第2話

 南の国境の街ヴェヒターが管理しているのは、中級ダンジョン二つに上級ダンジョンが一つ。

 中級ダンジョンは二つともヴェヒターの街門を出て直ぐにあり、ダンジョン内は砂漠と湿地帯である。

 上級ダンジョンはヴェヒターのギリギリ管理の届く王都側の小さな村横の山の麓にあり、山に沿って上るダンジョン内には森と湿地帯が広がる。

 ヴェヒターが管理するダンジョンは、どれも湿地帯があるのが特徴だ。


 相棒に乗ってダンジョン内を進むマリナは、今回その湿地帯に全く興味がない。

 入ってすぐ広がる森の階層を一つ上ると、まだまだ続く森階層の奥に大きな滝壺が出てくる。

 この滝壺、階層移動の階段や入り口とは遠く離れているため、素通りするハンターが多い穴場なのだ。

 マリナは今回の連休中、その滝壺でのんびり釣りでもしようかと出掛けてきた。


「とおちゃーくっと」


 軽く探査魔法をかけても近場には魔物の気配を感じないことを良い事に、ランの背から華麗に飛び降りるマリナ。

 他に誰もナニもいない、ゴオゴオと水音だけが響き渡る滝壺近くへと降り立った。


《いつもは滑ったりするのに、珍しい……》

「やめてよ~。ドジんないと何か出るみたいじゃん!」

《……出そうだな》

「うぐ……。ま、まあ、いいや。暫くここで釣りするけど、ランはどーする?」

《吾は、その辺を適当に飛んでいる。何かあれば呼べ》

「待って! それ、やっぱり何かある前提じゃんッ」


 相棒に文句を言うが聞き入れてもらえないマリナは、諦めて釣りの準備を始める。

 ランはそれを横目に、クスリと笑いを漏らして飛び立った。



 ◆


「やった! イ・ワ・ナちゃんゲットー」


 このダンジョンの季節はダンジョンの外とほぼ変わらないが、ダンジョン内の方が少しゆったりめに季節が流れている。

 今日の体感温度、辺りの樹木の色付き具合から、夏終わりの秋に入るところであろう。

 マリナが釣る岩魚は産卵期に入る前のため、丁度一番脂がのっている時期だ。


 ダンジョン内は不思議なことに、魔物以外に普通の動植物が存在する。

 魔物はドロップ品なら、食べたり使用したり加工が出来る。

 ダンジョンの外なら、倒した魔物を食べたり使用したり加工まで出来る――そのため、自ら解体作業が必要だ。

 ダンジョン内に生息する動植物は、外と変わらずを使える――が、外とは違い、暫く時間が経過すると消費した分は復活しているのだ。

 まあ、その“不思議”のおかげで食料に困っている国はほとんどないため、“食料”を理由に各国が争うことはないので概ね平和な世界だ。

 ――ダンジョンの謎は深まるばかりだが。


 十分もせずに岩魚を三匹手に入れたマリナ。

 何時もより順調だ。



 順調!

 じゅんちょー。

 ……順調過ぎ?

 え、やっぱり何かあるの?



 疑うマリナの手には、五匹目の岩魚。

 まだ始めて十分ちょっと経ったところ。

 何時もなら、漸く一匹釣れ始めるかどうか。

 相棒とのやり取りのおかげで、素直に喜べないマリナだった。



 ◆◆ 


 お昼まであと一時間もない。

 あの後のマリナは、面白いように魚が釣れて大漁。

 岩魚が十匹釣れた他に、鮎が六匹に魔物化してない脂ののった大きなトラウトを五匹釣り上げていた。



 ムフー……

 何を食べよっかなぁっ。



 普段は調理より食べる専門を豪語するマリナでも、何か作ろうかと思える程大漁である。

 マジックバッグに締まらない顔で、血抜き等の処理を終えた魚を詰め込んでいる。


 ランと今から食べる分の魚は水に沈めたまま、マリナは焚き火の準備に入った。

 だるんだるんに緩みきった顔で拾っておいた薪を組むマリナ。

 すっかり立てられたフラグは忘れている。


 そこへ、茂みからガサゴソと音が鳴る。

 マリナは相棒が戻ってきたのだとばかり思っていた。

 彼がいるから、マリナの警戒は顔同様ガバッガバに緩みきっていたのだ。


 茂みから現れたのは、大きめ黒い毛玉。



 黒い毛玉?

 ランはアイボリーにグレーの縞が入った……



 そこでやっと相棒ではないと気づいたマリナ。

 振り返って見ていた彼女と、出てきた数頭のブラックベアの一番前にいる大きな個体は“こんにちは状態”で見合っていた。


「………………」

『………………ギャオオオォォォオオオッ!!』

「ですよねッ!?」


 雄叫びをあげたブラックベアに薪を放り投げ、腰に差す双剣を抜いて応戦するマリナ。

 右に左に次々とブラックベアを刈り取るマリナを、一番前にいたはずの大きな個体が、後ろの方で窺っている。

 どうやら、あの個体がリーダー格のようである。

 マリナは急所を的確に仕留めていくが、小さめの個体の数が異様に多い。

 次々と茂みから湧いて出てくる。



 ……多くない?



