384MB
Sがいなくなって何度目かの同じ季節が通り過ぎた。
今となっては空っぽな感覚も麻痺して、中央分離帯やいつか共に見た満月のことを思い出すことも少なくなった。
ふと思い立って地元に帰るタイミングでSの実家に立ち寄ることにした。
大人になると友達の実家に遊びに行く機会なんて滅多になくなる。
自分の家みたいにドアをノックして入っていたのを懐かしく感じる。
手土産として家族数人で食べられる地方の名産品を買い込んだ。
成人したかつての息子の友人が尋ねる場合は、事前に連絡を入れるのが礼儀かもしれない。
会えなかったらそれでいいとアポ無しで行くことにした。
*
平日昼の関越道は比較的空いていた。
県境を越えて首都高に近づくに連れ車は増えていき、美女木JCTの信号で長いこと足止めを食らった。
いつ走ってもよくわからない首都高の車線変更に右往左往しながら羽田線の大井で下道へ降りた。
競馬場とコンテナターミナルの狭間。
欲望と願望のゼロサムゲームとシステマティックな効率社会。
どこまでも人間らしい街。
競艇場の近くの駐車場に車を停めて、平和島のジョナサンで休憩。
Sとここで仕事終わりに落ち合って昼食をとったことがある。
日替わりランチを食べながら、その時の会話を反芻してみる。
半分も思い出せない。こういうとき自分の記憶の曖昧さに愕然とする。
学生の頃、Sの父親はIT関係の企業に勤めていたこともあってよく中古のPCを弄ったり自作PCを組み上げたりしていた。
PCデポやドスパラで遊び半分に機材を買って、フリーのOSをインストールして自分用にカスタマイズしていた。
「マザーボードに空きがあったから前使ってたメインPCのメモリを移植しようとおもってさ」
「いいなぁ。俺が使ってるノートはいまだに192MBでしょっちゅうフリーズするよ」
「普通にメールとかネットやる分には十分だけどCD焼いて動画再生とかは厳しいか。俺のは384MBになったぜ」
「なんか中途半端だな。にごろ2つにすればよかったんじゃね」
「そうしたかったけどなぜか認識しないっぽい。俺も大したことに使わないから充分」
「人間も簡単にメモリ増設して処理能力を拡張できればいいのにな」
「遠くない将来そういうことになるさ。ターミネーターとかマトリックスみたいな」
そのあと映画のアクションとか凝ったCGの演出について盛り上がったような気がする。
あれから月日が流れて世の中のテクノロジーは目覚ましく進歩してるけど、人間の方はどうなんだろう。
会計を済ませて自動ドアを出るとけたたましいパチンコ店の音が耳に刺さった。
*
車は駐車場に置いたままにして、横須賀方面に向かう電車に乗って快速でターミナル駅へと向かう。
駅から歩いて懐かしい繁華街を抜け住宅街。
日替わりランチの会計をしてから1時間後にはSの家の前の玄関に立っていた。
友達の親と久しぶりに会う時は、記憶の中のイメージを更新しておかないと面食らう。
自分が子供から大人に成長したのと同じくらいの時間をかけて、相応の心労を経ている。
ある程度、腰が曲がったり白髪が増えたりした姿と対面する覚悟をしておく。
インターホンを鳴らす。心のどこかで留守であってくれと願う自分に気が付く。
「はーい」と声がして、30秒ほどでSの母が出てくれた。
予想より少しだけ年齢を感じさせるけど、概ね予測した範囲内。
おひさしぶりです。Sと仲良くさせていただいておりました。突然お邪魔して申し訳ありません。
実家に帰るついでに立ち寄りました、と今の状況を説明する。
「驚いたけどすぐにわかったよ。あまり変わってないから。どうぞ上がって」と言ってくださり部屋へと招き入れてもらう。
父親は今は不在で、きょうだいは家を出て別の場所で暮らしてるらしい。
日本の平均的な規模のマンションの一室がとても広く感じた。
どうぞ座ってね、紅茶をいれるからと言われるがままリビングへ。
いつもSの部屋に入り浸ってばかりいたからここに足を踏み入れるのは本当に久々。
ダイニングテーブルの真上に取り付けられたシーリングファンは止まったまま。
記憶の中ではダイニングの周辺に写真や子供が描いた絵が飾ってあった。
今はシンプルな壁紙と本棚、時計など生活に最低限必なものだけが置かれている。
核家族の子どもが家を出たあとのインテリアはどこも大した違いはないのかもしれない。
「便りはないですか」
「相変わらず」
短いやりとり。今日ここへ来た理由の半分はここで完了したようなものだ。
窓の外で鳴いている2羽の雀に興味を持ったふりをする。
「今住んでいる場所の銘菓を持ってきました。お口に合うかどうかわからないですが。
おいしいらしいですけど住んでいると全然食べる機会がないもので」
買ってきたお土産を手渡す。
「よかったら今あける?」
