ナナシの港の人々

 町はいつも通り、店を開けるために起きだした人々を月明かりと外灯が照らし出していた。

 平らに舗装された地面には商品の入っているであろう木箱が積み上がり、露店の準備が行われている。


 そんな中、各々の仕事に向き合っていた住人たちは、ニラムたちの姿を見つけると一斉に声をかけ始めた。


「おお、ニラムちゃん! パトロールか?」


「ニラムちゃん、美味しいリンゴが入ったんだ。一つどうだい?」


「新鮮な魚もあるぞー」


「わん!!」


「こら、ラフィ。ごめんなさい、パトロール始めたばかりだから、あとで買いに来ますね!」


 食べ物の名前にラフィが反応し、駆け寄ろうとする。ニラムはそんなラフィを制しつつ、次々と繰り出される誘いを慣れたように笑顔で断っていった。


 それに残念そうな表情を見せる者もいれば「仕事熱心だねぇ」と微笑みを浮かべる者もいて、反応はそれぞれだが、不快といった表情を見せる者は誰一人としていない。


 ちょっと怖いけれど、本質は優しい町の人々がニラムは大好きだ。


 一方のリオンはそれを暖かな視線で眺めながら「人徳だねぇ」と呟く。

 そんな彼の呟きを聞いた男の一人がニヤニヤと笑みを浮かべて近づいていった。


「リオンも普段の行いが良けりゃあ、相応の反応がもらえるんじゃねぇか?」


「俺の行いのどこが悪いんだよ」


 全力で不満ですというオーラを出して問うたリオンに、すかさず町の人々が突っ込みを入れ始める。


「聞いたぜ? 先日、賭けに大負けしたんだろ。しかもその支払いを雇い主に押し付けたとか」


「おっかねぇなぁ、お前が支払いを押し付けたのってジャック・オ・キングだろ?」


「うんうん。よく生きてるどころか普通に出歩けてるな」


 ニラムはその単語が聞こえた瞬間、ギョッとしてリオンに駆け寄った。


「ジャック・オ・キングって……この町最大のギャングじゃないですか! そんなところに迷惑かけたんですか!?」


 ぐっと言葉に詰まっているリオンにトドメとも言える一言を突き刺す。

 それに対して、しどろもどろという様子でリオンは言葉を濁しつつ、言い訳をしようとしている。


「つ、つい酒に酔って……」


「ジャックさんたち、よく許してくれましたね……」


 ジトーッとした視線を向けるニラムだったが、一方のリオンはふっと微笑むと何が誇らしいのか胸を張る。


「そうなんだよ。キングが別に良いって言ってくれてな……クビにはなったけど。ま、これこそ人徳ってやつだろ」


「何も褒めてないし、たぶんそれ人徳じゃなくてジャックさんの気まぐれだと思います」


 一歩間違えば斬り殺されていましたよ。

 スパッと切り捨てるニラムに、リオンは張っていた胸をぐっと抑えることになる。


 そんなダメな大人を見上げつつ、ニラムは愛犬とともに揃ってため息を吐いた。


「あのですね、賭けは百歩譲っていいけど、なんでそんなに大負けしたら大変なことになるってわかるような額まで賭けちゃうんですか」


「い、いやぁ……その場の熱、と言いますか……」


 なおも言い逃れをしようとするリオンを見た町の人が、口々にニラムに囁き出す。


「ニラムちゃん、悪いこと言わんから、そろそろこいつから離れた方がいいぞ」


「自分よりはるかに年下に縋り付くとか、みっともなさすぎるだろ」


「ぐぅぅ! お前らだってこの間、賭けに負けて奥さんに小遣いしばらく抜きにされてんじゃねぇか! 知ってんだぞ!」


 仕返しとばかりに叫ぶリオンから、サッと男たちは視線を逸らす。

 結局、みんなダメな大人たちである。ニラムは自分より高いところにある顔ぶれを呆れたような目で見回して、再びため息を吐いた。


「……とりあえず、リオンさんは元手が手に入ったとしても、しばらく賭け事禁止で。もしやったらお仕置きします」


「んなっ!? や、夜警が個人の娯楽に干渉するのかよ!?」


「今は私のお手伝いなんだから、夜警団の一員とみなします! 問題行動したら許しませんからね!!」


 横暴だと叫ぶダメな大人リオンの抗議を、ニラムはピシャリと跳ね除けた。それでも不満そうなリオンを見て、仕方ないなとやる気の出る一言を告げることにする。


「あ、ちゃんと手伝ってくれたら報酬も――」

「誠心誠意、勤めさせていただきます」


 報酬をちらつかせた瞬間、片膝をついて騎士のポーズでキリッとした表情を見せるリオンに、大人たちは思わず「うわぁ」と声を漏らした。


「おい、こいつプライド捨てたぞ」


「わっふぅ……」


 ラフィにすら呆れられてるリオンにドン引きしつつ、大人たちは同情したようにニラムを見やる。一点に集中した視線を受けつつ、ニラムは少し悩んだ。


 まあ、たしかにリオンはダメな大人だと思う。だが、やる時はしっかりやる良いところもある。だからそれで差引ゼロ……いや、やっぱりマイナスかもしれない。


 彼女が少しばかり自信をなくした、そのときのことだった。


「おおい! 夜警さん!! 大変だ!!」


 自身を呼ぶ声に反射的に顔を持ち上げて見れば、汗を流しながらひぃひぃと息を荒げて走ってくる男性。只事ではなさそうだと、すぐさま一人の少女から夜警へと意識のスイッチを切り替えて、息を整えている男性へと問いかけた。


「どうしました?」


 ニラムの問いかけに、彼は自らの来た道を差し示しながら訴える。


夜鴎亭よるかもめていで新入りが暴れてんだよ! それで!」


 弾かれたようにニラムとリオンは顔を見合わせた。


「夜鴎亭って……」「おばさんの店!」


 ハルバードを担いだ少女が突風のように道を駆け抜ける。

 夜鴎亭とは、先ほど二人の会話で出てきたメリーおばさんの店だ。最近、困った客が出入りしていると聞いてはいたが、こんなにも早く騒ぎが起こるとは。


 急行する少女においていかれる形となったリオンとラフィは、慌ててその小さな後姿を追いかけていく。

 後ろから聞こえる「頑張れよー!」という町の人々の激励が、彼らの背を押していた。

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