1章第11話 影を抜けて

 ソラは急いで模擬侵蝕区域シミュレータのデータに目を通す。安定している中で最も長距離を移動できる空間の連結を探す。 

 ラプターアイの扱う模擬侵蝕区域は情報次第でかなりの精度で侵蝕区域をシミュレートできる物でソラとウミの師匠から受け継いだ唯一無二の代物である。これを使いこなせるラプターアイは観測データと経験から予測する他の仕立て屋シュナイダーよりも早く、正確に侵蝕区域の情報を得ることができる。だが、それは観測データとソラの感覚情報など膨大な情報によって模擬侵蝕区域内のデータを補正し続けている場合に限られる。補正をしなければシミュレーション中に発生する誤差が解消されずに累積し、しばらくするとデタラメな結果をしますようになってしまう。その修正はウミしかできない仕事だ。ウミがドローンでシャードを追跡している間は模擬侵蝕区域の情報更新はできない。つまり、正確な情報を得られるのは今だけだ。

 ソラはすぐに通るルートを決定した。


「こっちだ」


 ソラはティナの手を掴み、走り出す。“スタッフオンリー”と書かれた扉を押し開けてくぐり抜け、細い通路に出る。負傷の影響かティナの足取りが重い。できれば応急処置をしたいが鱗に追われていてその時間が無い。今通った扉が浮遊する鱗によってズタズタに貫かれる。さらに鱗は集合し直し、再度攻撃をしようとしている。このままだとワープする前にこちらがやられる。


「ティナ、そのまままっすぐ進んでエネルギーだまりを突き抜けて。通るまでの時間を稼ぐ」


 ソラは抜刀、グローブに取り付けられた宝石を輝かせる。


「はぁ!?」


「今は話している場合じゃ無い、行くんだ!」


 ソラはティナの発言を許さない。一瞬、怒りの表情を浮かべた彼女だったが、手負いの自分が足手纏いになっていることを理解して、渋々動き始めた。

 鱗が突っ込んでくる。細い通路を埋め尽くす無数の鱗は食べ物に群がるアリのようにかなりの密度になっている。この密度なら適当に攻撃しても何体かは倒せるだろう。


「今度は撃ち漏らさない」


 ソラの瞳に爆発が映る。放たれた火球は3度炸裂した。通路いっぱいに広がった炎が鱗を焼き尽くす地獄を生み出す。轟音と炎が止んだそこには灰が残っていた。ただ、後方で業火を回避した数枚の鱗が突撃してきていた。


『こっちはワープしたわ』


 ティナの連絡が耳に入る。


「分かった、すぐに合流するよ」


 ソラは刀を横薙ぎに振るう。鱗が真っ二つに裂かれる。一切の抵抗なく振り抜かれた刀は動きを止めずに次の鱗を目掛けて斬りあげられる。鮮やかな切り口の鱗が意志を失い、地面に落ちる。

 最後の1枚が接近する。刀での攻撃は間に合わない。咄嗟に身体を捻るが背中を切り裂かれる。


「くっ」


 うめき声と共によろめく。鱗は反転し、ソラを狙う。背後にはワープに使う赤と黒がゆらめくエネルギーだまりがある。ソラは刀を構え直して、鱗に向き直す。お互いに高速で接近していく。ソラは身体を少し動かし、刀を鱗の軌道上に。刀が押し返される感覚。自身の速度で両断された鱗を確認する間もなく、エネルギーだまりに突っ込む。一瞬、視界が不明瞭になり、歪んだ音が耳を支配する。脳が揺れるような感覚と共にショッピングモールの外まで跳躍した。

 跳躍した先には道路があった。本来は人や車で賑わっていたはずの場所も侵蝕に飲み込まれて誰もいない。その雰囲気はどこか不気味だ。

 ソラは周囲を見回す。鱗はおらず、目の前には座り込むティナがいた。その左手は腹部の傷に当てられている。


「傷は大丈夫か?」


「まあ、なんとかね」


 ティナは震えの混じった声を返した。ソラは傷に目を向ける。本来は青いはずの服は裂けて赤く染まっている。傷口にはハンカチが当てられており、包帯できつく縛られている。

 最低限の応急処置は済ませた後のようだ。


「痛み止めのクリスタかけたから、効くまで気のまぎれる話して」


 ティナは浅い呼吸をしながら必死に痛みと戦っているようだ。


「いいよ。そうだな……」


 ソラは話題を考えながら周囲を警戒ついでにぐるっと見回す。瞳の中に先ほど飛び込んだエネルギーだまりが映った。あそこに飛び込めばワープする。


「じゃあ、侵蝕区域内でワープが起こる理由とかどう?」


「なんでもいいわ、続けて」

 

