第2話 同僚

 ということでちょっとしたハプニングもあったが、俺は無事2-Bの教室へとたどり着くことができた。


 段ボールで両手が塞がっている俺の代わりにドアを開けてもらい、教室の中に入ると整列した机と、そこに腰を下ろす生徒たちの姿が視界に入った……のだが。


 俺の姿を見た瞬間、生徒たちは一様に目を見開いてわずかにざわついた。


 ん? どうした?


 そんな生徒たちの反応に一瞬驚いたが、すぐに彼女たちの動揺の理由を理解する。


 彼女たちの反応はさっきの桜田桃の反応と同じなのだ。


 当然ながら新しい担任の話は彼女たちの耳にも入っているとは思うが、桜田同様にこの学校に若い男がいることに驚いたのだろう。


 この反応だと、新しい担任が若い男だということも初耳の可能性もある。


 が、俺がこんな反応をされたのは二回目だったので動揺することはなかった。


 いや〜先に桜田と顔を合わせておいて良かった……。


 教室に入っていきなりこんな反応をされたら平常心でいられる自信がなかった。


 ということで、ざわつく生徒たちに特に反応をすることもなく教卓へとやってくると段ボールを足下に置いて生徒たちへと顔を向ける。


 その頃にはざわつきもすっかり落ち着き、約30名ほどの生徒たちは皆、膝に手を置いてピンと背筋を伸ばしたままこちらを見つめていた。


 なんというかすげえ光景だな……。


 それが俺が抱いた率直な感想である。


 これまで共学で育ってきた俺にとって、女子生徒しかいない教室というものはなんだか違和感があった。


 まあ女子校なのは知っていたし当たり前ではあるのだけれど、改めて自分の目で眺めるとなかなかに衝撃的な光景である。


 まあ、じきに慣れるさ。


 そう自分に言い聞かせてチョークを手に取った。


 彼女たちに背を向けると黒板にデカデカと自分の名前を書き再び生徒たちに顔を向ける。


 そして、バシッと黒板を手のひらで叩いてにっこりと笑みを浮かべた。


「俺の名前は細川龍樹だ。よろしくなっ!!」


 あぁ~最高~。


 そんなセリフを吐いて俺は悦に浸る。


 これこそ俺が教師になったら一度はやってみたいことだった。


 あ、自己満足だよ。完全なる自己満足なんだけどこれぐらいは許されるよね。


 俺は5秒間ほどささやかな自分の夢が叶ったことを噛みしめてから、ホームルームを始めるのであった。


※ ※ ※


 それから俺は簡単な自己紹介をしてから、何か気になることや不安なことがあったらなんでも聞いて欲しいこと、俺としてはみんなが楽しい学園生活を送れるよう死力を尽くすことを伝えた。


 後になって考えれば少々熱く熱弁しすぎた気がしなくもないが、まあそれはご愛敬である。


 俺には不良生徒と真正面からぶつかり合って彼らを更生させて立派な大人に育て上げるみたいな夢もあるのだけれど、なんというかうちのクラスの生徒たちは皆真面目そうだった。


 まあ、みんな真面目なのであればそれに越したことはない。


 子どもの頃に思い描いていた教師像とは少し違ったけれど、みんな真面目に俺の話を聞いてくれたし、見た感じ素直そうな子が多かったので少し安心した。


 ということで長いようで短かったホームルームが終わったところで教室を出た。


 俺の担当科目は英語だ。一時間目の授業はお休みで二時間目からA組で授業をする予定である。


 職員室に戻ろうと廊下を歩いていた俺だったがふと背後から「細川せんせっ!!」と声が聞こえてきたので足を止める。


 振り返るとスーツ姿の若い女性がこちらへと駆けてくるのが見えた。


 彼女の名前は深山奏みやまかなで、俺と同じ二年を受け持っている教員である。


 年齢は聞いていないがぱっとみは二〇代前半か半ばぐらいで、なんというかかなりの美人さんである。


 小さく手を振りながら愛らしい笑顔でこちらへと駆けてくる彼女の胸元はゆらゆらと揺れており、そんな姿に思わず顔を背けてしまう。


 いかんいかん。ここは学校だぞ……そういう邪な考えはよろしくない……。


 なんて必死に自分を律していると背けた顔を覗き込むように彼女が目の前に現れた。


「先生、ホームルームはどうでしたか?」

「え? あ、あぁ……」


 どうやら彼女は俺が上手くやれているのか気になって声をかけてくれたようだ。


 そういえばさっきの職員会議でも積極的に声をかけてくれたし、かなり面倒見のいい人なのかも知れない。


 ありがたいかぎりだ。


「特に問題もなくやれたと思います」


 あくまで俺の主観だけど……。


 そんな俺の言葉に彼女は安心したのか、ほっと自らの豊満な胸をなで下ろすと「よかったですね」と言ってくれた。


「ほら、細川先生はうちでは珍しい若い男性でしょ? だから、生徒たちがびっくりしないかなって心配だったんです」

「まあ、少しは驚いていたみたいですね……。ですが、みんな真面目に俺の話を聞いてくれましたし、素直な子ばかりで安心しました」

「そうですか。それはよかったですね」


 なんて相変わらずニコニコ笑顔を俺に向けてくる深山先生。


 が、ふと何かを思いだしたようにハッとした顔で「あ、そうだ」と口にする。


「どうかしたんですか?」

「すっかり忘れていましたっ!! 細川先生には2-Bのことでいろいろと引き継ぎがあるんです」

「引き継ぎ……ですか?」

「はい。一応私は生徒たちが一年のときから見ていますし、細川先生がスムーズに業務が行えるようにいくつか引き継いでおきたいことがあるので」


 ということらしい。


 なんとも心強い言葉である。


「ありがとうございますっ!! 是非是非お聞かせ願えればっ!!」

「今日の夜。お暇はありますか? 確か細川先生も寮組でしたよね?」

「え? あ、はい」

「私、今日の夕方は生徒指導の仕事で手が離せないんです。先生も寮にお住まいなら夜に先生のお部屋にお邪魔します」

「お、俺の部屋……ですか?」

「なにか問題でもありますか?」

「え? い、いや……別にないですけど……」


 とは答えたもののまさか部屋に来るなんて言われると思っていなかったのでやや面食らってしまう。


 え? 今晩深山先生が俺の部屋に来るの?


 と、困惑を隠せない俺に深山先生はクスッと笑みを漏らした。少し悪戯っぽい視線を向けてきた。


「先生ってば、もしかしてなにか変な想像してます?」

「い、いや、そういうわけじゃないですけど……」

「本当ですか~?」


 どうやら俺の心は見透かされているようだ。


 もちろん場所がどこであっても真面目に引き継ぎをしてもらうつもりではいるが、異性が自分の部屋に来ると聞いて全く意識をしないほど俺は人間としてできていない。


「深山先生ってけっこう意地悪なんですね……」


 なんて呆れたように返すと彼女はまたクスクスと笑った。


「ごめんね。あんまり反応が可愛かったから、からかいたくなっちゃいました。まあ、これから一緒に二年を受け持つわけですし親睦会の意味も含めて今晩は先生のお部屋にお邪魔しますね」


 そう言って彼女はポンと俺の肩を軽く叩くとどこかへと歩いて行った。


 ということで今晩は深山先生が俺の部屋に来るらしい。

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