いえ、ご家族で召し上がってください。和菓子なので紅茶とは合わないかもしれないので。
ティーカップに砂糖とミルク。
「お気遣いありがとうございます。いただきます」
ストレートのまま一口いただく。ほろ苦い暖かさが口の中に広がる。
覚悟を決めて口を開く。
今から話すことは一面的な話にすぎません。
だから事実とは異なるかもしれないし、もちろん真実などではありません。
ただのかつての友人の回想録。
そう思って聞いていただければ幸いです。
*
中学校の卒業式を終えて二日目。僕は抜け殻だった。
大して思い入れのある学校ではないけれど、今まで通っていた場所に行かないとなると手持ち無沙汰にはなる。
メールアドレスを知っている何人かにEメールを送った。
「今までやりとりありがとう。もう会うこともないと思うけど元気で」
冷淡なのか律義なのかはわからない。
過去が地続きで未来に続いているなんてその頃から思っていない僕は、一方的にさよならを告げて連絡先を削除していった。
同年代に生まれて、特定のエリアに居住して、学力で区切られて1箇所にまとめられただけの僕たちだ。
その中で関係性を構築して、続けていくことの方が無理がある。
けっきょくは他人同士。たった二日離れただけでそう確信できるくらいあっさりと人々は離れて行った。
それを追うことも手を伸ばすこともしなかった。
行く場所もやることも特にない。
なんとなく自転車に乗って港へ向かった。
産業道路沿いからぼんやりと船やカモメを眺めていたときにケータイに着信。
Sからだ。
>俺いまチャリで出かけてんだけど、めっちゃ暇。同流してどっかで飯食おうぜ
1分以内にレスして待ち合わせ場所を決める。
1時間後には合流して、とりあえず吉野家に。
どうでもいいこととか話す。
1日2日家にいるだけで親きょうだいと喧嘩になって、家を出たくなったとか。
普段から大して関係のないどうでもいいクラスメートが、いよいよ本当に他人になっただけで感慨なんてないよなとか。
僕とSは別々の学校へ進学することが決まっていた。
Sは地頭がいい。
周りの生徒が学習塾で必死に過去問を解いているのを横目に、独りで黙々と勉強してさっさと志望校の合格圏内へと入った。
先生方の評価がよくなくて成績がイマイチなだけ。学校社会の○×クイズのような紋切り型の救いようのないシステムの下では。
お互いの肩書がなくなった僕とS。
その後も関係性が変わらず続いていく。お前は当たり前のように話す。僕はそれが何よりうれしかった。
Sと同じ学校を志望しておけばよかった、と伝える機会はついになかった。
そうすれば幾分単純にお互いの苦境を笑い飛ばせる未来があっただろう。それは叶わなかった世界線。
僕は進路を選ぶ時、地元や出自が同じ人間がいないところを選ぶ癖がその頃からあった。
僕は誰も知らない場所でリセットされたような現実を積み重ねていく。
Sは自分の本来の能力が発揮しづらい場所で、何人かの見知った顔と共に駒を進めていく。
現実をリセットすることなんてできないし、見知った顔が自分の理解者なんて限らないけれど。
「今後どうなるのかなんてさ、誰にもわからないよな」
大盛り汁だくの牛丼をかっ込みながらSは言った。
*
一旦、話を止めて当時に思いを馳せる。
どこからかピアノを練習している音が聞こえてきた。
ただの思い出話かもしれない。その場所に確かにお前がいた。
それに感謝している人間が今ここで生かされている。
「僕は卒業して進学、就職とお互いの状況が変わってもSとは仲良くさせてもらっていました」
「成長してからあまりゆっくりと話をすることはなかったけど、たまに聞く話の中にあなたはよく出ていた」
二人の共通の友達も、という言葉に僕は頷く。
「彼の方がSともっと親しかったといえます。連れて来られればよかったんですが生憎今日は僕一人です。
でもその方がむしろ客観に近い主観で話せるような気がします」
客観的な事実なんて存在しない。特に人と人の間にある曖昧な出来事の数々には。
主観をいくつも並べ立てそれっぽい事柄を真実だということにする。
とてもシステマティックで便利な世の中。
地球の裏側の情報を瞬時に手に入れて、数百キロ離れた相手とリアルタイムで話ができる。
僕は何年も一緒にいたのにお前が何を考えて、どういうふうに感じて、なぜ行動をするのかという単純なことを知らないし、もう知ることができない。
そんな基本的な部分がわからなくてなんだっていうんだろう。
同じフレーズのピアノ。止まったままのシーリングファン。
雀たちはもういない。
すっかり冷えた紅茶を飲み干して、再び口を開く。
今日はSが姿を消すちょうど1年前の話をしようと思ってここに来ました。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます