
「まあ、時間はかかるかもしれないけれど、徐々に慣れてもらえるよう頑張るよ。心配してくれてありがとな」
「…………」
なんて答えてみるが何やら桜田は俺から目を背けてしまう。
「なにか心配なことでもあるのか?」
「わ、私は先生が優しい方だと知っています。ですが、このままでは他の子たちは先生を誤解したままだと思います……」
「え? そ、そうなの?」
コクリとうなずく桜田。
それは非常にマズい。なにか自分に気づかないところで生徒たちに怖がられるような言動をしてしまっているのだろうか?
だとすれば早急に解決したい。
「先生、少し失礼なことを言ってもいいですか?」
「え? うん、いいよ。俺に気をつかう必要はない」
「で、ですが、こんなことを言ったら先生に嫌われそうで怖いです」
なんなのだろう。そんな言い方をされると怖いのだけれど……。
が、もしも俺の言動に問題があるのであれば勇気を持って聞いておかなければならない。
けど、その前に言っておくべきことがある。
「俺はお前を嫌いになることは絶対にない。だからもしも気になることがあるならなんでも言って欲しい」
俺が生徒を嫌いになることは絶対にない。
それだけは言っておく必要がある。
理想論だと言われるかもしれないけれど、たとえどんな問題を抱えた生徒でもできる限りその生徒に寄り添っていたいと思うし、少なくとも嫌いなんて感情を抱くことはありえないのだ。
そんな俺の言葉に桜田は少し安心してくれたようで再び俺と目を合わせてくれた。
そして、しばらくの沈黙の後に彼女は口を開く。
「せ、先生はあまり女性に慣れていないように思います……。それが生徒たちにバレているみたいです……」
「なっ…………」
そんな彼女の勇気ある言葉に俺は絶句せざるを得なかった。
そして俺には心当たりがありすぎた。
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