シガレット・ムーン

イライラとハイが入り混じった感情。

幹線道路を60km/h以上で飛ばす。コンビニの駐車場に前向き駐車。


断食中はコンビニに立ち寄っても買えるものは少ない。

空腹を通りすぎると何も感じないけど、煌々と照らされる店内に立ち並ぶポテトチップスやポップコーンにはちょっと誘惑される。

奥の棚のドリンクを手にとってレジに向かう。時計回りの動線。

その途中でも菓子パンやちょっとしたお菓子が並んでいる。

何を誰にどれくらい売りつけるか。優れた販売戦略に舌を巻く。


「126円になります」


ドリンクをスキャナを通した店員さんが告げる。

ふとレジの奥に並ぶ色とりどりの箱が目に飛び込んできた。


「Peaceのゴールド一箱追加でお願いします」

追加で600円を支払う。たっけぇな。


車に戻ってカバンを助手席に置いてから一本取り出して、プラスティックのライターで火をつける。

といってもふかすだけ。勢いよく吸い込んでしまい軽く咽せる。

久々のニコチン。しっかり脳内の報酬回路が記憶していて「これはウマい」と快楽物質が降り注ぐ。


空を見上げると満月が見下ろしている。

地球上で感じることのできる数少ない平等。

太陽の光を反射してやさしく妖しい安らぎを世界中に届ける。


人のできることなんてたかが知れている。諦観と達観を中途半端に跨いだ感傷に浸る。

真っ白で大きな満月。

タバコの煙が夜の闇に吸い込まれていく。

いつか波止場でお前と見たスーパームーンを思い出す。



あれは辺りに夏の気配が漂い始めた中途半端な季節だった。


とある密会がバラしたあと。

僕は愚かにも終電の時間を勘違いしていた。

大宮駅を出る列車に滑り込んでから、家に帰るには到底間に合わないと気づいた。

深夜料金のタクシィをターミナルで捕まえるか安いビジネスホテルに泊まるか脳内シミュレーションを行う須臾。


そんなしょうもない窮地に立たされた僕とたまたま連絡をくれたS。


「今どこ?適当なタイミングでコールしてくれたらバイクで迎えにいく」


一も二もなくお願いすることにする。ほんとうに心強い。持つべきものは友達。

初めてバイクの後部座席に乗せてもらったのもSだったな。

四畳半でイギリス産ロックを聴いたり、不正に入手した映画を見ながらだべったり。

そんな懐かしい青春が遠い日の様に思い出される。


川崎市を過ぎたあたりでLINEに連絡を入れる。


24時をまわって終着駅は混み合っている。

酔っ払いが駅員さんに揺り起こされたり、カップルが手を繋いで歩いたり、ぐったりしたサラリーマンが改札へ急いだり。

そんな光景を横目にSの姿を探す。

よぉちょうど今着いたとこだわ。そう手をあげるSはどう見ても駐車スペースではない場所にバイクを横付けしている。


わざわざこんな時間に遠くまで呼び出して申し訳ねぇな、と謝る。

手間賃代わりに缶コーヒーでも奢るよ。


「まぁ俺も暇だから。今時間あるか?適当にちょっと走ろうぜ」


単に終電を逃しただけだから、もう予定もないし明日も暇。

身軽な気持ちでバイクの後ろに飛び乗った。



平日深夜の道路は比較的空いている。

湾岸道路から大黒埠頭を駆け抜けるのは爽快で、没入型のレーシングゲームみたいだ。

後ろの席でヘルメット越しでも顔に風を感じる。

産業道路を大型トラックの間を縫う様に走る250cc。

Sが何か叫んだけど聞き取れず、大きな声で叫び返す。


「休まないで大丈夫か」

大丈夫、このまま突っ走ってくれ。

よこすか海岸通りについて適当なエリアで駐車スペースを見つけて停車する。


「一つ目の現場が早め終わると暇でさ。次の仕事までの時間潰すために見つけた場所」


そう言いながらSはタバコに火をつけて一息ついた。

焦げた匂いが鼻に届く。不思議と悪い気はしない。

一本どう?と勧められたけど一応断る。

その頃の僕は飲酒はできるだけ避けて、喫煙はしない主義だったから。


「月がでけぇな」

僕は小学生並の感想をこぼす。身体だけデカくなっても心も語彙力もガキのまま。


「不思議だよな。質量も大きさも変わらないはずなのに天体の動きでこうして大きく明るく見えたりすることもあるなんて」


たしかにそうだ、と同意する。

同じものなのにタイミングと場所によって見え方が変わってくる。

そうだ、と思い出して近くの自販機にコインを放り込んでホットの缶コーヒーを二つ買う。

初夏のさしかかっていたがまだ夜はちょっと冷える。

送ってもらって悪かったな。恩に切る。


「どうしてまた大宮なんかで帰り損なってんだよ?」

どうでもいい刹那的な関係に夢中で時間感覚が狂った、とも言えず。


「ちょっと野暮用でさ」とカッコつけて見せる。


深夜にバイクで駆けつけてくれて、海沿いで大きな月をバックにタバコをふかすSの前だと、どう見てもカッコついてないけれど。



それから何を話したのか、家までの経路とかはよく覚えていない。

そのとき二人でスマホで月の写真を撮った。

それをおまじないかお守りかのようにしばらくSNSの背景に使っていた。

もう二度とあの時の月を見ることはできない。

お前に迎えにきてもらった夜。狂い出した歯車の音はまだ聞こえなかった。


並んでどうでも良いことをたくさん話した。冷えていく缶コーヒー。

一生に一度しかない星の並び。

あの時の光は今も地球で乱反射しているだろうか。


タバコの煙が夜の闇に溶けていく。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る