ワイヤーとピストル

※未成年の飲酒に関する描写などが含まれていますが、その行為を容認・推奨するものではありません。



 その日はSと駅で待ち合わせをしていた。俺の方が1時間ほど先に着いたので時間を潰すことにした。

紀伊国屋書店で適当な文庫でも買おうと思ったところ、音楽雑誌のコーナーで体が硬直した。
表紙を飾っている強面の3人組に吸い寄せられるように雑誌を手にすると驚愕の特集が組まれていた。

すぐにレジで会計を済ませる。手提げ袋を断って、そのまま駅前のドトールに駆け込んだ。


 うっすらとタバコの煙が立ちこめている店内。

女性の店員にオレンジジュースを注文して勘定を支払う。

グラスを受け取って一番奥の席で腰を落ち着ける。
目当てのライブレポートのページはすぐに見つかった。



 ”Blankey Jet City、12年ぶりの復活ライブ!熱気に包まれた特別な1日”


 2012年3月17日に横浜アリーナで一夜限りのワンマンライブ「Saturday Night at Dance Hall」が開催された。

Blankey Jet Cityの伝説の解散ライブから12年。一度も公の場に現れることのなかった3人組が再び集結した。


 3月の中旬の土曜日の夜。春の訪れを感じさせるうららかな宵の口。

寒すぎず暑くもない適度な気温の新横浜駅周辺は、異様な熱気で包まれていた。

鈍く光るシルバー・アクセサリとライダース・ジャケット。あるいはピッタリとしたレザーパンツにデニム・ジャケットを羽織った男性が、そこかしこにうろついている。
その大半は瓶ビールを片手に往来を睥睨していたり、よく躾けられた猛獣のような大型のバイクに跨ってタバコをふかしたりしていた。

ブランキージェットシティの再結成ライブの開場を待っている人間たちだ。


 不測の事態を警戒した運営側が予定より30分早く誘導を開始し、それぞれがチケットを手に横浜アリーナの客席へと足を向けた。

よくよく観察してみると小さな子供の手を引いている若い夫婦や大学生風の数人組、いかにもギターギークな楽器店員に違いない人々の姿もあった。やや攻撃的なファッションに身を包んだ若い女性たちも(ごく少数ながら)目にすることができた。


 筆者の関係者席からは全ての座席を見渡すことは難しかったが、全席ソールドアウトした会場は完全に満員だ。

おそらく会場の外にはチケットを手にいれることができなかった人々がたくさん待機しているはずだ。

控えめな音量でストレイ・キャッツやボブ・ディランのサウンドが会場に流れている。
ステージ上では演奏される機材の最後のチェックがスタッフの手で行われている。

数々のライブレポートを入稿してきたと自負する筆者だが、いつもとは違う個人的な胸の高鳴りを抑えることができなかった。

何度か深呼吸をして昂る気を鎮める。会場で購入したぬるいビールで喉を潤す。


 唐突に会場の明かりが消えて、ほとんど反射的に観客から熱狂的な歓声が沸き上がる。

激しくストロボが点滅する中、ブランキーのメンバーがひとりずつステージに姿を現した。


 中村達也(Dr)が軽い足取りでドラムまで闊歩する。剥き出しの腕に派手なタトゥ。

第一印象は危険な香りを漂わせる男だが、俳優らしく優雅で気品さえ感じさせる足取りだ。


 続いて照井利幸(Ba)が鷹揚な佇まいで開場を一瞥し、フェンダーのプレシジョン・ベースを手に取る。

クルーネックのシャツに綿のジャケットを合わせ、同系色のハットを被っている。紳士的でシックな出立ち。


 最後に浅井健一(Vo,Gt)が颯爽とその姿を現す。既に最高温度に達していた会場の熱気がさらに加熱される。

黒のライダース・ジャケットを完璧に着こなすことにおいてベンジーの右に出る者はいないかもしれない。

日本のロック史上、もっともアイコニックな1964年製のグレッチ・テネシアンをその手に掲げる。


 再び会場の明かりが消えて一瞬の静寂。真夜中の海面を照らす月明かりのように優しい白い光がステージを包み込む。

清浄な空間的広がりを感じさせるギター・リフが奏でられる。「いちご水」が1曲目?手にしている関係者用のセットリストには「Baby Baby」と記されていた。直前で変更があったのかもしれない。あるいはあらかじめ知らされた予定調和のライブ・パフォーマンスを行う気は最初からなかったのかもしれない。筆者はよく訓練された職業的な正常な思考回路を既に失っていた。


