突きつけられた現実

 そんなアランやリオン、ラフィを眺めていたニラムは、ふと感じた生温い風に反射的に身構える。


 背後から迫る風切り音に気づいたときには既に体は動いていて、上から降ってきた大きなを避けるために飛び退いていた。


 地面が大きく揺れ、土煙が周囲に吹き荒ぶ。

 瞳に砂が入らないように腕でガードしながらも、ニラムは衝撃の中心にいる人物を見定めるように目を細めた。


「あなたは……」


 そして視界の先に現れたのは、今朝見たばかりの顔。ニラムは驚愕の色を浮かべながらも、構えなおす。


 一方、襲撃をかけてきた人物――ラルガは音を立てながら拳を地面から引き抜くと、ゆらりと立ち上がって卑しい笑みを浮かべながらニラムを見やる。


「よぉ、さっきはよくもやってくれたなぁ」


「……ラルガさんでしたね。何かご用ですか?」


 足元に駆けてきたラフィが「ゔぅぅぅ」と唸りながら毛を逆立てる。そんな一人と一匹の様子に、ラルガは青筋を浮かべながら嗤った。


「ご用ですかぁ? ああ、そうだよ、夜警さんにはぜひともさっきの借りを返したいと思っててなぁ……」


 ラルガが思い切り足を踏み鳴らす。地面が揺れると同時に穴が空き、彼は空気を震わせる怒鳴り声で吠え立てた。


「よくも俺の顔に泥を塗ってくれたなぁ!!」


 常人であれば萎縮してしまうであろう威嚇。実際にアランは腰を抜かしてぺたりと尻もちをつき、町の人々もわずかに身を縮こませる。


 しかし、そんな中でもニラムやラフィ、リオンは呆れたような視線をラルガへ向けて言い放った。


「だからこーんな子どもに奇襲かぁ? 大の大人が情けねぇ」


「あなたがルールを守らないからいけないんですよ」


「わんっわんっ!!」


 畳みかけるように告げられた言葉に、ラルガは青筋を増やすと「テメェらの作ったルールなんざ知ったこっちゃねぇんだよ!!」と唾を飛ばしながら怒号を上げて駆けだした。


「とにかく一発殴らせろやぁ!!」


「っ……!!」


 振るわれた拳を避けようと両足に力を込めた瞬間、眼前で黒と白がはためいた。


 重量を感じる打音と共に大振りの拳が天を向く。唐突な闖入者に目を見開くラルガとニラムはそれに対して何のアクションも取ることができない。次の瞬間、ラルガの体がくの字に吹っ飛ぶ。


