ツアーのはじまり

 まずは着替えである。今の彼が纏っているのは薄汚れたボロボロの服だ。体も汚い。そのままにしておくつもりはない。


 アランがリゾットを食べ終えるまでに、お風呂の準備をしておく。


 リゾットを食べ終わったアランを有無を言わさずにお風呂場に入れたニラムは、合いそうなサイズで尚且つ、自分が持っている服の中でも似合いそうな短いズボンとシャツというシンプルなものを着替えとして置いておく。


 もしかしたら逃げるかもしれないし、そうでなくても、わからないことがあったときに対応できるように扉前に待機した。


 本当ならば、リオンに頼みたいし本人もそれを申し出たが、あの相性の悪さはとてもじゃないが頼めそうにないため、ニラムは却下した。


 ぶすくれた彼は現在、洗い物の真っ最中である。

 ラフィをもふもふと撫でながら、扉の向こうの物音を確認。着替えまで終わった様子を見計らって声をかけた。


「着替え終わった?」


「と、とっくにできている!」


 聞こえてきた元気な返事に、一言断りを入れてから扉を開ける。


 ずっと尻尾を振っていたラフィが先に部屋に入って、どこか落ち着かない様子を見せるアランの足下を、まるで確認するようにぐるぐると回りはじめた。


 扉を開けた先にいたアランは先ほどよりずっと輝いていた。


 乾いてない濡れた金髪が光源であるランプの小さな焔に照らされて、天使の輪っかを作っている。まさしく絵本の王子様そのものである。

 ニラムは一瞬、息を呑んですぐにハッとしたように笑う。


「よかった、ピッタリだね!」


 ニラムが顔を輝かせれば、アランは自慢げに自らの前髪を掻き上げた。


「そうだな! 俺は何を着ても似合うからな!」


「うん、まるで王子様みたい!」


 キラキラとした眼差しで言ったニラムに、アランは僅かに目を瞬かせる。


「お、王子……?」


「うん。アランくんって、昔読んだ童話に出てくる王子様みたいだなーって」


 アランは頬を赤く染めて、「王子、王子」と呟いている。満更でもなさげなその態度にニラムがほわほわとした笑顔を浮かべていると、頭の上に重みを感じた。


 この重さは、と確認する前に茶化すような声が降ってくる。


「実態は生意気なクソガキだけどな」


「なんだと!?」


 美しい翡翠の眼を持つ瞳が釣り上がる。

 始まりそうになった喧嘩に、先手でストップをかけた。


「二人とも喧嘩しない!」


 幸いその一言で二人は唇を尖らせつつも、喧嘩を止める。

 ラフィが呆れたようにため息を吐いていた。

 ニラムも大人げないリオンやアランに肩を落としつつ、気を取り直す。


「それじゃあ、ナナシの港ツアーにレッツゴーだね! まずはどこに行こうかな?」


 ニラムの思案する言葉に、ラフィが真っ先に目を輝かせて飛びついてきた。


「わんわんっ!」


 これは……完全におねだりをする瞳だ。


「ラフィ……わかったよ」


 そういえば今日はまだ行ってなかったな、とニラムは頷いて握った拳を上に向ける。


「じゃあ、最初はお肉屋さんだね!」


「肉屋……?」


 何故、この国の良いところをと言い出したのに肉屋なのだろうとアランが訝しむ。

 何を考えたのか青い顔をし始めた彼の腕を掴み、引っ張る。


「レッツゴー!」


「お、おい、やめろ引っ張るな!」


 有無を言わさず連れて行く少女と、連れて行かれる少年の後ろ姿を眺めつつリオンは呆れたように、しかしどこか微笑ましそうな眼差しを向ける。


「はー……元気だな」


「わんっ!」


 ラフィも着いていき、三人と一匹はナナシの港へと繰り出した。

 案内という体だからか愛用のハルバードはお留守番。カンテラだけを持っていく。


 建物の壁に取り付けられたランプによって明るい町中でカンテラは必要ないのでは、と言われそうだが、それはそれ。これはこれである。


 町の人々は見慣れないアランに一瞬だけ奇異の目を向けるが、ニラムたちがそばにいることですぐに笑顔へ切り替え、気さくに声をかけ始めた。


「おー、ニラムちゃん。さっきはドタバタ忙しそうだったな」


「そいつは新入りか? 最近多いねぇ」


「はい。アランくんって言います」


 興味津々という様子の町の人々にアランを紹介する。緑の国の出身と言えば知ってる人がいたようで「ああ、あの国か」と頷いていた。


 多くの視線を向けられたアランは萎縮するかと思いきや、堂々と胸を張っている。

 そんなアランを見つつ、ニラムは財布を取り出すと果物屋のおじさんへと銀貨を一枚渡した。

 お肉屋の前に少しだけ寄り道だ。


「りんごくださいな!」


「はいよ。いくつ?」


「四つで!」


 ニラムが元気に答えればおじさんはニコニコと笑みを浮かべつつ五つのりんごを紙袋へ入れてくれる。


 数を間違えてるのではないかと、心配して視線を向ければおじさんはぱちんとウィンクをしてみせる。


「一個おまけだ」


 お礼も兼ねて、と言うおじさんにニラムは目を輝かせる。


「ありがとうございます!」


 紙袋を受け取ったニラムは二人と一匹へ向けて振り返る。


「みんなで食べよ! ここのりんご、すごく美味しいんだよ!」


「む……」


 怪訝そうな顔で、しかし差し出されたものを食べないという選択肢を取ることはなく、アランは一口だけりんごを齧ってみた。


 その表情が再びキラキラと星を瞬かせる。


「甘くて、美味しい……!」


「でしょ?」


 胸を張って笑いかけるニラムの言葉にこくこくと頷きながら二口、三口とりんごを頬張ったアランは、ふと後ろを振り返る。


 ニヤニヤとどこか勝ち誇った顔をしながらりんごを手にしたリオンの視線。それに気づき、ハッとしたように彼はりんごから口を離した。


「……み、緑の国のりんごの方が美味しいと思うがな! これは酸っぱすぎる!」


 意地っ張りな言葉を口にするアランに、おじさんは彼の背後の顔と同じようにニヤニヤとして、意地の悪い言葉をぶつけた。


「ほー? 言うじゃねぇかこのクソガキ。あんな甘いだけの菓子みてぇなりんごより、うちの酸味と甘みのハーモニー奏でるりんごの方が美味いに決まってんだろうが」


「いいや、緑の国のりんごが美味い!」


「あー、喧嘩しないで喧嘩しないで!」


 対抗して声を張り上げるアランとおじさんの間に慌てて割って入る。

 すると、おじさんは腹を抱えて大きく笑った。


「くっ、はっはっは! 良いねぇ、言うねぇ。自分の国が大好きでたまらないってか? 好きだぜそういうの」


 おじさんはさらに大きな袋を出すと、それにたくさんのりんごを入れてアランに押し付けた。


「傷もんだがまだまだ食えるやつだ。パイにすると美味いぞー? ほら、持ってけ」


「こ、こんなにいらない! 食べきれるわけがないだろう!」


「その割にはしっかり持ってんじゃねぇか」


 リオンがりんごの芯をラフィに差し出しながら笑う。ラフィも差し出された芯をしゃくしゃく食べながら、リオンを見上げた。


 生温かい視線に晒されて、アランはたちまち顔を赤くした。

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