序章第2話 影の契約

 帰り道、街路樹の横を歩いて進む。夕暮れの光がウミの茶髪と白のマウンテンパーカーに柔らかく反射したその姿はすれ違った人間の目を数秒引きつけるのに十分な魅力だった。すれ違った人間はチラチラとウミの方に視線を向けている。そのうち数人は隣にソラが立っていなければナンパしていたことだろう。


「今日の授業はどうだった?」


 ウミが少し顔を覗き込ませるような形で尋ねる。2人の顔の間に割って入るようにソラの指が空中をスワイプしている。


「んー、さっきの授業は侵蝕の話してたな。知ってる話だったから半分くらい寝てたわ」


 開幕5分足らずで寝たことはそれとなく隠しつつ答えを返す。ウミがジト目でソラを見る。


「どーせ、ソラのことだから9割寝てたんでしょ。私の方はね、グリッド構造学の基礎みたいな話だったよ」


 グリッドとは現在ソラとウミが踏みしめている地面の名前である。広がり続け、治ることのない地上の侵蝕から逃れるため、地上から3000mの高度に人類が築いた人工の大地のことであり、人類最後の生存圏でもある……らしい。100を優に超えるグリッドが連結され、地上の上に巨大な大陸を形成している。

 だが、空へ逃げても侵蝕から逃れることは出来ず、エネルギー源として利用されるルイン結晶を起点にグリッド上にも侵蝕が生まれ続けている。


「多重構造グリッドの問題点はこれだーとか、今いるグリッド135はなんとかだとか。教授の専門分野だからか、めちゃくちゃ饒舌に話すの。それがなんだか面白くて……ってソラ聞いてる? さっきからずっとウォッチアイでSNSインターピア見てたでしょ」


 話の間、空中をスワイプし続けるソラに痺れを切らした彼を詰めるように尋ねた。

 ちなみにウォッチアイはAR機能のついたコンタクトのことで、旧世代携帯電話スマホに変わり、爆発的に普及している通信端末のことである。インターピアはの層から人気のSNSでソラはこれを見るのが中毒レベルで好きである。


「ん、ああ、ごめん。聞いてなかった」


 ソラは心ここに在らずといった様子で言葉を返す。空中を滑る指は止まらない。


「ふーん、あーそうですか、私の話なんて興味ないですか」


 ウミは拗ねたようにそっぽを向いてしまう。


「ごめんて……それよりほらこれ見てみ」


 ソラは指で何かを投げるようなジェスチャーをしてインターピアに送られてきたメッセージを彼女と共有した。


「ふーん、うちの話より大事なことがあるんだ? どれどれ」


 文句の1つや2つ……いや、3つでも4つでも言ってやろうと思っていた彼女の勢いは共有されたメッセージを見た瞬間に急激に失われた。彼女の不満げな顔が真剣な表情に変わる。

 どうやらソラの興味なさげな態度は許されたらしい。彼はほっと胸を撫で下ろしながら


「お客さんを待たせないように早く帰らないとな」


と呟いた。


✳︎


 グリッド135の辺鄙な場所にあるとある駐車場。辺りにはソラとウミ以外に誰1人いない。夕暮れの光はすでに消え、夜の帳が降りていた。繁華街から離れているためほとんど真っ暗になっている。唯一の光源である明滅する電灯に照らされてポツポツと停まっている車が浮かび上がったり消えたりする。その中で暗闇の中でさえ存在感を放つ車両がある。その車両に向かって2人は歩みを進めていく。ソラは空中、ウォッチアイ上に浮かび上がるボタンをタップし、鍵を開錠する。そして、真っ白で巨大なキャンピングカーの扉に手をかけた。その瞬間、ガサッという音と共に視界の端で暗闇が動いたような気がした。


「いるんでしょ? 美鈴メイリンさん」


 その何かに心当たりがあったソラはその暗闇に向かって声をかける。

 その暗闇は小さな溜息を吐いた後、灯りの元へ姿を現した。ヘソだしのチャイナ風コーデに片足ニーソが特徴的な落ち着いた印象を受ける顔立ちをした女性が照らし出される。


「驚かせちゃおうかと思ったんだけどバレちゃったか」


 白と黒の二色に分かれた髪、その左右高めの位置に束ねられたシニヨンをいじりながらメイリンはからかうように笑う。その背丈はウミよりも高く、ソラと同じくらいだ。


「自分から連絡しておいて、いないふりするなんて無茶ですよ」


 呆れた様子のソラを見て、メイリンは


「おー、そうだったね。外での話もなんだしささっ入って」


とわざとらしく声を出し、扉に手をかけ手招きする様子を見せる。メイリンはまるで自分の家に招き入れるかのように振る舞い、扉を開けて中へ入り、手招きをする。ソラは苦笑いを浮かべながらその手招きに従う。ウミは戸惑いを隠せないといった表情で彼の後に続き、キャンピングカーへ足を踏み入れたと同時に思わず口を開き、


