追放された令息

 夜麦をミルクで煮込んだリゾットがホカホカと湯気を立てている。部屋中に充満した優しい甘さが扉を開けた瞬間、鼻腔に飛び込んできてアランの腹の虫がぐぅぅと音を立てた。


「食べていいよ?」


 席に着いたはいいが、警戒したようにいまだスプーンを手にしただけで動かないアランに食べるように促す。それでも怪訝そうな顔で食べないため、ニラムは自分の分をよそって見せつけるようにリゾットを口にした。


「美味しいよ。ほら」


「う……」


 毒のようなものは入ってないと理解したのか、すんすんと匂いを嗅いで息を吹きかけて冷ます。

 ごくりと生唾を飲み込んで、意を決したようにリゾットを一口食べた。


 影に覆われていた顔にパッと光が差す。


「……おい、しい」


 思わずといった様子で零れ落ちた言葉に、ニラムは顔を綻ばせてリオンを見上げた。リオンは肩を竦めてやれやれと首を緩く振ってみせる。


「よかった」


「おかわりならあるから、ゆっくり食べろ」


「う、うぅ」


 大粒の涙をポロポロとこぼしながら、アランはリゾットを胃の中へ流し込んでいく。

 すぐに皿は空になり、おずおずと皿をリオンへと差し出した。


 それを受け取ったリオンは鍋からリゾットを皿いっぱいによそって、目の前に置く。

 アランのスプーンの勢いは止まることがなく、リゾットの皿はたちまち空になった。


 その食べっぷりを見たラフィが吠えながらニラムの足にまとわりつく。


「わんっわんっ!」


「え、ラフィもほしいの?」


 キラキラと期待の瞳を向けてくる愛犬に「うぅん」と悩むニラムは少しして頷く。

 そんなに食べたいのなら、しかたない。我慢ばかりもよくないと思うし


「食べ過ぎは良くないし……私の分、半分あげるね」


「わんっ!!」


 嬉しそうに尻尾をぶんぶん振るラフィにおすわりをさせる。

 その横顔を見つめるアランに、リオンが問いかけた。


「あの子のことがまだ罪人に思えるか?」


「ま、まだわからないだろう」


 戸惑ったように視線をさ迷わせながら、それでもアランは強情にそっぽを向いた。

 それを見て、苛立ちを隠さないリオンが鋭い眼光を向ける。一触即発の空気に、ニラムは慌てて割って入った。


「ア、アランくんはどこの国から来たの?」


 明らかにわざと逸らされた話題に双方、憮然とした表情を浮かべながら、しかしアランは渋々と言った様子で答えた。


「……緑の国だ」


 初めて聞く国の名前にニラムの目がわずかに輝く。


「へぇぇ……! 緑の国って初めて聞くなぁ。どんな国なの?」


「な、なぜお前に話さなければならないんだ!」


 両手で拳を作って迫ってきたニラムに、戸惑ったようにアランが叫ぶ。その大きな声にも怯むことなく、ニラムは小首を傾げつつも満面の笑顔で答えた。


「気になるから!」


 だから教えてほしいという少女の声に、アランは呆気に取られつつ毒気を抜かれたのか肩を落とした。


「……緑の国は、その名の通り空飛ぶ花や天を貫く樹木など、他国にはない珍しい植物が生えている美しい国だ」


「お花が空飛ぶの? すごい!」


 賞賛の言葉が飛び出してきた瞬間、アランの瞳もわずかに輝く。その様は曇っていた空が僅かに晴れて星が瞬いたようだった。


「そ、そうだ。それはそれは美しい、生きた花があるんだぞ」


「へぇぇ……!」


 他にも年に一度、王都では大規模な花飾りの大会があるなど、アランの口からはすらすらと故郷の緑の国自慢が滑り出してくる。


「我がガーランド家はそんな生きた花の栽培も……担って……」


 しかし、彼の故郷自慢は自らの家の話になった瞬間、萎んでいった。晴れたはずの空がたちまち雲に覆われていく。


「アランくん?」


「……なぜ、なぜなのだ父上、母上……」


 泣きそうなのを必死に堪えるような声音で絞り出された言葉を聞いて、リオンは目を細めた。


「……察するに、貴族がヘマやって一族郎党、首飛んだってとこか」


 推測は当たっていたらしく、アランはぐっと顔を持ち上げて吊り上がった瞳でリオンを睨め付ける。


「うるさい!! 我がガーランド家は、誇り高い緑の守り人なんだ!! こんな夜の明けない罪人の国じゃなく、青空の下にいるべき人間なんだ!!」


「テメェ……それ以上言うなら……」


「ストーップ!!」


 二人のことを止めたのはニラムだった。


「喧嘩はいけません! ご飯は楽しく食べなきゃ!」


 そう言って、少女は一つの器を差し出した。


「はい、クッキー! 食べて仲直りしてください」


「……わかったよ」


「な、なぜ俺が仲直りなんて」


「仲直り、して、ください」


 はい、と器から取り出したクッキーを差し出しながら、少女が圧をかける。その圧を受けて、少年は渋々といった様子でクッキーを口に入れた。

 さくさくとクッキーを食す少年の瞳が再びパッと輝く。


「お、美味しい……」


 小さく呟いたアランは、反射的に手をクッキーの器に伸ばしていた。

 ひたすらにクッキーを口の中に頬張っていく光景を、まるでリスのようだなと思いながらニラムは笑った。


「よかった!」


 そしてすぐに真面目な顔になる。


「あのね、アランくん。夜の国は確かに昔、罪を犯して朝が来なくなっちゃった。けど、それでも、この国の人たちは一生懸命に生きてて、その中には良い人も悪い人もいっぱいいる。綺麗なところもたくさんある」


 アランが顔を上げた。リオンも、ラフィも語り出した少女を見つめる。

 ニラムはポカポカしてくる胸を抑えながら、慈愛に満ちた眼差しを窓の外に向けた。


「だからね、できればだけど、嫌いなところだけじゃなくて夜の国の綺麗なところや良いところを知ってほしいなって思うんだ」


「この国の、良いところだと?」


 訝し気な口調で、しかし先ほどとは違っていくらかトゲの抜けた声音でアランは問いかける。

 ニラムは力強く頷いた。


「うん! アランくんは覚えてないかもしれないけど、あなたが倒れる前にすごくキレイなお花畑が見えたと思うんだ」


「すごくキレイな……」


「あれは月神の花って言って、夜の国にしか生えてないんだって。他にもたくさん、この国にしかないものってあるらしくて。だから、それを知って罪人だけの国じゃないって知ってほしい」


 振り返って花の咲き誇るような笑顔を向けた少女に、アランは頬を赤くしながらそっぽを向いた。


「……や、やれるものならやってみろ」


「うん!」


 挑戦的な言葉に嬉しそうに返す少女。

 傍から見れば勝敗は決まっているようなものだったが、ニラムとしてはまったくそんなつもりはない。


 これからアランにたくさん、夜の国の良いところを教えようと、小さな手をぎゅっと握って拳を作った。

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