 ブラックベアの攻撃を上手く躱すマリナだが、流石に一人では多勢に無勢。

 ヤりにくいのだ。

 体をかすめるギリギリのところで躱すことで、体力消耗を減らしている。

 それでも体力は消耗し、時折肩で息をするマリナ。


 そんな彼女が二十頭程仕留めたところに、漸く大きい個体が動き出す。

 茂みからも出て来る気配はない。


『ギャオオオォォォオオオッ!!』


 再び咆哮し、立ち止まるマリナへと突進してくるリーダー格。

 疲れたマリナは、フーっとゆっくり息を吐きながら双剣を戻す。

 その間もブラックベアの突進は止まらない。

 スピードを上げ、マリナまで三メートル程手前で軽くジャンプし、大きく右手を振りかぶった――ところに、パチンと指が鳴った。

 瞬間、ブラックベアは光に包まれる。

 マリナの雷魔法がブラックベアに直撃したのだ。


 手を組んで伸びをするマリナの髪に、ふわっと風が届いた。

 彼女の相棒が、やっと戻ってきたようだった。


「……遅くない?」

《吾がいなくとも、軽く運動しておっただけであろう?》

「そーだけ……どお!? いっやあー!! 嘘だと言ってぇえ!!」

《……ん?》


 ランが来たことよりも、水面を凝視するマリナ。

 顔色は……絶望を思わせる。


 膝から崩れ落ちる彼女の目に映るのは、先程昼食にと沈めていたはずの魚たちが全部岸に散乱している。

 グチャグチャになって。

 魚の周りに血が飛び散っていないし、何ならマリナが水に流れて行かないようにと付けた縄が、もげた魚の破片に残っている。

 間違いなくマリナが用意していたモノだろう。


 そう言えば、統率のとれたベア種であったが、自分マリナに向かってくる個体がやけに順番を守っているかのようだったなと思い出すマリナ。

 それと散乱した魚が導き出すのは、マリナにブラックベアたちが、彼女へ向かっていってない間に食べていたのだろう。

 もしかしたらリーダー格は、マリナが魚に気が向かないよう、攻撃の後ろから見守ることで目を逸らさせていたのかもしれない。


 考えたところで魚が戻ってくるはずもなく。

 涙を流しながら、ドロップ品を集めるマリナ。

 それもそのはず。

 いつもなら相棒と二人分で五匹ほどと、持ち込みのパンや野菜でお昼にしていた。

 だけど珍しく大漁であったから、どうせなら豪快にいこうといつもの倍の量を準備していたのだ。

 マジックバッグにまだ半分あるにしても、ご飯大好き娘にはショックが大きかった。


 思いがけず大量に手に入ったベアの肉と毛皮・爪等を収納しきったマリナは、魚の残骸をササッと魔法で綺麗に片付け、とりあえず滝壺から少し離れた樹の下に腰かけた。

 綺麗に片付けても、魚が散乱したところには座りたくないらしい。

 さっきまであったマリナのやる気もどこかへと出掛けたようで、料理はもうしたくないようだ。

 無言でマジックバッグからダニエラお手製クッキーを出して、黙々と食べている。

 ランには、マリナが夜食用にと朝早くから作っていた肉まみれサンドを無言で差し出す。

 マリナはサンドよりも糖分が欲しいようで、十個作ってあった肉まみれサンドを全て取り出していた。


 ランはそんなマリナに苦笑して、彼女から受け取った肉まみれサンドを頬張り始める。

 その横で、マリナはまたマジックバッグを漁り、今度は水筒を取り出した。

 今朝淹れてもらったマルセルマスターのコーヒーを片手に、やっと涙を止めたマリナであった。


「で、よ。ランは何してたの?」


 おやつ休憩でやっと気分を盛り返したマリナは、ランが戻ってくるまでの間の話を切り出した。

 手には戦闘あそびの戦利品、ベアの塊肉と包丁を持って。

 両手ぐらいの大きさと手のひらより小さめの角切りにしたものとを、二つの鍋に分けて入れている。


 作業片手間な相棒に、ランは現金なヤツだと思いながら、先程見た光景を伝えた。


《王都で“ダンジョン内の繁殖”があったと言っていたであろう?》

「言ったね~。私は魔法で捕捉しただけだけど」

《このダンジョンも“繁殖”しておったぞ》

「……は? え、まさか……さっきの――」

《ブラックベアの根城を潰しておいた》

「ありがとう!! さっすが相棒様!」


 話ながら鍋にブチ込み終えたマリナはサッと手を綺麗にして、魔物の根城を潰したと報告する相棒をこれでもかと言うくらいに撫で回す。

 ランはされるがままだが、満更でもないようだ。


 ダンジョンの内側で“繁殖”しているのは、魔物大暴走スタンピードの予兆ではないかとマリナは考えている。

 勝手に潰しているけど。

 魔物大暴走スタンピードが起きれば大事な至福なご飯の時間をゆっくりと堪能できないため、予兆っぽいことが起きると手さえ空いていれば、勝手に突っ走るマリナであった。


 この考えはさておき、ヴェヒターの上級ダンジョンでも“繁殖”が見られたと報告しなければいけなくなった事が面倒だと思うマリナ。


 彼女の目に入ったのは、肉を分けきった鍋が二つ。


 “報告”の二文字を頭の片隅に追いやり、ランから一瞬で離れ、いそいそと調理に取りかかるのであった。



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