少年と少女

 なんだなんだと寄ってくる人々に「ごめんなさい」と断りを入れつつ、家へと走る。


 夜警団という看板を掲げただけのごくごく一般的な家と同じ外観をした我が家に着いたら、鍵を開けて二階への階段を駆け上る。


 そのまま掃除を欠かしていない空き部屋に飛び込んで少年をベッドへ寝かせた。

 体が随分と冷えてしまっている。即席の湯たんぽとしてラフィに一緒に布団に入ってもらうことにした。


「リオンさん、スープとか作ってもらっていいですか? これ使っていいので」


 ニラムは少年から視線を逸らさずに言って財布を渡した。リオンは少し驚いた顔をしつつ、それを受け取る。


「いいのか? 俺はダメ大人なんだぜ?」


 自分がどう思われてるのかを知っているのかと、問いかける声には戸惑いも含まれている。

 当然とばかりにニラムはこくりと頷いた。


「はい。だってこういうときのリオンさんはちゃんと真面目でしょう?」


 その横顔が浮かべる微笑みに満ちていたのは、信頼の二文字だ。

 それを読み取ったリオンは肩を竦めて笑うと、大切そうに財布を握りしめた。


「……はー、夜警さんにはかなわねぇな」


 くるりと背を向けて、片手を上げながら部屋の扉を開ける。ニラムもその背中を追って振り返った。


「じゃあ、胃に優しいもの作って来てやるよ。お前はそいつのそばにいてやりな」


「お願いします」


 ぱたんと扉が閉まったのを見届けて、ニラムはありがたく少年と向き合う。この辺りじゃあまり見ない透き通るような金髪は埃に塗れていても美しく見えた。


「王子様みたい……」


 かつて父に読んでもらったお伽話の登場人物を思い出しつつ、少年を看病する。熱はないようだが油断はできない。そうだ、起きたらすぐに水を飲んでもらわねば。


「星神様、月神様……そして太陽神様、どうかこの子をお救いください」


 小さな瘦せ細った手を握り、空の神々へと祈りを捧げる。

 とにかく意識が戻るまで待つことしかできない。

 どれだけの時間が経っただろう。不安と懇願に苛まれていると、ふと少年の青い顔に紅が差した。


 少しは温まったのだろう。ほっと胸をなでおろしたニラムの前で、少年の瞼がわずかに震えた。

 これは意識が戻るかとジッと見つめていると、やがてゆっくりと少年は目を開けた。


「起きた……!」


 ニラムの声に、少年はどこか驚いたように目を丸くすると、すぐにギョッとした様子で忙しなく視線を動かして周囲を見渡す。

 警戒心を孕んだ少年を刺激しないように努めて優しい声で、ニラムは話しかけた。


「大丈夫? あなたお花畑で倒れ――」


 言葉を遮るかのように、少年が勢いよく上体を起こして構える。

 きょとんとした少女をぎろりと睨め付け、彼は警戒を露わにして声高く咆えた。


「お、お前は誰だ!?」


「え? ニラム・シェーネパウク、ですけど……」


 突然のことに戸惑いつつも、首を傾げて問われた通りに答える。

 それに少年もまた訝しげな視線を向け返し、そしてすぐに顔を歪めた。


「ニラム……? くっ」


 いきなり起き上がったことで立ちくらみを起こしたのだろう。ベッドの上で倒れそうになる体をとっさに支える。


「あ、動いちゃだめだよ。今お水持ってくるね」


「い、いらない! はなせ! この俺が罪人の施しなど受けるものか!」


「罪人?」


 ニラムの気遣いを跳ね除けて、少年はギリギリと歯を軋ませながらこちらを睨みつけてくる。


「夜の国は汚らわしい罪人の国だろう! それくらい知っている!」


「え? え?」


 なぜそう言われるのかわからず、ニラムは目をぱちぱちと瞬かせて思い出した。


 夜の国。かつて太陽神を殺して朝を失ったこの国は、他国の神々から罪人の国と称された。

 だからこそ、この国には他国から島流しされた者たちが多くやってくるのだ。


 だが、だからといって、今の言葉は聞き捨てならないとニラムが声をあげようとした瞬間。


「ゔるるるるる……! わんっわんっ!!」


「うわっ!? な、なんだこの、やめろ!」


 湯たんぽ代わりとなっていたラフィが唸り、少年に飛びかかる。

 少年はのしかかってきたラフィを退けようとするが、怒れるラフィはどんなに暴れても唸りながら少年を押さえつける。


 そんな愛犬を止めようとニラムは声を上げた。


「ラフィ!」


 その瞬間、ひょいとラフィの体が宙に浮く。


「罪人はテメェもだろうがクソ坊主」


 後ろから伸びて来た腕に驚きつつ振り返れば、不快そうに顔を歪めたリオンが唸るラフィを抱えながら、愛犬の怒りを代弁するように険しい顔をしていた。


 明らかに怒っている。


 普段はヘラヘラとしたリオンが怒ったところなど見たことがないニラムは、その姿に戸惑った。


「リ、リオンさん」


「いや、助けてもらっておいて礼の一つも言えねぇなら罪人以下か?」


 冷え冷えとした声が少年に降り注ぐ。雨どころか雪にも似た非難の声に怯みつつも少年も負けじと叫んだ。


「な、なんだお前は!」


「ニラムはもとからこの国に住んでたやつだ。罪人なんかじゃない」


「うるさい! 知ってるぞ! この国の人間は太陽神を殺したことで罰を受けた罪人の末裔だ!」


「そんな大昔のことは知らねぇよ。ニラムは一度だって罪を犯したことはねぇ。下手な偏見で失礼なことばっか言うなら、お望み通り今すぐ放り出して――」


 どうだ、認めるしかあるまいとどこか自慢げな勝ちを確信した少年の表情を、リオンは鼻で笑って一蹴する。

 そのまま少年の首へ手を伸ばした腕を、我に返ったニラムが抑えた。


「だ、ダメですって! このまま放っておいたら本当に死んじゃいます! ラフィも吠えちゃダメ!」


「おいおい……」


「わふぅ」


 どれだけ酷いことを言われたかわかっているのだろうかという視線は、ニラムの真っ直ぐな視線で打ち消された。

 この港の住人とは思えないくらいお人好しの少女に、一人と一匹が肩をすくめる。

 そんな彼らをスルーして、ニラムは少年と向き合った。


「ごめんね。とりあえず、目が覚めてよかった。お名前は?」


 悪意のない慈愛に満ちた笑顔を向けられた少年は少し驚いたような表情を見せつつも、変わらず警戒しながら答えた。


「……アラン」


「年は?」


「十二歳……」


「わ、同い年だね! 私はニラムです。よければご飯だけでも食べてってね?」


 また施しは受けないと言われてしまうだろうか。心配する裏腹で、彼のお腹は正直だった。


 ぐぅぅぅぅと盛大に虫が鳴る。


 みるみる顔を真っ赤にして俯いたアランは悔しそうに顔を歪めつつも、迫る空腹には勝てないのかこくりと一つ頷いた。

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