「ワープが起こる理由として認知の歪みによるものとする説が有力なんだ」


 侵蝕現象の最も特殊な部分である認知によっていかようにも変化する性質、これによって区域内に存在しないはずの物体が生成されたり、クリスタのような魔法を使えるようになっている。これの延長線上にワープ、空間の連結が起こっているとする説が最も有力とされている。


「ティナは行きつけの場所とかある?」


 ソラは話に興味を持ってもらうために質問をしてみた。

 ティナは一瞬、その意図を探ろうとしたが


「あんたと会ったカフェとかかしら」


と答え、話の続きを待つことにした。


「じゃあ、家からカフェへ行く予定を立てる時、その細かい道のりって想像する?」


「いいえ、せいぜい移動時間を考えるくらいね」


 ティナは首を振って否定する。


「そうでしょ。つまり認知上その2点は繋がるんだよ」


「なるほど、認知上で繋がった点同士が侵蝕区域の性質で現実化するのね」


 ティナは合点がいった様子で頷く。


「その通り、色んな人が想像した繋がりが侵蝕エネルギーの密度やらなんやらで発現したりしなかったりするんだよ」


 そして、その予測を行い、道案内を行うのが仕立て屋シュナイダーだ。と話を続けようとした次の瞬間、


「ホーク、あれ見て」


 ティナが震える手で街角を指差した。なんの変哲もない道路に赤い影がいくつも見えた。間違いない、ストレイの鱗だ。まだこちらに気付いている様子はないが、今すぐにでも動かなければ危険だ。

 幸い、移動ルートはすでに考えてある。


「動けそう?」


 ティナは肯定するかのように立ち上がる。

 

「ここでくたばるつもりはないわ。さあ、仕立て屋、道案内なさい」


 ティナは精一杯の強がりを口にし、ソラの後を追って歩き出す。その足取りは重い。鱗にバレれば逃げきれず確実に戦闘なるだろう。早めにあの場を離れて正解だった。

 3つ直進し、角を右折する。そのまま直進すれば別空間に繋がっている場所があるはずだ。しかし、目の前にあったのは空を飛ぶ鱗だった。


「くそっ!」


 ソラは悪態を吐きながら、クリスタを起動する。光の球体が3度炸裂し鱗を焼く。鱗は攻撃性こそ脅威だが学習能力は乏しいようで撃墜自体は慣れてきたのもあり簡単にできるようになった。ソラは撃ち漏らしに備えた2発目のクリスタで鱗を完全に焼き尽くした。


「ホーク! 後ろからも来てる! あたしのクリスタじゃ、足止めが限界よ」


 ソラはすぐさま身体を反転、ティナのいる方を見る。彼女の言う通り、鱗が迫りつつ会った。彼女も氷のクリスタを使って撃墜、足止めをしている。氷の弾丸が鱗を貫き、冷気が鱗を凍らせ足止めをしているが、いかんせん範囲火力が足りてない。


「分かった!」


 ソラがクリスタを起動しようとする。手のひらに小さな光の球が生成されるが大きくなる前に消滅した。


「くそっ! このタイミングでガス欠かよ」


 クリスタは特殊な加工がされたルイン結晶を利用して魔法を使うがこれは無尽蔵に撃てるものではない。ルイン結晶内に蓄えられた侵蝕エネルギーを使い切るとしばらく魔法が使えなくなる。そのことを示すかのようにソラの手の甲、フィンガーレスグローブに取り付けられた結晶は輝きを失い、黒くくすんだ石のようになっていた。

 ティナに鱗が迫る。クリスタさえ使えれば倒し切れるような量だが、ソラにそれをどうにかする手段はない。

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