 浅井の歌声とギターに折り重なるようにバンドアンサンブルが重厚さを増していく。

焼き切れた思考回路で僅かに記憶していることは「これほど再結成ライブの幕開けに相応しい曲ってないよな」ということだけだった。


 「ロメオ」「3104丁目〜」「ガソリンの揺れ方」と立て続けにアップテンポなナンバーで会場を盛り上げていく。

筆者の記憶が正しければ2曲目の開始時点で、関係者席のパイプ椅子の半分は蹴り倒されていたと思う。

立ち上がって両手を振り上げて、訳のわからないことを叫ぶ。問答無用でロック魂に火をつけるモンスターバンドの姿がそこにはあった。


 セットリスト(※本稿の最終ページに掲載)は明らかに解散ライブ「Last Dance」を意識しているものだが、勢いと熱はそれを上回っていた。それでいてどこか冷静で俯瞰的な3人の姿があり、超越的な懐の深いサウンドが脳震盪を起こさせる。

筆者は夢を見ているのだろうか?いや、これは紛れもない現実だ。


 ふと周りを見渡すと、いくつかの柵は押し倒されていて、警備のスタッフが修繕にあたっている。別のスタッフは失神した観客たちを介抱している。
ステージの上ではメンバーがにこやかに語り合っていながら水分補給。


「今日は来てくれてありがとうね。3人でステージに立つのは久しぶりだけど楽しくやろうよ」


そのように浅井は語りかけ、観客は声援で応える。


「去年の3月にさ、震災があった。それからよくないことも色々と起こった。」

「それについてはみんな思うことはある。

 今できることをさ、俺たちは精一杯やろうよ」


言葉は少なく、凝縮された色々な思いが詰まった短いMCが終わる。


 それまでステージを後ろから照らしていた真紅の照明が一転して深い青に切り替わる。

浅井が12弦のアコースティック・ギターを抱えて、諭すように歌い出す。


     僕は時々想う

     この世界で一番幸せな人を


 同じ曲でも違うセットリスト、異なる会場や日程によってがらりと表情を変えることがある。

まるで何気ないセンテンスが別の文脈に置かれることによって、新しい意味が浮かび上がるみたいに。

ぼんやりとした夢うつつの頭でそのようなことを感じた。


 続く「Sweet Days」と「ダンデライオン」でピースフルな雰囲気で120%の満足感を観客に与えたまま3人はステージを後にした。

ここでパフォーマンスが終わったとしても、このまま何万字でも原稿を書き続けることはできただろう。

しかしこの土曜日の夜の宴は、ここからが本番だった。


 熱烈なアンコールに5分と経たず応えて再び3人はステージに姿を現した。

浅井はギブソンのスーパージャンボに、照井はヤマハのエレクトリック・アップライトベースに持ち替えての登場だ。


 しっとりとしたバラードで始まるかと思いきや「ディズニーランドへ」というダークなアップテンポなナンバーで幕を開けた。
意表を突かれた(と思う)観客たちはすぐにボルテージを上げていく。

浅井はジャズマスターに、照井はムスタング・ベースに素早く楽器を持ち替える。

続いて演奏されたのは浅井がソロ名義になってから発表された楽曲だ。攻撃的なアレンジで歌詞もアグレッシヴな響きを伴って聴く者の耳まで届いた。


 MCではメンバー同士のリラックスした掛け合いが会場をしばし和やかな空気で満たした。

解散したロック・バンドもこうして時を隔ててまた一つになることができる。

それは御伽話のようなものかもしれない。

だがたとえそれがファンタジーであったとしても、この世界に生きる人にとって力になれないとどうして言えるだろうか?

アンコール最後に演奏された浅井ソロ名義曲の「Pola Rola」にそのような思いを感じ取った。


 浅井と照井がステージを退場してステージに1人残った中村がソウルフルなドラム・ソロを披露。エモーショナルでパワフルなドラム捌きが持ち味だったが円熟味を増していた。

深みとストーリー性を感じさせるビート。深層意識から本能を立ち上がらせるようなリズム。まるで太古の生き物を呼び覚ますいにしえの呪文のようだ。


息を継ぐ間もなく浅井と照井の2人が加わり、中村のカウントで楽曲が始まる。

「Baby Baby」はライブ以外は音源化されていない定番曲だ。待ちに待ったナンバーを満を持して叩きつけるようにブランキージェットシティは演奏していく。
(そんなことがあり得ればの話だが)会場の温度と歓声はさらに限界突破していた。