 地面に思いきり体を打ち付けることとなった大男を見ながら、彼をそんな目に合わせた闖入者――リオンは「あっぶねぇー」と呟きながら、自らの手のひらをヒラヒラさせた。


 一瞬の間を置いてニラムは、彼が自分に向けて振るわれた拳を上へと払い、ガラ空きになったラルガの脇腹にまっすぐ拳を打ち込んだのだろうと察した。


「リオンさん!?」


「退がってなニラム。ほら、今は武器も持ってないだろう?」


 頼もしい笑みを浮かべるリオンに、ニラムは慌てて声を上げる。


「で、でも私だって徒手格闘くらい」


「あー、うん。わかってる。わかってるけどよ」


 しかし、リオンは譲れないとばかりに僅かに剣呑な光を帯びた瞳をラルガへと向ける。


「これでも元サムライの端くれだからよ。仕える主ナナシの港をナメられたままなのは、我慢ならねぇんだわ」


 腰に差していた刀をニラムへ渡すと、リオンはパキポキと指を鳴らしラルガを見据える。

 アランはそんなリオンを見て、ニラムに震える声をかけた。


「お、おい、だめだ、やめさせないと、死んで――」


「大丈夫。リオンさんは負けないよ」


 座り込んだまま立てずにいる彼を守るように、ニラムは刀を抱えてその傍へと寄り添うと、震える手を握った。


「大丈夫」


「わんっ!」


 一方、リオンはニヤリと笑みを浮かべてファイティングポーズをとってみせる。


「そういうわけだ。最低限のルールってもんを叩き込んでやるから、まずは俺を倒してみろよ」


 得物であろう刀を預けて立ち塞がられたことで煽られたのか、ラルガは怒りと威嚇の笑みを浮かべて立ち上がった。


「そうかよ、ならお望み通り……っ!?」


 駆け出そうとしたラルガが目を見開く。

 リオンの姿が一瞬だけブレるとその場から消えていたのだ。

 姿を探して急いで周囲を見渡す。次の瞬間、側頭部に衝撃を受けてラルガは吹っ飛んだ。巨体が煉瓦造りの家の壁に叩きつけられ轟音を響かせる。


 アランはそれを見て目を見開いた。彼の瞳には、瞬きをする間にラルガの背後に回り込んだリオンが空中で回し蹴りを叩き込んだ姿がしっかりと映っていた。


 ラルガの立っていたところに着地したリオンは、右手をその場で軽く振る。


「ナナシの港のルールその1、みんなが集まる店での私闘及び、従業員への乱暴はいかなる陣営だったとしても禁止する。そしてその2だ」


 視線をラルガから外すことなく、リオンは構え直す。


夜警団のメンバーナナシの港の守護者にはいかなる陣営だろうと手を出してはならない。もし手を出そうものなら……」


「うるせぇ!! 夜警団がなんだってんだ!! そんなガキ一人――」


 リオンが続けようした言葉を遮るように飛び起きたラルガだったが、ふと薄寒いものを感じて息を呑む。


 次の瞬間、その首筋に冷たいものが当たっていることに気づいて、肌を粟立たせた。


 彼の背後には、黒いコートを纏った銀髪の女性が立っていた。彼女が手にしているリオンの刀とはまた違う歪曲した刃がぴったりとラルガの首に沿ってくっついている。少しでも動いたら首が切れるのだと、誰もがわかる状況だった。


「もしも手を出そうものなら、ナナシの港はいかなる陣営、いかなる勢力であろうと全霊を持ってこれを排除しにかかる。最初、島流しに遭ったお前を拾ったときに言い聞かせたはずだったんだけど?」


 銀髪の女性がそう言うと、路地裏からさらに同じ黒いコートを着た二人の男が現れる。

 空気が明らかに変わって、凍るような静寂が周囲を包み込む。


だ……」


 誰かが呟いた。

 リオンは片手で顔を覆いながら「あちゃー」と声を漏らす。


「ついに女王様のお出ましか」


 彼の言葉に、金髪の男が楽しそうな笑みを浮かべて前に出た。


「そういうことだ。悪いけど、こいつは夜霧の王が預かるわ」


 急展開の連続についていけてないのか、困惑するアランが思わず手を握り返しながらニラムを見上げる。彼の疑問の眼差しを受けて、ニラムは困った。


 夜霧の王――それは夜の国全体に根を張るとある組織の名前だ。今はこのナナシの港の郊外に存在するとある屋敷を拠点としている。


 彼らのお仕事はとてもじゃないが公にして言えるものではない。果たしてストレートに伝えて良いものか。


「えっと、なんて言ったらいいかなぁ……ナナシの港を根城にしてる……あー、うーん……用心棒集団的な」


 困ったように言葉を濁すニラムを他所に、ラフィが尻尾を振りながら銀髪の女性のもとへ駆けていく。足元で戯れてくるラフィに気づいた女性は二人の男にラルガを任せて、そのふわふわの毛並みを一撫でする。


 そして、持っていた剣を手のひらから、癖っ毛を揺らしながら近づいてきた。

 ラルガはというと、脇を固めているのは自分より細身の男二人だというのに震え上がっている。


 女性はラフィとともにニラムたち二人の前にやって来ると、膝を折って視線を合わせる。


「新入りか」


「ウルフェイスさん」


 女性――ウルフェイスがその黄金の瞳を柔らかく細めた。


「怖い思いをさせてすまなかったな。だが、ナナシの港のことを嫌いにならないでくれ。ここは危険も多いかもしれないが、たしかに良いところだから」


「そ、そんなの……」


「どちらにせよ、君はもう国には戻れない」


 気丈に振る舞おうとするアランに、ウルフェイスは穏やかに、しかし冷酷なまでの真実を突きつけた。


 細い喉が息をし損ねて、ヒュッと鳴る。愕然とする少年から視線を空に向けて、彼女は言った。


「腐って蹲って目を閉じたままか、目を開けて星を目指して自分の足で立ち上がるか。どう生きていくかは君次第だ」


 釣られてアランも空を見る。赤、青、黄、緑と無数の煌めきを放つ星々が世界を見下ろしている。


 ウルフェイスはもう言うことはないとばかりに立ち上がると、踵を返しながら二人の男へと告げた。


「行くぞ」


 女王の言葉に二人は「お騒がせしましたー」「失礼しますよ、皆様」と言葉を残すとラルガを連れて彼女の後ろを追いかける。


 その後ろ姿を見送ると、人々はホッと息を吐いた。まさしく嵐が過ぎ去ったかのごとき空気である。しかし、ウルフェイスから告げられた言葉にアランは俯いたまま、顔を上げられずにいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る