「あれ? ここってうちらの拠点だよね?」


と疑問を口にした。どう考えてもこの車の持ち主のような振る舞いに少し混乱してしまったのだろう。


「ん、どうしたの当たり前のこと言って」


と返すメイリン。どうやら彼女は自分の振る舞いが原因でこの疑問が出たことに気付いていないらしい。

 ウミは納得いっていない様子で上着マウンテンパーカーを脱いでハンガーにかける。上着に隠されていた小さなリボンが両肩についた黒のショルダーカットが露になる。その姿は先ほどまでとは別ベクトルの可愛らしさがある。


「さて、長居しちゃ悪いし、さっさと仕事の話を始めましょうか」


慣れた様子で3人がけのソファに腰をかける。ソラは木製のテーブルを挟んで向かい合う形で配置されたソファに腰をかける。このソファは背もたれを倒せば、ベットにすることができる優れものだ。


「メイリンさん、ちょっと待ってね。今、飲み物用意するから」


 ウミはソファのすぐ近くに置かれた冷蔵庫からフルーツジュースの入った紙パックを取り出した。冷蔵庫のすぐ奥にはウミの仕事道具である大型のPCや鳥型ドローンが見える。

 彼女は緑の瞳でそのPCを横目に見ながら、慣れた手つきでグラスにジュースを注ぐ。


「はいどうぞ」


 フルーツジュースの注がれた客人用のグラスが車内の光を反射しキラキラと輝く。息を吸い込めば甘い匂いが飛び込んでくる。


「お構いなく、と言いたいところだけどちょうど喉が乾いてたの。ありがたくいただくわ」


 そういってメイリンはグラスに口をつける。ゴクリという音と共にジュースが喉を通っていった。


「いつ来てもいいところね。居心地が良くて、移動もできる。それにシャワーもトイレもついてる。まさに動く家ね」


 メイリンが後方の仕切られた部屋を指差す。彼女の言う通り、そこにはシャワーとトイレが備え付けられている。さらに付け加えるなら、ルイン結晶を使う発電機とその電力を蓄える大型のバッテリーもあり、生活するのに必要なものは全て整っていると言っても過言ではない。このキャンピングカーはソラとウミにとって単なる家以上の存在となっている。


「それで、仕事ってどんな話?」


 ウミがソラの横に腰をかける。メイリンはカバンの中から薄い板を取り出す。これは小型のホログラムの投影装置だ。画質は荒いが持ち運びに便利でソラとウミも1つ持っている。彼女が装置を素早く操作すると地図が空中に浮かび上がる。その一点にピンが建てられている。


「今回の依頼は侵蝕区域の調査、場所はグリッド136にあるショッピングモール建設予定地よ」


「グリッド136? そこは確か安全評価A、つまり過去に侵蝕現象の発生例はないはずだ。調査が必要なレベルの侵蝕があるとは思えないけど」


 ソラは違和感を覚え、声を出す。


「それはあくまで侵蝕調査協会A.E.Rが公表している侵蝕現象の発生件数が0ってだけ。A.E.Rの探知に引っかからない規模の奴だったり、すぐに衰退して消える侵蝕現象なら起こっててもおかしいことじゃないわ。それにどうやら、結構前から今回の調査対象の侵蝕現象は発生してたらしいのよ」


 公式的には侵蝕現象に対応できるのはA.E.Rのみとされており、多額の資金が投じられているため侵蝕現象に対応するための技術力は最高クラスだ。そんな彼ら彼女らが持つ最新鋭の装置ですらある程度進行した状況でないと侵蝕を自動検出することはできない。そのため、探知されていない侵食現象の存在を一概に否定することはできない。

 一応、そういった小規模な侵蝕現象について、A.E.Rは対策として謝礼を設けて市民からの侵蝕現象の報告を受けて対応している。

 今回の侵蝕現象は市民にすら見つけられていない?いやそんなはずはない。ショッピングモール建設予定地なら様々な調査、人の手が入っているはずだ。仮に侵蝕が見つかっていたとしてもまずA.E.Rに報告が行き、そのまま対応するはずだ。なのになぜメイリンさんに話がいったんだ?