「SALINGER」と浅井のソロ名義「WAY」を立て続けに披露。


「次会うときまでみんな元気で」


 そう言い残して最後の楽曲「赤いタンバリン」をアップテンポで激しく歌い上げる。

うねりがありながらエッジの効いたベース。手数が大幅に追加されつつも繊細なドラムス。

そして叙情的でハートフルなギターソロ。

3人の魂が裸でぶつかり合い、渾然一体となって個の総和を超える奇跡的なサウンドを生み出す。

これぞ我々が求めている本物のロック・バンドの姿だ。

鳴り止まない拍手と声援に手を振って離れていくメンバーを脳裏に焼き付けながら、筆者もおなじようにいつまでも声を枯らして叫び続けていた。



ーセットリストー

01.いちご水

02.ロメオ

03.3104丁目のDANCE HALLに足を向けろ

04.ガソリンの揺れ方

05.Sea Side Jet City

06.Punky Bad Hip

07.D.I.J.のピストル

ーMCー

08.幸せな人

09.Sweet Days

10.ダンデライオン


encore

11.ディズニーランドへ

12.原爆とミルクシェイク

ーMCー

13.Pola Rola


encore2

Drum Solo

14.Baby Baby

15.SALINGER

16.WAY

ーMCー

17.赤いタンバリン



 読み終えても信じられず、もう一度最初から読み返してしまった。

こんなプレミアムなライブがあったことを今日この瞬間まで知らなかった。どうしてだろう?


 店内には無害なバックグラウンド・ミュージック。
ほとんど口をつけていないオレンジジュース。溶けた氷が水の層を作っている。

すぐ隣にあるのに分け隔てられた世界。


 少しグラスを眺めた後、ストローで攪拌する。

バラバラに散らばったピースをひとつにまとめ上げようとするかのように。



 Sは遅れてきたことを詫びて、向かいの席についてアイスコーヒーを無造作にテーブルに置いた。

喫煙可能なボックス席だったのでSは躊躇なくタバコに火をつける。


「わりぃな。道路が混んでいた。旅行客でごったがえしている」


「気にしなくていい。仕事の方は相変わらずなのか」


「そうだな。繁忙期はすぎたかもしれない。人の流れに少しだけ先行して動いているのが物流らしい」


 東扇島は工業地帯や繁華街の程近くにありながら俗世間と隔絶されたエリアだ。

昼夜を問わず国内外の製品や貨物が運び込まれ、仕分けされて、また運び出されている。

Sは今日も朝からフォーク・リフトを操りビールや生活雑貨をプラスティック製のパレットにひたすら載せ替える作業を行った。


「まあ慣れれば気楽なもんだよ。何も余計なことを考えず、システマティックに体を動かし続ければいい」


そう話すSの指先から立ち上る煙が、排気口に吸い込まれていくのを眺めるともなく眺めていた。



 ある年の初夏、蝉が鳴き始める前の中途半端な季節。

その日の放課後、僕はいつものようにSの部屋へ立ち寄った。

ローリング・ストーンズのJumpin' Jack FlashをMDウォークマンで聴きながら歩く。
Sはエミネムのブート音源をSONYのMP3プレーヤーで聞き流していた。


 人の数だけ名前が与えられているのと同じように、思春期の男子学生はそれぞれの格好良さや憧れを持っている。

僕たちはお互いが持っている理想像の形や色が異なっていても、それを尊重していた。

あるいはそこに共通点を見出しさえした。

Sの部屋に入ると目についたのは、床に無造作に放置されている組み上げられたばかりのパソコンと壁にかけられたマトリックスのポスター。


「なるほど、ここがトーマス・アンダーソンの隠れ家だったか」


「救世主なんて願い下げだけどな」


 Sはそう言って笑い、机に無造作に置かれていたオートマティック式のガスガンを撃つ真似をした。

何か飲むか、というSの提案にはアルコールが選択肢として既に含まれている。

適当に何か頼む、と伝えるとどこからかくすねてきたカルピス・サワーが運ばれてきた。


「なかなか美味いな」


「いや、甘すぎるだろ」


 適当にWinMXで落とした映画を観るともなく観ながら酒を注ぐ。

トリスを水で薄く割ったものが2人とも気に入りそればかり飲んだ。


「今ここにケーサツが来たら何の言い逃れもできねぇな」と苦笑する。


 誰かが決めたルールと緩く張られた監視の目。およそ好意的な刑罰式の法治国家。

そのスレスレを歩きながら気楽に笑い合う。

本当にくだらないけれど、そんなことがその頃の僕たちにとって全てだった。


 高かった日は沈んで、空には見えない星が姿を現す。

気をつけて帰れよ、とあまり呂律の回っていないようすのSが告げる。

僕は台所を借りて水をがぶ飲みしてから、玄関へと向かう。


 それじゃまた学校で。親御さんにもよろしくな。

背中越しにそう伝えるとSは傾いたベッドに足を投げ出したまま、それに手を振って応えた。



「そういえばそんなこともあったな」


 再結成したロック・バンドの話題から学生時代の思い出話に移って、Sは懐かしそうに眼を細める。


 正解も不正解もありはしない。

ただそこにそうしていた過去があって、ここでこうしている今がある。

それだけでいいじゃないかと、その時そう言えたら何よりよかっただろうという未来の視点から

今僕は右手の薬指でエンターキーを押す。



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Sとの回顧録 as @suisei_as

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