 と黙考するソラを見抜いたかのように


「どうやら、建設会社はA.E.Rに報告したと従業員に伝えているらしいの。でも実際は調査が入るどころか侵蝕はどんどん進んでいる。何か裏があると踏んだ善良な市民様がフィクサーあたいに依頼を出したってわけだね」


と答えが返ってくる。つまりは存在は認識していても報告されていない侵蝕現象が起こっているということだ。


「それ、やばくない? 侵蝕って放っておくとどんどん広がるし、怪物ルインズも増えて、取り返しのつかないことになっちゃう!」


 どうやらウミも状況を把握したらしい。


 侵蝕は発生初期段階からある程度時間が経過するまでであれば、比較的容易に減衰、消滅まで持っていける。

 ただし、侵蝕が進むと核となるルイン結晶、中核結晶が収縮現象を引き起こし、コアと呼ばれる状態に変化する。そこまで進むとそのコアを中心としてコアルインズと呼ばれる侵蝕区域の主とも言える怪物が生まれる。そうなってしまうとコアルインズを倒さなければ侵蝕は止まらないという非常に厄介な状況に陥ってしまう。

 そしてグリット上で発生した侵蝕が制御できないレベルにまで進行し、グリットを飲み込むと、そのグリットは他のグリットを守るためパージ、すなわち切り離され放棄されることになる。そうなれば逃げ遅れた多くの市民が犠牲になる。

 いきなり制御不能になるまで侵蝕が進んでいることはないだろう。が、すでにある程度侵蝕が進んでいるとなるとコアルインズが発生するリスクが高まっていると言える。この調査はかなり急務と言える。


「それで、報酬は?」


「30万トークン、分配はいつも通り4:6と言いたいところだけど、厄介そうな依頼であることも鑑みて今回は3:7でどうかしら?」


「それでも、相場より相当安いな。この額だと同行者ラヴェジャーは雇えないな」


 ラヴェジャー、許可なく侵蝕区域に出入りし、非公式の依頼をこなして金を稼ぐいわゆる傭兵のようなものだ。侵蝕区域内はルインズすなわち、怪物が多く存在しているため戦闘に優れた傭兵を雇うのが鉄則だ。そして、ソラとウミはラヴェジャーではない。


「まあ、依頼を出したのは数名と市民様、それもその調査は自分たちには全く理のないものだからねぇ、報酬が安いのは仕方ない。だからこそ、仕立て屋シュナイダーの中でも単体で戦えて依頼をこなす地力のあるあんたらラプターアイにぴったりの依頼でしょ?」


 侵蝕区域内部は様々な超常現象が起こる。万全な対策なしでは侵蝕区域に入ったが最後出てくることはほぼできない。

 一応、経路計画と呼ばれる事前の情報に基づいて作られた経路を用意していれば、ルート上から一切外れないことを条件に行って帰ることは可能だ。

 だが、侵蝕区域で自由に行動したければ、区域内でのあれこれの対策を講じ、入口から目的地そして出口までの道筋を仕立てることができ、状況に応じて適宜ルートを変更できる侵蝕区域のスペシャリスト、仕立て屋シュナイダーと呼ばれる存在の同行が必須である。一般的な仕立て屋シュナイダーは道案内が仕事のため最低限の自衛能力がある程度なのだが、ソラとウミの2人で構成された仕立て屋シュナイダーであるラプターアイはラヴェジャーほどではないが戦えるとシュナイダーとしてこの辺りではある程度の知名度を誇っている。


「A.E.Rの検知にひっかかっていないことを考慮するなら、現状はそこまでハイリスクな依頼でもない、か。ウ、じゃないイーグルはどう思う?」


 ソラはウミの方を向いて質問する。


「実際に現地に行くのはホークなんだし、ホークが、いいならうちは全力でサポートするよ!」


 ホーク、イーグルは仕事用、仕立て屋シュナイダー、ラプターアイとして活動する時のソラとウミの呼び名だ。この名前は師匠から貰ったコードネームのようなもので、仕事相手の前ではこの名前を使うことを徹底している。


「決まりかな? 細かい情報はインターピアで、報酬もいつもの口座に。それじゃ、お邪魔したね」


 メイリンはグラスのジュースをぐいっと一気に飲み干した。そして、伸びを1つした後、立ち上がった。


「えー、もう帰っちゃうの? 晩御飯食べて行かない?」


 ウミは名残惜しそうに引き留める提案をする。メイリンは困ったような笑顔を浮かべた。


「ごめんね、これ以上長居すると雹華ひょうかちゃんが寂しがっちゃうから」


 雹華ひょうかはメイリンが可愛がっている雪のように真っ白なウサギの名前だ。


「それを言われたらもう引き止められないね。メイリンさん、今回の仕事が終わったらモフりにいってもいい?」


 ウミは雹華ひょうかのことが大好きで時折、メイリンのオフィスへ伺ってはモフっている。


「ええ、もちろん歓迎するわ、雹華ひょうかもイーグルちゃんのこと気に入っているみたいだし」


 そう言いながら扉を開く。夜の適度に冷えて心地の良い風が部屋に入り込む。


「それじゃ、2人ともおやすみなさい」


 メイリンは手を振り、キャンピングカーを後にした。

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